・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(19)
次に舛添要一センセイにお会いしたのは、あの途中で終わった「政治学」講義から約14年後、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」(今は、日曜ヒル放映に変わったねぇ)収録スタジオであった。私にとって初めてのテレビ出演である。
パネリストほどの有名人でない私は、ゲストの元官僚3人のうちの1人として登場。あとの2人とは、このTV出演後、民主党議員となった田村謙治氏(衆)と藤末健三氏(参)である。彼らが財務省、経済産業省という花形官庁OBだったのに対し、私は地味な農林水産省OBであるため見劣り感は否めない。せめて、東大理Ⅲ出て医師になったとでも紹介してくれたら格好がつくのに、現職の紹介はなかった。視聴者は「この中年男、今何してるの?」くらいに思ったことだろう。
そのときのパネリストに、常連の舛添センセイや田嶋陽子さんがいた。その舛添さんに「駒場の900番教室でセンセイの「政治学」の講義を聴いていました」とお話したような気がするが、センセイの反応がどうだったかも覚えていない。当然、その受け答えは放映されず。覚えているのは、初っぱな、私の声が小さくて、田嶋先生に「声が小さい!」と一喝されたことと、ビートたけしや大竹まことの毒気に当てられたことくらい。政治家志願(しかも花形省庁出身)の他の2人の雄弁さにかなうわけがなかった。
このときのテレビ収録が、舛添センセイをナマで拝見する最後の機会であった。後に、テレビ朝日「朝まで生テレビ」に2回出演したが、その頃は、彼は登場していなかった。「代わり」にお会いし直接お話したのは、猪瀬直樹氏であった。
〔追記1〕
前回のブログを公表してすぐくらいに、TBSの「白熱ライブ ビビット」という番組のディレクターから電話がかかってきた。私のブログを読んで、東大助教授時代の舛添さんの女性関係について何か知らないかなどといった情報収集のようだった。もちろん、古い話でもあり、大した情報提供もできなかった。それにしても、これほどマイナーな私のブログに、大放送局のディレクターがよくたどり着いたものだなぁと内心驚いた。
〔追記2〕
舛添センセイの「舛」の字に着目。通常、度量衡器の「ます」と言えば、通常「枡」「升」「桝」が当てはまる。これらに他の意味はない。ところが「舛」の字は、「升」と同じ「ます」の意味のほかに「そむく、たがう」という意味があるのだ。熟語として「升午(←忄に午でも可。「せんご」と読み、「そむきたがう」という意)」がある。まさに、このセンセイ、一千万都民の期待にそむいてしまった・・・。