諸君、「書いてはいけない」を読みましょう! ーその2ー
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(41)
5月26日付けブログ「諸君、「書いてはいけない」を読みましょう!」で同書第3章の「日航123便はなぜ墜落したのか」について述べたが、前著の続編とはいえやはり第2章の「ザイム真理教」についても軽んずるわけにはいかない。
〈日本は三権分立国家ではない〉
私達は、子供の頃から、日本は三権分立の国家であり司法・立法・行政は独立しているものと教え込まれてきた。実際、「行政」の中で働き、「立法」の場―国会に(下っ端役人として)たびたび出掛けていたが、三権分立ではないとまで思うことはなかった。しかし、森永先生は、以下のように断じている。
「検察も裁判所も、財務省に隷属しているのだと考えている。裁判官も検察官も公務員だ。彼らの活動を支える予算はすべて財務省が握っている。財務省を敵に回したら、仕事ができなくなってしまうのだ。」
〈財務省>検察庁〉
あの森友学園の国有地払下げ問題で、財務省本省が近畿財務局に公文書改ざんを指示したことが明らかになるも、なんと大阪地検特捜部はこの事件を不起訴とした。検察官は、制度上は法務省に属し、行政機関の職員である。予算が握られているばかりでなく、捜査に必要な銀行取引や税務関連のデータも財務省の協力が不可欠らしい。要するに、検察庁も財務省にはアタマが上がらないということか。
〈財務省>裁判所〉
百歩譲って、検察庁は「司法・立法・行政」の「行政」に属しているからしかたないとして、「司法」の裁判所も、実は信用できないことになった。公文書改ざんを命じられた、近畿財務局職員の赤木さんが良心の呵責で自殺した事件だ。奥さんが真実追及のために情報開示請求など提訴するも、結局のところ、すべて判決は(賠償金はとっとと払わせて)財務省寄りに情報公開不要とした。あの日航123便の裁判(墜落で夫を亡くした女性が日航にボイスレコーダーやフライトレコーダーの開示を求めた裁判)と全く同じ!真実を明らかにすることはできない(カネ払ったからいいだろう)という姿勢だ。
もうここまでくると腹立たしいというより呆れてしまった。「日本はいい国家だ」と信じていた自分が愚かに思える。
〈「四権」を牛耳る財務省〉
最近あまり聞かないが「四権分立」という言葉があった。「司法・立法・行政」プラス「マスメディア」ということだ。
予算編成権で「行政」の全省庁を制圧し、国税徴収権及びザイム真理教洗脳で「立法」の政治家たち従えさせ、上記のように「司法」の裁判所も支配する。更には国民の意識を動かす最大勢力の大手マスメディアからも忖度される。1月28日付けブログ「納税者諸君、「ザイム真理教」を読みましょう!」の一部をここに再掲する。
戦後の日本において、大手マスメディアは公明正大に国民に情報提供するものだというのは幻想だったか。ザイム真理教サポーターその1は、大手新聞だと。なぜ大手新聞は財務省に忖度した記事を書くのかというと、1950年代~70年代に各大手新聞本社が東京都心の一等地の国有地の格安払い下げを受けているのだ(モリトモのことあまり言えないよな~)。更に、消費税率が10%に引き上げられた際に、定期購読の新聞に、電気・ガス・水道と同じ「生活必需品」として軽減税率が適用されたことも怪しい限りだ。
〈くたばれ!財務省〉
2006年、私は「政治家がアホやから役人やめた」という本を書いた。拙著ゆえ売れたわけではないが、その中に「くたばれ!財務省」という章がある。
今から20年近く前の話だが、今読んでも殆ど通用する内容だと自負している。ただ、私の経験した大蔵省・財務省の横暴ぶりは、実はもっとひどいということをこの名著で思い知らされたのである。
森永先生は次のように述べている。
「国民が財務省の官僚を選挙で選んだわけではない。国民に選ばれていない人が、国権の最高権力者として君臨するという統治機構は明らかにおかしいのだ。
私は、ザイム真理教問題を解決するためには、財務省に解散命令を出すしかないと考えているが、残念ながら財務省は宗教法人ではないので、宗教法人法に基づいて解散命令を出すことができない。しかし、実質的に同じことを実行することはできる。それは、財務官僚の究極の目的である天下りを完全禁止するとともに、彼らの権力の大きな源泉となっている国税庁を完全分離することだ。」
全く同感であることは言うまでもない。