高校時代、一度も勝てなかった男
【旧友へのオマージュ(hommage)第1弾】
ロシアのウクライナ侵攻のテレビ報道で軍事解説者として時々見掛けるのが、元・陸上自衛隊東部方面総監の渡部悦和(わたなべよしかず)君である。なぜ「君」付けかというと、実は、彼は私の松山東高校3年時の同級生で親しかった人だからである。彼は私の同期(約500人)でトップの秀才だった。高校時代の定期試験や模試の総合点で、私は彼に一度も勝てなかったと思う。つまり、私は彼に対してコンプレックス(正確にはinferiority complex=劣等感)を抱くものである。卒後何十年も経つが、私の記憶では、高校3年時の校内模試(学力テスト)で最高順位は2位で、このときの1位も渡部君だった(教室の後ろの壁だか廊下の壁だかに張り出されていた)。いつも1位は渡部君で、私は2位~10位当たりを上がり下がりしていたはず。3年時の総合平均点で、1位の渡部君が現役で東大理Ⅰ合格、2位の人が現役で京都大理学部合格、3位の人が現役で金沢大医学部合格、4位が私で東大理Ⅰ不合格(一浪後合格)だったと思う。松山東高校は、昔から京大に強く、東大に弱かった。この年も私を含め成績ほぼ十位に入る現役4人が東大に挑戦したが、合格は渡部君ただ1人だった。その代わり京大には、理学部、工学部など何人も(なんと医学部合格者も)受かっていた。
〈渡部君と私の当時の学力の違い〉
当時の松山東高校は、勉強できるやつは理系という風潮が強く、成績上位者のほとんどが理系志望者だった。当時は、全国的にも理工系ブームだったと思う。そんな中、渡部君も私も理系だったが、彼は理数はもちろんすごくできたが、模試の国語の点数が高く、高校時代は国語が苦手だった私は(15年後の東大理Ⅲ受験では国語が得点源になったが)歯が立たなかった記憶がある。
彼はもともと文才があるのだろう、多数著書を出しよく売れているようだ(私の著書と違って(笑))。
〈東大工学部→自衛隊へ「転身」〉
高校時代、同級生でもあり、親しくしてもらっていたが、彼が現役で入学し、私が暗い浪人生活に入って、やや疎遠になった気がしたものの、翌年、私が入学して交流が再開した。しかし、真面目な学生生活を送る彼と、麻雀にはまった不真面目学生の私は、再度疎遠になっていく。彼が3年生になって本郷に移ると駒場にいる私と会うことがなくなった。
彼が自衛隊に入ったという情報はいつ頃聞いただろうか、はっきり覚えていない。1980年頃だろうか、東大や阪大を卒業した高学歴の若者が自衛隊に入るというブームがあったことは確かだ。国防意識に乏しく、国家公務員試験を受けてキャリア官僚を目指しても、防衛庁(当時)なんて全く興味がなかった私にとって、渡部君の進路変更の意図はよくわからなかった。ただ、彼のことだから確固たる信念で人生を歩んでいるのだろうなと感じていたものだ。
〈高校同窓会での再会〉
数十年ぶりに彼と会ったのは、ビフォーコロナの、何年か前の高校の同窓会であった。そこで久闊を叙したのである。お互い歳相応に老けたものだが、彼は相変わらずスポーツマン体格であった(高校時代から彼は勉強だけでなくスポーツもできた)。彼は自衛隊の組織の中でたいそう偉くなったようだ(私は行政職だったので、自衛隊の階級職がよくわからない)が、温厚で謙虚な性格は変わっていなかった。彼と話した内容はほとんど忘れたが、私が子供4人いると話すと「え、4人も」とえらく驚いてくれたことは覚えている(笑)。
〈渡部君、今後もご活躍を・・・〉
先日、テレ朝やNHKで立て続けに彼のTV出演を拝見し、その上手な解説ぶりに感心し、誇りに思ったものである。私の記憶では、高校時代、どちらかというと寡黙な人だったし、人前でよく喋るタイプでなかったと思う。たしか、私が浪人しているとき、手紙をくれて(当時はメールなんてなかったし、手紙も当然手書き)、その中で、1年生では文系の教養科目も履修しなくてはならず、しかたなく「法学」だか「政治学」だかの講義に出ているといった、嘆きのような文面があった。何十年も前の話だが、その頃は、根っから理系の彼は早く専門の工学の勉強をしたがっていたように、私は解釈したものだ。だから、てっきり、彼は後に優秀な技術者か研究者になるものと思っていた。ところが、今や全国マスメディアで何万もの人々に政治行政を踏まえた軍事情勢を(私のような愛媛訛りもなく)うまく説明する立派な先生、解説者となっている。