平成版「産めよ増やせよ」で少子化対策を
 

四半世紀住み慣れた東京を出て、ここ群馬県は新田の地に移り住んで10年以上が経ちました。開業医として、上は90歳代のご高齢者から、下は生後間もない赤ちゃんまで、多様な患者さんに毎日お会いしています。なにしろ「広く浅く」が要求される「町医者」だから、風邪や喘息、高血圧や糖尿病といった内科的な病気のほか、結膜炎、中耳炎、膀胱炎、皮膚炎、外傷まで多くのcommon disease(ありふれた病気)に対応しています。とりあえずの診療、プライマリーケアができないのは、純粋な産婦人科的疾患くらいでしょうか。

このホームページは、「医師・河辺啓二」というより「人間・河辺啓二」という視点に立っているため、医療関係のお話のシェアが、医師のホームページにしては乏しいと感じた次第です。

そこで、一つくらいは医療に関連したコーナーを設けたいと思ったわけなのですが、日常、上記のとおり多様な患者さんと接しているうち、(自分が)楽しくて(診察室で)もっとお話したいsituationを考えると、赤ちゃんを診せにくる、いかにも「子育て新入生」らしいお父さん・お母さんの姿が浮かんでくるのです。両親の赤ちゃんに示す愛情いっぱいの仕草ながら、その抱っこのしかたといい、ぎごちなさが初々しい。思わず「新米パパ・ママ、がんばれ!」と言いたくなります。

「小児科医は子供を3人育てて一人前」(※)という医療界での言葉があります。私の場合、4人子供があり、オムツ換え、風呂入れ、ミルクやりなど、いちおうの子育ては行ってきたので、このお言葉に関しては合格点だろうと自負しています。

一人めは、教養学部生のとき、二人めは医学部生のとき、三人めは研修医のとき、四人めは開業医のときに生まれており、それぞれの出生は、私の生きてきた時代を画するものになっています。下にいくほどその子が写っている写真の数が単調減少しているのは、どちらの家庭でも同様と思われますが、私の場合、自らの忙しさが単調増加したため、オムツ換えの回数は下の子になるほど少なくなっています。

さて、このコーナーは、赤ちゃん誕生で、新しくパパ・ママとなった方々に贈る応援歌です。医学生のときの小児科学の勉強、父親としての4人の子育て奮闘、そして開業医としての小児科臨床経験、これら3つの総合的見識の粋(すい)を集めて、ご披露して参りたいと存じます。

(※)医者の世界では、医者なら誰でも聞いたことのある、昔からのこのような格言(?)がある。

ほかには、

○「子供は大人のミニチュアではない」

例えば薬を処方決定するのに、体重が大人の半分だから薬の量も半分にするなどと、単純に決定してはならない。検査だろうが、治療だろうが、成人に対するやり方を単に小さくすればよいということではない。小児には小児の特質があることを十分に理解、留意しなければならないということ。

○「女を見たら(診たら)妊娠していると思え」

妊娠可能年齢、概ね十歳代後半〜四十歳くらいの女性の場合、「妊孕性(にんようせい。妊娠する可能性があるということ)」に注意しなくてはならない。レントゲン検査や薬剤投与などの際、妊娠していないことを確認しなければならない。また、腹痛の女性患者さんの場合、胃腸疾患や尿路感染症以外に子宮外妊娠等産婦人科的疾患を考えるべき。

この確認はとても大事なのだが、微妙な場合、例えば女子高校生だったり、未婚の20歳代女性だったりすると聞きにくい(「失礼ね!」と思われるかも・・・)ことがある。

○「医学博士号は足の裏の米粒」

そのココロは「とらないと気持ち悪いが、とっても食えない」。詳しく言うと、「足の裏に米粒が付着したままだと気持ちが悪い。しかしとったところで、汚いから食べられない」と「医師になって、医学博士号を取得しないと、なんとなく気持ちが悪い。しかし、取得したからと言って、収入が増えるわけではない」とを掛けているである。(拙著『官僚と医師はなぜ同じ過ちを犯すのか』より抜粋)

夫が妻の妊娠を知ったとき
 

私は4月に結婚し、翌年3月末に第1子を授かりました。妻の妊娠を知ったのは、8月、(医学生だった私は)夏休みで四国の実家に帰っていたときです。いわゆるハネムーンベイビーではなかったと思います。

会社勤めのため夏休みが短く、私より遅れて四国に来た妻から告げられたのであります。私は実家の農園で農作業をしていました。報告を受けた私は、「あ、そうか」としか思いませんでした。TVドラマにありがちな、歓喜にあふれてバンザイなんて気は毛頭起こりませんでした。感情の鈍い私の人格からなのか、とにかく子供が生まれるという「実感」が湧かなかったのであります。

私は、自分のことを冷酷な人間だとは思っていないのですが、一般に初めて父親となられる方々は、妻の妊娠を知ったとき大喜びするのでしょうか。生まれてすぐの我が子(生まれてすぐは猿のようですが)に強い愛情が湧くものなのでしょうか。

父親というものは、母親より、九か月以上も「子の愛情争い」で遅れをとっているのです。母親は40週間も自らの身体の中で我が子と共存しています。お互いの絆(母と子の絆)が強くならないはずはありません。つまり、受精卵で生命がスタートしたとして、その子にとって最初の九か月強は父親は全くの「よそ者」に過ぎないのであります。

父親は、生まれてくる赤ちゃんの顔が自分とそっくりだったりすると最初から愛情が湧くかもしれません。ところが、希望する性でないほうの赤ちゃんだったりすると、失望した父親は、最初のうちは我が子を「かわいい」とは思わないかもしれません。父親が本当に「かわいい」と思い始めるのは、生まれてしばらく経って自分になついてくれるようになってからではないでしょうか。

私は、第1子出産に立ち会うことができました。初めての出産だったためでしょうか、とても時間がかかり(妻は3晩眠れず)、生まれてきた赤ちゃんは長時間産道で圧迫を受けたため、顔はむくみ、頭は伸び、まるで「宇宙人」のような顔でした。正直な話、生まれてきた我が子の宇宙人のような顔にすぐに愛情は持てなかったのです。実は、多くの夫婦にもあると思いますが、第1子の生まれる前は、妻と自分のパーツ(顔と身体)のいいところだけを組み合わせて美男or美女の赤ちゃんが生まれるのではと期待したものです。その根拠の脆弱な期待を一瞬にして打ち崩す宇宙人顔でありました。そこの病院は、助産婦さんでなく産婦人科医が取り上げます(後にこのことはRAREだと知った)。先生は「頭が伸びちゃったね」と意に介してなかったのですが、果たして翌日には驚くほどフツーの頭に戻っていました。

 
  To be continued
予告
  赤ちゃんがお腹の中にいるときどう過ごすべきか
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  夫はできる限り出産に立ち会おう (幻滅する人は・・・)
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  赤ちゃん登場で生活は激変
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