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記事一覧

浅田選手は戦略負け

2010.03.22

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・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(1)


〈なぜ浅田選手は敗れたのか〉

 バンクーバー冬季オリンピック・フィギュアスケートで金メダルが期待された浅田真央選手が予想外の大差で敗れたのは、戦略負けによるものだ。孫子の「彼を知り己(おのれ)を知らば、百戦するもあやうからず」のとおり、浅田選手の本当の「敵」は、GOE等のポイント制のルールであるのに、その研究が不十分であった感は否めない。いくら高度な難技が成功しても、総合点で競うことが当該試合のルールなら、金メダルを狙う以上は、そのことに徹底して研究・練習すべきだった。[男子の銀メダリストも同様だろう。]


〈採点競技は大学入試と同じ〉

大学入試と同様で、例えば、全5問の試験で、難問2問できた40点答案は不合格となり、易問3問できた60点答案が合格となることと似ている。このことは、特に数学の試験で生じやすい。問題によって難易度に大きな幅がある。ほとんどの受験生が解けそうにない難問が解けたとしても、他の容易な問題を解く時間がなくなってしまっては、総得点が低くなる。こんな難問が解けるとはすばらしい、総得点が低くても合格にしてやろう、とは決して大学側は思わないものだ。

金メダルを取るためには、真の「敵」を徹底研究する必要がある。審判の主観が入りにくい、単なる速さ等を競う競技ならともかく、ポイントで競う競技は、(時代によってルールが変わるので)当該試合の時点での採点法に則って高得点を得る術(すべ)を磨くことが重要だ。この方法で見事成功したのが、一昨年北京五輪で金メダルを獲得した柔道の石井慧選手だ。彼は欧州にまで赴いてそのポイントのルールを徹底研究していた。

ワクチン政策の拡充を望む(1)ーワクチン後進国から脱却を―

2010.03.22

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(5)

2月14日のブログでも述べたように、日本はワクチン後進国である。新型インフルエンザワクチンしかり、日本脳炎ワクチンしかり。日本がアジアの中で最も進んでいる気になっているが、例えば、香港では、通常、幼少期にB型肝炎ワクチンが接種されているなど、他国で日本より優れた公衆衛生策が講じられているようだ。
最近発売されたものでは、子宮癌ワクチンがあるが、これも国からの助成は一切なく(先進的な地方公共団体では、助成するところもあるらしい)、全額自己負担のため、普及は遅々たるものだ。なにしろ、1か月ごと3回接種で完結するが、合計約5万円もかかるワクチンなのだから。5万円で子宮癌に罹る確率が低下するのが、高いと感じるか安いと感じるかは、個人の考え・財政状況によるだろう。

少し前に認可されたものでは、小児のヒブワクチンがあるが、これにしても、国費投入はゼロだし、そもそも各先進国が何年も前から行っているのが、やっと日本で認可された「遅きに失し」かねなかったワクチンだ。こちらのほうは、メーカーの供給より需要のほうが高いようで、病院によっては、何か月も待たされる場合があるようだ。要するにメーカーの供給体制が潤沢でなく、一医療機関当たり、一か月当たり○人分までという「縛り」が実施されているのだ。メーカーの話では、近々、この「縛り」が解除される見通しだとか。

多くの医療先進国で行われているワクチンが、日本でもやっとおおむね受けられるようになってきたことは喜ばしい。「認可」の次は「助成」だ。公衆衛生策の一環として、公費負担によるワクチンをどんどん増やしてほしいものだ。
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上記と同様な内容を読売新聞「気流」に投稿したところ、3月9日掲載されました。以下は、同新聞社に送った投稿原稿です。実際に(若干手直しされて)掲載されたものは、「メディア(その他)」のコーナーに示します。


●ワクチン後進国から脱却を

「命にかかわるヒブワクチン増やして」(22日)に共感。日本は、医療先進国とはいえ、ワクチンでは後進国なのだと痛感する。
「麻疹輸出国」という不名誉な称号を得て、麻疹ワクチンが2回接種になったのが、やっと4年前のことだし、5年前から副作用問題で国から積極的推奨の差し控えが継続している日本脳炎ワクチンは、再開への万全な態勢が未だ整っていない。

ヒブ(インフルエンザ菌b型)ワクチンにしても、そして最近発売された子宮癌ワクチンにしても、海外では既に多くの国で使われており、「やっと」日本で認可されたものだ。

しかも、これらのワクチンは、国からの助成は一切なく(先進的な地方公共団体では、助成するところもあるらしい)、全額自己負担のこともあり、接種率は高いとは言えない。

多数の国で行われているワクチンの多くが、日本でやっと受けられるようになってきたことは喜ばしい。「認可」の次は「助成」だ。新型インフルエンザワクチン接種に国の助成が全くなかったことが記憶に新しいが、公衆衛生策の一環として、公費負担によるワクチンをどんどん増やしてほしい。

新型インフルエンザワクチンの行方(3)

2010.02.14

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(4)


〈ワクチン大量在庫はほぼ確定的〉

当初から予想していたことだが、新型インフルエンザワクチンがだぶついている。田舎の町医者の私が予想できたことをオツムのよい厚生労働官僚たちは予測できなかったのか、全く不可解だ。今財務大臣になっている菅直人がかつて「霞が関というのは勉強ができるだけでバカばっかり」と言い放ったそうだが、言い得て妙かもしれない。まぁ、かくいう私もその一員だったことは認めるのだが。
具体的に言うと、こうだ。

国産ワクチンが接種5400万回分製造され、すべて「完売」になるという予想を覆し、そのうち1000万回分以上が出荷されず、在庫となっているらしい。しかも、私の診療所の在庫のように、出荷されたものの接種されず院内在庫となっているものも、全国に何万回分もあるだろう。更に、外国産ワクチンにいたっては、輸入契約で確保した9900万回分に対し、医療機関からの購入希望はほとんどないのが現状らしい。


〈なぜこうなったのか〉

新型インフルエンザの流行が下火になったことが最大の原因であることは明らかである。学級閉鎖等の社会を挙げての措置、あるいは手洗い、うがい等の基本的予防の励行が社会に浸透したことも一因としても誤りとは言えないだろう。

〔昨年秋に私が主張したように3600円も払って接種受ける人がそんなにいるはずがないというのも、依然ある〕

社会的には、新型インフルエンザ流行が終息に向かっていることは、極めて喜ばしいことである。しかしながら、残ったワクチンは返品もできず、私を含め全国の医者たち(特に開業医)が腹立たしい思いであるに違いない。私の診療所もどっさりと残ってしまった。これには理由がある。

昨年秋、日本中が新型インフルエンザで大騒ぎし、さながら「ワクチン争奪戦」が始まった。従来のワクチンは、他の注射薬剤や消毒液などと同様、医療機関から必要数を薬問屋に注文し、届けてもらう。もし不必要となった場合、「返品」という形で問屋に引き取ってもらうのが通常である(従来の季節性インフルエンザワクチンも同じ)。

ところが、今回の新型インフルエンザワクチンの取り扱いは、全く違う。まず、各都道府県の薬問屋の元締め(県医薬品卸協同組合)から各医療機関にワクチンの希望本数の調査が来る。この調査は、数週間ごとに、優先順位の対象者ごとに分割して行われる。優先順位の対象者ごとというのは、①医療従事者から始まり、②妊婦、③基礎疾患(糖尿病など)を有する者、④幼児・・・・という分類ごとということだ。

これに対して医療機関は、希望本数をその元締めあてにファックスで回答・発注する。その後、発注された度に当該医療機関に出入りする薬問屋が届けてくれる。しかし、これが注文どおりでないことからおかしな事態となる。注文しても「査定」され、3割くらいしか届かない。ワクチンが少ないから痛み分けということだった。それならば、と次回の注文時はどうせ査定されるのなら、多めに注文しちゃおうということになる。すると、今度は3割どころか、注文数の7、8割も届いてしまったのである。

ワクチンを予約した患者さんの一部には、インフルエンザにかかってしまう人も出てくる。そうした患者さんはキャンセルとなる。更に、新型インフルエンザの流行が下火となり、マスメディアも騒がなくなると、恐怖心が低下し、ワクチンを受けようという人が激減する。医療機関には、問屋に返品できない在庫が残ってしまうのである。


〈国の税金二重取り計画は失敗せり〉

 価格は国が決め、義務ではなく任意の接種なれど国からの助成金はゼロという異常なワクチン施策なのだが、国民は「国の税金二重取り計画」に気づいていない。供給され得る国産ワクチンが足りなくなるに違いないという想定の下、国は外国の製薬会社と契約し、日本国民対象者全員にワクチンが行き渡るようにと、なんと1126億円の国費=税金を投入したのだ。当該外国製薬会社の情報によると、国は、この輸入契約を(部分的にも)解約できないものかと当該製薬会社と折衝中しているが、当然ながら、調整難航らしい。
もし、国費で輸入したワクチンを1回につき3600円払って接種受けるとなれば、その被接種者は、輸入の原資への税金の支払いプラス3600円の二重払いになってはいないのだろうか。このことに関し、メディアも誰も文句言わないのは、なぜだろう。不可解だ。まぁ、結果としては「国の税金二重取り計画」は失敗せり、だ。

さて、余ったワクチンはどうなるのか。1年足らずくらいしか有効期限はなく、廃棄若しくは発展途上国へ供与されることになりそうだ。後者はODAのようなものとして結構なこととも思うが、「先進国で余ったから発展途上国へやるよ」という姿勢は国際社会でいかがなものか、という意見もあることを踏まえなければならないだろう。


〈ワクチン後進国・ニッポン!〉

中国の経済的台頭等により、日本は相対的に先進国としての地位はじりじりと低下していることは、明白な事実だ。とはいえ、その先進的工業技術を基盤とする経済力は、曲がりなりにも、なんとか一流国の座は死守できているだろう。医療についても、今回の新型インフルエンザの致死率の低さを見るに、まだまだ日本は捨てたものではないという気になるのは奢りだろうか。

世界でのトップクラスの医療水準を保つ我が国ニッポン!と言いたいところだが、遺憾ながら、ワクチンに関しては「後進国」だ。ということは、感染症、とりわけ今回の新型インフルエンザ政策のオソマツさを見るに首肯せざるを得ない。一つには、現役の厚生労働省医系技官でありながら、厚労省批判で名を馳せている木村盛世さんが指摘するように、公衆衛生の素人が医療行政を牛耳っていることによる。

公衆衛生とは、「国民の健康を保持・増進させるため、公私の保健機関や地域・職域組織によって営まれる組織的な衛生活動」(広辞苑)と定義される。確かに、大学医学部では、「公衆衛生学」という科目があり、(試験のため)必ず勉強するし、医師国家試験にも何問かは必ず出題される。ただ、内科学・外科学などの臨床科目に比べ、医学生は重視しない(要するにマイナー扱いされている)。そういう医学生が、医師免許を取得した後、臨床経験ゼロのまま、医系技官として(公衆衛生総本山たる)厚生労働省に就職する。臨床経験がないので、医療現場を肌で感じたことはなく、また、公衆衛生学は申し訳程度勉強しただけの人間が、我が国の医療行政の中枢を歩んでいるのだ。

公衆衛生の話からワクチンの話にもどそう。とにかく、日本のワクチン行政は(「先進国」にしては)貧困だ。後日、このことについて述べたいと思う。


〈付:新型インフルエンザの爪痕〉

 今回の新型インフルエンザ「騒動」は、われわれ末端の臨床医にいくつもの爪痕を残している。既述のとおり、新型インフルエンザワクチンの在庫のほか、季節性インフルエンザワクチンが接種時期の昨年秋、十分にできなかったことがある。同じインフルエンザワクチンということで、国内のワクチンメーカーがその製造工程の何割かを割いて季節性から新型ワクチン製造用に変更したため、例年の季節性ワクチンの7割程度しか供給されなかった。このため、接種希望する患者さんで接種できなかった方も多かった。結果的には、今のところ季節性インフルエンザはほとんど流行していないとは言え、接種希望されるも在庫切れという理由でできなかった患者さんには申し訳ないと思っている。

もう一つある。新型インフルエンザが猛威を振るった昨年秋、治療薬「リレンザ」の需要急増のため、やはり同様の製造過程でつくられる吸入剤「セレベント」という喘息治療薬の供給が中断していることである。薬剤そのものは全く異なるが、吸入剤としての構造が同じで(製薬会社も同じ)あるため、「セレベント」より「リレンザ」優先という判断がなされたのだ。代替薬があるとはいえ、喘息患者治療において、若干支障が生じたものだ。

フランス語学習の難しさ(1)

2010.01.27

・・・・・・河辺啓二の「お勉強」論(1)


〈只今、フランス語学習奮闘中〉

フランス語を勉強しようと初めて思ったのは、いつのことだろうか。おそらくは、官僚時代末期に、ジュネーブで開かれたILO(国際労働機関)の会議に政府代表団の一員として出張中、週末観光で訪れたパリで英語がほとんど通じなかったことの悔しさからだったと思われる。ただ、そのときは「勉強しよう」と思っただけで、実行したのは、「パリの屈辱」から1年経た、後述する医学部再入学後の教養課程時代である。

医学部専門課程、研修医時代は多忙のため、全くフランス語を勉強せず。久々にNHKラジオ講座でも、と思ったのは、医師になって数年経って、やや落ち着いた生活になってからである。しかも、それも中途で頓座。その後、上州の地に開業、住居を構えて何年も経過した後、「中年検定マニア」になってから三回めとなるフランス語学習挑戦が始まったのだ。まさに「三度目の正直」で、今回は、NHKラジオ講座を何年も聞き続け、フランス語検定も受け続け、合格級も上がってきている。


〈英語以外の外国語への誘い〉

中学以来、英語以外の外国語は学ぶことなく、多くの日本人同様、私にとって、外国語=英語であった。

初めて大学に入った19歳の時、第2外国語としてドイツ語を選択した。正確に言うと、東京大学の場合、入学試験願書の記入の際に、第2外国語として、ドイツ語未修、ドイツ語既修、フランス語未修、フランス語既修の4つの中から選ぶように設定されていたと記憶する。ほかにロシア語か中国語があったようだ。ただ、理系は、中国語が選択できなかったと思う。要するに、第2外国語といえば、おおむねドイツ語かフランス語であった。18、19歳の少年たちにとって、受かってもいない「入学後の」第2外国語のことなど真剣に考える余裕もなく、一番上にある「ドイツ語未修」に印を付けてしまう。そのためなのであろうか、今でも東大教養学部の1、2年生で第2外国語は、ドイツ語を学ぶ者が最も多いらしい。
暗い浪人時代から解放された私は、覚えたばかりの麻雀にうつつをぬかし、ドイツ語をはじめ、ほとんどの授業に出ず、雀荘通いしたものだ。したがって、このときのドイツ語の成績は、やっと単位を取れる、すべてC(可)であった。

後年、官僚になって、総務庁(総務省)に出向中のとき、親しくなった同僚で、警察庁から来ているキャリア(東大経済学部卒)の人が「学生時代ドイツ語は全部A(優)だったなぁ」などと自慢でもなく話しているのを聞いて、「霞が関というのは、そういう人たちが集まるところなのだなぁ」と心の中でつぶやいたものだ。
更に後年、医学部(東大理三)再入学したときは、またしても「ドイツ語未修」としてドイツ語に今回は真摯に取り組み、すべてのドイツ語の授業に出席し、オールA(優)に近い成績(1個だけB(良)だった)を得ることができた。

医学部再入学以前で、英語以外の外国語は、(サボりまくったドイツ語の)ほかに何か勉強したかなぁと振り返ってみると、工学部生のとき、数か月間、NHKラジオ講座でスペイン語を勉強したことが思い出される。当時、官僚を目指し始める前で、技術者より商社マンがいいかなぁと思い、商社勤務していた兄がスペイン語圏の国で仕事していたことに影響されたものであった。


〈中年「外国語オタク」物語〉

再入学した東大教養学部1年生のときは、外国語学習にハマッた。第1外国語の英語、第2外国語のドイツ語は必修で当然勉強しなければならなかったが、選択の第3外国語がいくつでも履修できた。そこで、33歳の「外国語オタク」となった私は、フランス語、スペイン語、イタリア語、中国語の授業に出ることとした。外国語専門学校に通うなら月謝が要るのに、大学だとタダというのもあった。更に、時間の都合で授業に出られないロシア語、ハングル語は、NHKのラジオ講座を聴くこととした。しかし、こんなにも多言語をいちどきに覚えられるはずがなく、次々と脱落したものだ。NHKは、もちろんテキストは4月号のみ。大学のフランス語、スペイン語、イタリア語、中国語も、教科書を買って(学習用テープまで購入した言語もあった)何度かは講義に出席したが、ゴールデンウィーク過ぎて数週間経つ頃からアップアップとなった。なんとか6月頃まで粘ったのはフランス語だけとなった。

学んだことは、全くといっていいほど、覚えていない。イタリア語の先生が、教室の後ろの出入り口から入って来て、いきなり近くに座っている学生を矢継ぎ早に指し、先週の復習として、動詞かなんかの活用を声高に復誦させていたのを覚えているくらいか。結構キツカったものだ。

キツいといえば、フランス語の先生も厳しかった。授業中頰杖していた学生に対して何分間もお説教をしていたほどだ。フランス語の発音は日本人には難しく、最初は発音の学習だけで数時間もかけていた。(あえて日本語で書くと)「ユイ」というフランス語の発音があるが、かの先生、「「浅香唯」の「ユイ」です。可愛いけど歌はドヘタでしたね」とジョークをとばしていた。確かに、今は可愛いだけの歌手はいなくなっているが、昔は「顔だけ」歌手は多かった。浅香唯はその最後の歌手だったように思われる。ちなみに、これは平成初期の頃のお話である。


〈フランス語は難しい?〉

さて、標題のフランス語の難しさを述べる前の話が長くなってしまった。本当に身を入れて学習した(つまり、大学での試験とか検定試験とか受けるための勉強をしたということ)外国語は、私にとって、①英語、②ドイツ語、③フランス語の三言語に過ぎない。だから、フランス語が難しく感じるのは、英語・ドイツ語と比べての実感でしかない。とりあえず、初学者にわかりやすい発音と文法という観点から見ると、フランス語は、英語・ドイツ語より難しい、複雑、学習しにくいということができるだろう。

私が、英語でない外国語を、ドイツ語→フランス語と重点を変えて、この数年間、勉強してきたのは、2回目の大学教養時代、ある英語教官の授業中に放った次の言葉が忘れられないからだ。

「英語なんて、要するにドイツ語とフランス語が合わさって(混ざって)できた言語だ」もともとゲルマン系のドイツ語に、ラテン系のフランス語(特に語彙)が加わったということだ。次回に、このことを踏まえて、本題のフランス語学習の難しさについて述べたいと思う。

医師に求められるものとは?

2009.12.27

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(3)


〈医師となって14年・・・〉

おじさん医学生を経て医師となって14年の月日が流れた。
もう何万人の患者さんを診療したことだろう。亡くなった方も多数いる。拙著「おじさん医学生奮闘記」にも述べたが、研修医時代、最初の受け持ち患者さんが亡くなったとき、涙が出てしかたがなかった。当時39歳だった私より2歳若いベテランの指導医に笑われたものだ。以後、受け持ち患者さんが亡くなる度に私の涙の量は単調減少した。

そして、開業医になっても、診療していた患者さんが年当たり数人から十数人、お亡くなりになる。私の顔には涙は全くなっている。


〈「医師は変人」麻生発言は実は正しい?〉

以前、当時の麻生首相の「医師は変人」発言が少し話題になったが、通常の感覚から言うと、確かに医師はすべて変人だ。上述のとおり、知っている人が亡くなっても、その家族が悲しんでいるのを見ても、全く涙が出ない。まるで「冷酷人間」だ。「人の死」というものが日常茶飯事である医師という職業に就いている以上、ある意味「冷酷人間」にならざるを得ない。お恥ずかしい話だが、私はもともと涙もろいほうだったと思う。時には映画やTVドラマの感動的シーンで涙腺がゆるくなることは、今でもある。しかし、眼の前にある「人の死」に対しては、なぜか冷静になってしまう。医師につきまとう「職業病」かもしれない。医学生のとき、父が亡くなり、開業医になって間もない頃、母が亡くなった。さすがに実の親が死ぬとき涙が出た。しかし、火葬場で父の遺骨拾いをしたとき、これは○○骨、これは□□骨、などとつぶやきながら骨を拾う自分があった。無意識に解剖学(骨学)の復習をしていたのだ。この頃から「医師=変人」の準備段階だったのだろう。


〈もう一つの麻生発言も実は正しい?〉

麻生発言で、もう一つ医療に関し物議を醸したものがある。たしか、自らの健康に留意しないで酒やタバコで病気になる人と、そうでない人が同じ金額の健康保険料を支払うのはおかしいといった内容だったと思う。私は、別に麻生ファンでも何でもないのだが、この意見も、ある意味においては正鵠を得ている。

内科医をしていると、高血圧、糖尿病、高脂血症などの「生活習慣病」の患者さんを毎日のように診察する。患者さんによって病気への対応は様々だ。一生懸命、食事療法・運動療法あるいは禁煙に取り組む方もいれば、その正反対の方もいる。アメリカ流ではないが「自己責任」の観点から言うと、医師からいくら注意されても、タバコ・大酒・肉食・運動不足の習慣を改めようと努力しない人にはペナルティー的なものとして、保険料あるいは病院窓口負担金の増額があっても当然かもしれない。たとえば、努力して生活習慣を変えないでずるずると「好き放題」のことをして病気が悪化した人は、窓口負担金を現行の3割から5割に引き上げるとか、もっと極端な場合、10割負担とか・・・。このようになると、「こりゃたまらん」と多くの患者は真面目に生活習慣を改めることだろう。

しかし、以上の「施策」は、実行となると、極めて難しい。まず、手続き的に言うと、誰が当該患者の生活習慣が改善したと判断するのか。担当医ができるだろうか。いちいち、保険料変更や窓口負担割合変更を患者ごとに行うとしたら、健康保険組合や市町村や病院窓口事務員の事務量はパンクするに違いない。次に、医学的見地から言っても非現実的だ。そもそも病気というのは、「生活習慣病」といっても、(癌もそうだが)生活習慣だけで生じるものではない。半分くらいは遺伝的要因があるとされる。実際、親が高血圧や糖尿病の場合、子供も同じ疾患をもつことをしょっちゅう見かける。「家族性高脂血症」のため、20歳くらいから高脂血症薬を服用し始める人もいる。「遺伝性」と「生活習慣性」とを線引きすることが極めて難しい。各個人にDNA検査でもすれば、病気の遺伝的素質を見出すことができて、この前引きが容易になるかもしれないが、全国の成人全員にこの高額なDNA検査ができるはずがない。


〈医師にとって最も重要なのは注意力〉

さて、「変人・奇人」の医師にとって、最も重要な資質とは何であろう。医学的知識、手術の技術、患者とのコミュニケーション力、患者への思いやり、あるいはCOOL HEADとWARM HEART・・・どれも重要だが、私は「注意力」だと思う。要するに「ミスを犯さない」ということだ。医師にとって、毎日何十人もの患者を診るため、一患者は医師から見て何十分の一に過ぎないのだが、当該患者から見れば、その医師が100%なのだ。したがって、手抜きやミスがあってはならない。外科の手術において、このことは極めて大きいが、一般内科医だって、薬剤の種類や投与量につき最大限に神経を使わなければならない。「あ、しまった」は、医療の世界では許されない。だからこそ、医師の報酬は相対的に見て高額に設定されているのだろう。なにも私立医科大に行って高い授業料を払った、その「もとを取る」ためのものではないのだ。

もっとストレートに言うと、お勉強ができても「間抜け」な人は医師には向いていないということになる。


〈医師になる過程で注意力は試されているのか〉

 そこで、考えられるのが、現行の医学部入学試験→医学部教育→医師国家試験→研修医制度の中で「注意力」が試され、向上させられているだろうか、ということだ。

入試と国家試験、要するに「試験」だが、筆記において、ある程度は試されているといえるかもしれない。たとえば、医学部入試で最も差のつく数学。医師の仕事で数学を必要することはほとんどないが、医学部に入るためには、おおむね最重要教科となってしまっている。数学の計算で、注意力がないとミスを犯し、減点となる。他の教科でも、同様なことが言える。「正答がわかっていたのにうっかりして間違った」ということは「全くわからない」ということと同等扱いとなるのが、ペーパー試験なのである。「うっかり」は医療では許されない。ペーパー試験で、ある程度は「注意力」の低い人間を排除できることになると思う。(個人的には、このような数学や英語といった教科以外に、注意力を試す適性試験が入試に課せられるべきだと考える。)

医学部での教育ではどうか。定期試験や実習で「注意力」が少しは鍛えられるだろう。だが、ふるい落としほどの効果はない。

医師になって直後の研修医制度だが、ここでは、もう「医師」なのだから、ミスを犯してはならない状況に突入している。注意力散漫な医師に担当された患者は地獄だろうな・・・。

あわれ、中年官僚たちの末路

2009.12.20

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(3)


〈事務次官がなくなる?〉

公務員制度改革を担当する仙谷由人行政刷新相が、とうとう事務次官廃止論をぶちまけた。「社長のほかに事務方のトップがいるような組織形態は見たことがない」というのが理由らしい。

一般的な会社組織を基準に考えれば、妥当な発想かもしれない。大臣を「社長」に例えると、副大臣、政務官は「重役」。だが、実情はその下に位置するはずの事務次官が、官僚たちにとっては「我らが社長」となっている。官僚にとってみれば、大臣という社長はコロコロ変わる「お客様」の社長に過ぎないのが現状であった。

しかし、「政治主導」新政権の仙谷大臣は、省庁という三角形の頂点に、大臣等政治家がいて、残りの「台形」部分の「上底」部に官僚のトップとして各局長を置くという考えのようだ。

かつて、東大を卒業し、中央官庁に就職し、目指すは事務次官というのが、立身出世の典型だった。「官僚たちの夏」でも登場した、いわゆる「次官レース」というのは、どこの民間会社でもある「社長レース」同様、当該組織で働くモチベーションになっていることは否定できない。「エラくなるために働く・努力する」というのは、果たして卑しいことなのだろうか。官僚たちの目指す頂点のポストが廃止されれば、どうなるだろう。省庁全体として継続的に政治家と事務方を繋ぐ事務方トップがいなくてよいのだろうか。事務次官を目指して粉骨砕身中の中堅官僚たちのモチベーションが下がりはしないだろうか。


〈最も悲惨なのは中年官僚たち〉

それにしても、明治以後綿々と続いてきた事務次官会議の廃止を実行したと思いきや、今度は事務次官そのものの廃止とは・・・。霞が関で働く40歳代以上の官僚たちのためいきが聞こえてきそうだ。
今、40歳代、50歳代の官僚たちは、まだ、官僚という職業がある程度憧れられた時期に、入省してきた者たちだ(もっと若い世代は、「官僚の前途は厳しい」ことを踏まえて官僚になっているので、今更そんなには落胆していないだろう)。営利追求の民間企業で働くより、天下国家のために働こうという美しい志を持っていた(かくいう私もだ)。ただ、旧態依然とした巨大「官僚組織」の中でいるうちに、だんだん「保身」の傾向が強くなり「変化」を嫌う人種に劣化していく。そして、妻や子の扶養や老後の生活が大事となり、「天下り」でもして現役時代の安月給の補填をしてもらおうと考えるようになる。

官僚バッシングが当たり前の世の中になってしまい、妻子が世帯主の職業を隠すほどに「官僚」のイメージは下落した(例:幼稚園に通う子供をもつ母親が、夫が官僚であることを母親仲間に隠しとおす)。もう、「天下り」はできないだろう。そのぶん、定年の60歳まで役所は雇ってくれるだろうか。仮に減給の上で60歳まで雇ってくれたとして、その後は年金支給時期につながるのだろうか。結婚が遅い者だと、60歳くらいでは、まだ、大学生の息子や娘がいるかもしれない(いや、高校生かも)。カネが最もかかる年頃だ。「天下り」先の高給や退職金で娘の嫁入り支度をと思っていたのに、なんてこともあるかもしれない。


〈官僚が民間で使いものにならない理由〉

 それでは、「天下り」なんか、あてにせず、自分で道を拓けよ・・・世の中の論調として、「官僚は、天下りなんかしないで自力で再就職せよ」というのがある。一見ごもっともだが、役所という職場で20年以上働いてきた人間が民間で使いものになるだろうか。
①経営感覚なし、コスト感覚もありません
②経理とか会計とか、全くわかりません
③接客業なんかしたことありません(そもそも人にアタマを下げる習慣がない)
④したがって、お客に対する正しい敬語の使い方を全く知りません
⑤東大等一流大学を出ているのでプライドが高いです
⑥法律の文とか国会答弁書とかなら書くのが得意です
⑦役所でそこそこの給料(官僚は若いときは薄給だが、エラくなると結構高給になる)をもらっていたので、まぁ年収1000万円は頂きたいです。

ざっと言うと、こういうのが霞が関のキャリア官僚たちの求職条件だろう。こんな人間を雇ってくれる民間企業ってあるだろうか。
要するに、20年以上も「官僚の世界」にどっぷりと浸かっていると、上記のような求職条件の人間になってしまう。いわば、世間的に見れば、handicappedの人間なのだ。だから、役所に準じた○○法人の中で仕事させるしか、活用方法がないのである。そう考えると「天下り」はこのようなhandicappedの人間の救済措置であると言うことができる。


〈こんな「隠れ天下り」もある〉

国税庁・税務署OBは無試験で税理士になれるというのは、全く厚かましい「天下り」にほかならない。仕事しながら、又はそれ専門で、一生懸命に受験勉強してきた人たちから見れば腹立たしいに違いない。この不景気の中、税理士試験は、資格の中でも(司法試験、公認会計士試験ほどでないにしろ)難関となっている。ある税理士の方が、国税庁・税務署OBも、せめて税法1科目と会計1科目くらいは受験させ合格することを資格取得の条件とすべきだと主張されていたが、至極まともなご意見だと思う。

やはり、この仕組みも、国税庁・税務署が財務省の組織であることに鑑みれば、「霞が関の財務省支配」の一つといっても過言ではない。


〈「大蔵支配」は続くよ、どこまでも〉

「大蔵支配」「財務省支配」が続く。「脱官僚」を御旗に政権を奪取した民主党だが、この3か月やっていることをみれば、???だ。そもそも財務大臣が大蔵OBだし、大騒ぎした日本郵政の社長も大蔵OB、そして、話題の「事業仕分け」も財務省主導。こうやって見ると、もともと、民主党は、「脱官僚」といいながら、政権運営のためには、100%官僚と縁を切るわけにいかず、官僚機構の中核・中枢の財務省と結託することとしたと考えるのが妥当だろう。
そこで、思い出すのが、あの故中川昭一財務大臣の「酩酊会見」。
官僚は、大臣に恥をかかせないのが当たり前の大前提。あの麻生首相が漢字を読めないことを暴露させたのは首相側近の官僚たちの無能さゆえ(麻生さんが外務大臣や総務大臣のときは、そんなことはバレなかった。外務官僚や総務官僚がうまく隠していたのだ。)と思われる。まさか、自民党政権末期を確信して、首相官邸官僚が民主党と連携して「首相無学」を世間に知らしめようとしたわけではないだろう。

中川さんの場合は、どう考えてもおかしい。ローマに同行した多くの財務官僚たちは何をしていたのか。彼の記者会見前の状態を見て、「体調不良につき会見中止」あるいは大臣代理が会見するなど措置を講じることができなくはなかったはずだ。つまりは、水面下で民主党と連携していた財務官僚たちが自民党下野への決定打の一つとして、「よいどれ会見」を行わせたに違いない。

ということで、大蔵省から金融部門がはがされ、財務省に省名変更され、霞が関でのダントツ地位が若干ながら地盤低下していたところで、民主党への政権交代をテコに、再び霞が関ダントツ省庁に復権したのだ。


〈やはり心配な日本の将来〉

 たかが群馬の田舎の「一介の町医者」ながら、日本の将来を心配している。「河辺啓二の主張」でも述べているように、官僚のなり手が昔より減っている。今の状態を見れば、多くの若者が、一般の省庁の官僚なんてなりたいとは思わないだろう。まぁ、財務省ならいいかな、ってところか。その財務省でさえ、「質の低下」が顕著になっているという。

マスメディアが「官僚」をあまりに「悪者扱い」しすぎた。このまま、官僚の質低下が続くことは、我が国の行政の劣化が起こることにつながる。だが、最近になって、わずかながらこのことを見直す発言をする人が出てきている。今年7月に私がVTR出演した、日本テレビ(読売テレビ)「情報ライブ ミヤネ屋」の中で、司会の宮根誠司が次のようなことを言っていた。

「(関西大学しか出てない)私ら、遊び回っている頃、一生懸命勉強して東大入って官僚になった人だから、高い給料もらってええんじゃないか。」

このことに、コメンテーターの春川正明も同調していた。私も、テレビを見ながら、笑い、頷いたものだ。

無知蒙昧な政治家たちによる事業仕分け

2009.11.29

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(2)


〈「事業仕分け」ってなんだ?〉

新政権の行政刷新会議の事業仕分けで医師が処方する医療漢方薬を「公的医療保険の適用外」とする方向で結論が出た。当然、これに対し日本東洋医学会などから猛反発が噴出している。

新政府は、行政刷新会議、国家戦略室などと、一見カッコいいネーミングを呈しているが、「刷新」はともかく「戦略」とは恐れ入った。もちろん、warの意味でなく、strategy、tacticsの和訳から来ているのだろうが、「戦」の字が入っていることに違和感を抱く人が多いのではないか。日本の軍事情勢に過剰反応しがちな、漢字本国の中国あたりから、何のリアクションがないのが不思議に思える。今のところ、依然として、国家戦略室トップの菅直人大臣らは、なりを潜めているが・・・。

一方の「刷新」のほうは、この事業仕分けで、連日のように、テレビ、新聞等で報道されている。報道されている内容を見聞きするに、民主党国会議員をはじめとする「仕分け人」たちの無知と横暴さにはあきれてしまう。


〈教育や科学に費用効果原理を持ち込む愚かさ〉

科学の「か」も知らないような、例えばフラスコや試験管も触ったこともないようなド素人が科学技術予算を容赦なく削減していく。ノーベル化学賞の野依先生の「歴史という法廷に立つ覚悟はあるのか」という言葉は、見事だ。「歴史という法廷」という(われわれ凡人が思いつかないような)言葉が出るとは、さすがはノーベル賞科学者だ。我が国が、曲がりなりにも世界の先進国の一員であるのは、広くはない国土、乏しい天然資源の中で、優れた科学技術を駆使し、国民が勤勉に働いてきたからではないか。自然科学の研究に収益性なんか求めるバカ国会議員を選出したわれわれ国民も悪いのだが。

〔野依先生がかような名言を吐いたが、オールドロックンローラー内田裕也もいいこと言った。彼は、行政刷新会議の事業仕分け最終日となった27日、当会場を見学に訪れた。“ロック界代表”として傍聴し「自分らの給料下げろっていうんだよ」など“裕也節”を全開した。たしかに、国会議員には、一人当たりなんと年間3400万円以上もの歳費が税金で支払われている。内田氏の言うように一人百万円でも削れば、全体で何億円もの「人件費」が浮くことになる。この発言に拍手喝采した国民は多いのではないか。〕

教育も同様に費用効果が見えにくい。「高校授業料無償化」よりやらなきゃいけないことが山ほどあるのではないか。私が農林水産省OBなので農業予算を庇う気持ちがあるわけではないが、農業も、収益性にはなじみにくい面があることを理解してもらいたいものだ。更に言うと、医療・介護・福祉も収益性うんぬんの議論になじまないことは当然なのだが・・・。


〈外務省の在外公館予算見直しは評価できる〉

 事業仕分けの会場が、印刷局の体育館というのが、いかにも国民ウケを狙ったような気がする。まるで、村民か町民の集会場のようだ。ホテルといったおカネのかかる場所ではないですよ、という新政権の精一杯のアピールなのだろう。ただ、テレビ放映の際、注意して見てみると、事業仕分け人のおエラ方だけ立派なソファーチアーに座り、叩かれ役の官僚たちは折りたたみ式の簡易椅子に座っていることがわかる。まぁ、ロコツなものですなぁ。

あほらしい結論の多い事業仕分けだが、一つ賛同するものがあった。外務省関連予算だ。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも糾弾した在外公館の贅沢な予算にチェックが入ったのだ。自民党政権下では、手をつけられなかったものだ。外国のことはよくわからないというのがオモテ向きの理由だが、なんのことはない、在外公館とは、自民党のセンセイ方が「海外視察」の名目で外国を訪れた際の「国立交通公社」、しかも、全額税金でまかなう、無料の旅行サービス社なのだ。政治家たちへの接待は、泊まりたいホテルの部屋、行きたいレストラン、乗りたい特急車のお世話に加えて、更には高級売春婦の斡旋までさせられていたようだ。さて、民主党政権下、このような多くの国民が知らない破廉恥な「事業」は消失したのだろうか。


〈財務官僚たちの高笑いが聞こえてくる〉

 「負け組3省」という言葉がある。新政権で叩かれる3省庁のことで、私の古巣・農林水産省と公共事業の総本山・国土交通省、そして最大予算を抱える厚生労働省だ。そのとおり、これら3省は大負けしているが、ひとり勝ち組で我が世の春を謳歌している省庁がある。財務省だ。政権を初めて奪取し、与党経験のない、民主党にとって、すべての省庁を「敵」にするのは、得策ではない。そこで、「省庁の中の省庁」財務省を取り込み、タッグを組むこととした(財務省大物OBの「天下り」を特別扱いで容認しているしね)。
財務省は、なにしろ、国税徴収権と国家予算編成権を持つため、他の省庁とは全く別格だ。そのことで、一般省庁(その他大勢の一つ)・農水省にいた私は、官僚時代、当時の大蔵省に強い劣等感と憎悪を抱いたものだ。(財務省別格論は、私と同様、東大理系出身で、私と同じ年に同じ「経済職」で大蔵省に入省した高橋洋一氏も、著書の中でよく述べている。最近においては、彼は「『国家戦略室』や『行政刷新会議』も財務官僚に占拠された」と表現している。)

 霞が関の全省庁の予算査定をする財務省であるから、主計局の各担当者は各省庁の事業内容にもかなり精通している。主計局の中に、「農林係」「公共事業係」などと省庁別に主計官、主査が分かれており、いつでも他省庁の担当者を呼びつけて情報を得ることができる。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも述べたが、主計局の係長クラスが他省庁の課長補佐・課長クラスを平気で呼びつける。私は見たことがないが、机の上に脚をのせたまま、対面する他省庁の官僚にお説教をする尊大な大蔵官僚もいたらしい。


〈「現場」を知らない政治家・官僚に、政治・行政をすべて任せていいのか〉

 今回の漢方薬保険除外論も、財務省のシナリオどおりであることは明白だ。昔から、漢方薬、湿布薬、うがい薬、ビタミン剤は、「保険から除外せよ」と一部から言われ続けてきた。しかし、保険適用が継続してきたのは、業界の反論だけでなく、それなりの理屈があったからであろう。バイアグラやプロペシアに保険が適用されないのは納得するが、これらの薬剤は、保険診療の埒(らち)内にして整合性がとれるものだ。

要するに、医療現場を全く知らない財務官僚と民主党議員の戯れ言だ、と言いたい。まぁ、厚生労働官僚も医療現場を知らなさ過ぎて困るのだが。

医療だけではない。教育も、農業も、とにかく「現場」に疎い官僚・政治家が、世の中を動かしている・・・。

そこで、私は提言する。政治家は選挙の洗礼を受けるのでしかたないとして、行政官は、ある一定割合以上の人が「現場」経験者でなければならないとする制度はできないものか。厚生労働省なら、臨床医や介護福祉士、農林水産省なら、農業者や漁師、国土交通省なら、トラック運転手や建設現場担当者とか・・・。

加山雄三は70歳代の星

2009.11.29

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・・・・・・・河辺啓二の音楽論(2)

11月23日、東京・中野サンプラザの加山雄三withザ・ワイルドワンズコンサートツアー「湘南 海 物語 オヤジ達の伝説」に行って来た。一人で観る(聞く)のもナンなので、いつも一緒に外出する十歳年下の妻をやや強引に誘って行った。加山雄三が72歳と聞いて「親と同世代じゃ、ほとんど曲知らない」と言うので、コンサート1週間前に「加山雄三グレイテスト・ヒッツ」というCDを買い求め「予習」させておいた(コンサートに来て知らない曲ばかりだとつまらないものですよねぇ)。
観客は、予想どおり、平均年齢60歳代後半といったところか。中には杖をついてやっと歩行されるご老人もいた。妻がyoungestに近いほどであった(笑)。


〈私が初めて加山雄三を聞いた頃〉

加山雄三が映画デビューしたのが1960年の23歳時、歌手デビューしたのが翌61年らしい。私の記憶にあるのは、小学生だった1965年~66年の大ヒット曲「君といつまでも」だ。当時、レコード盤ならぬソノシート盤(赤色でペラペラの薄さのもの。若い人はわからないだろうな)で聞いていた。その頃、漫画雑誌の通信販売で一枚200円くらいでソノシート盤が購入でき、長兄の安物のポータブルレコードプレイヤーで聞いたものだ。カップリング曲は「夜空の星」だった。


〈幻のレコード大賞「君といつまでも」〉

1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、翌66年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まった。このことについて、長兄から「加山雄三は、本職が歌手でなく俳優だから」落選したらしいと聞いたことを覚えている。


〈私にとって2度目の加山雄三ブーム〉

 特に加山雄三の映画も見ることもなく、中学、高校と進み、再度、加山雄三の曲を口ずさむようになったのは、大学一年生の二十歳ころだった。その頃、ベスト盤とともに、新作「海 その愛」のレコードを買い、何度も聞いた。楽譜本も買って、ヘタなりにギター弾き語りしたものだ。当時、社会でも加山雄三がちょっとしたブームだった。

 多くの方々はご存知だろうが、彼は、あのユーミンより、桑田佳祐より、ずっと前の時期から自ら作曲して自ら演奏して歌う、日本の「シンガーソングライター」の草分け的存在なのである。作曲者としての名前は「弾厚作」。


〈中年になって聞く(歌う)加山雄三〉

1989年、結婚し、医学部生として新生活に入った私だが、その頃大好きだったTV番組が日本テレビの「知ってるつもり?!」だった。非常に優れた番組で、歴史等いろんなジャンルで有名な人物を毎回ひとり採り上げていた。基本構成は、対象となる人物の再現VTRを見ながら出演者がコメントするというものであった。採り上げられる人物については、一般的に認知されている事柄以外の意外な一面にスポットを当てようとした構成を取っており、従来の既成の観点とはひと味違った観点で楽しめた。司会は関口宏で、加山雄三は、レギュラーパネラーのリーダー的な役割を果たしていた。杉原千畝など、番組放送当時、一般にはあまり知られていなかった人物の功績や活躍を取り上げることもあり、視聴者の中には、番組を観たことでそれらの人物の名前を知ったという者も多いという(恥ずかしながら、杉原千畝については、私もその一人)。

加山雄三の曲は歌いやすい。ご本人が歌いやすいように、キーを高くしていないし、音域も広くしていないからだ。だから、私は、彼のヒット曲をほとんどカラオケで歌える。私がカラオケで歌う邦楽といえば、加山雄三とタイガース等グループサウンズとアリスくらいかなぁ。


〈加山雄三は中年・老年の星だ!〉

 さて、コンサートに話を戻そう。72歳という御年なのに、声量に衰えは全くなかった。考えるに、サイモン&ガーファンクルが68歳、ポール・マッカトニー67歳、ミック・ジャガー66歳より、何歳も上なのだ。やはり、加山雄三はスーパースターだ。70歳過ぎても新曲をリリースしている。

コンサートの中では、「弟子」のワイルドワンズの曲は「思い出の渚」しか知らないとさかんに揶揄していたが、彼一流の可愛がっている弟分へのジョークだろう。
コンサートでは、以下のとおり、多くのヒット曲を披露してくれた。

加山雄三は、
「海 その愛」、「二人だけの海」、「ある日渚に」、「光進丸」、「夜空の星」、「蒼い星くず」、「夕陽は赤く」、「夜空を仰いで」、「お嫁においで」、「想い出の渚」、「君といつまでも」、「ぼくの妹に」、「サライ」、「旅人よ」、「恋は紅いバラ」など。
(私のよく知る曲で歌われなかったのは「霧雨の舗道」「白い砂の少女」「美しいヴィーナス」くらいかな)

加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズは、
「白い水平線」、「愛するアニタ」、「青空のある限り」、「夕陽と共に」「思い出の渚」など。

更に、加山雄三が、次の洋楽を歌ったのは意外だったが、もともとプレスリーやビートルズの影響を受け、英語も堪能となれば、当然かと・・・。
SOMETHING(もちろん、ビートルズの曲)
AMAZING GRACE
MY WAY

新型インフルエンザワクチンの行方(2)

2009.11.29

・・・・・・河辺啓二の医療論(2)

初の理系宰相の新政権に期待した医療行政なのだが、早くもオソマツさを露呈している。国だけでない、地方公共団体も、そして医師会も。新政権医療政策の喫緊の課題が新型インフルエンザ対策だが、そのワクチン施策は、あまりに「遅拙」だ。


1 供給が少ない!
半年も前から、日本中で大騒ぎとなりながら、やっと新型インフルエンザワクチンができ、供給できるようになったのが10月。被接種者のトップバッターとして選ばれたのが、医療従事者で、10月19日から始まったと報じられた。
ところが、私ら地方の診療所の手元に届いたのは10月の終わりで、しかも要求した人数分にはほど遠く、次回の、喘息や糖尿病等の基礎疾患を有する優先患者の分を充てざるを得ない事態となった。
ワクチン供給が少ないのは、私ら小規模医療機関だけでなく、入院設備を持つ総合病院も同様のようだ。例えば、つい先日、ある総合病院勤務の看護師が「医療従事者だから優先して接種してほしい」と私の診療所に来院した。聞いてみると、供給されたワクチンは、医師、外来担当看護師だけで終わってしまい、自分らのような病棟担当看護師まで回らなかったという。同情し、接種してあげたものだ。


2 供給が遅い!――なぜ集団接種を推奨しないのか
今、新型インフルエンザに罹患した患者で、全国の病院、診療所はごった返している。同時に、喘息や糖尿病など持病を有する患者、年少者への優先接種が行われている。従来の季節性インフルエンザワクチンは、毎年流行期の冬の始まる前の10月、11月に行われていた(今年もそうだが)。ところが、今回の新型インフルエンザワクチンは、流行期の真っ只中に行われているのだ。要するに、40℃近い発熱で新型インフルエンザに罹患した患者が何人もいる場所で、健康状態にある人がワクチン接種の順番待ちをしていることになる。もちろん、病院側は、発熱者を待合室と別の部屋に入れたり、駐車場の車内で待機させたり、最大限の工夫をしているが、限界がある。特に小規模の診療所にいくつもの待機部屋はない。
健康状態のよい人だけが、定められた時間帯に集まって、例えば地域の保健センターで接種すれば、罹患のリスクがなくなる。ところが、国、県は、そのような集団接種の推奨をしない。すべて市町村にお任せの構えなのである。地域によっては、保健センターや保育園、幼稚園、小学校での集団接種が行われているようだが、今のところ少数派のようだ。


3 助成が全くなし
「こども手当」でカネばらまくくらいなら、ワクチンの助成くらいできないものか。一人3600円×1千万人=360億円の予算は、全額とするととても捻出できないだろうが、一部助成してもよいのではないか。やはり、国は地方公共団体に「丸投げ」しており、ごく一部の市町村で助成されているやに聞いている。
そもそも国が価格(1回目3600円、2回目2550円)を設定し、クスリ問屋からの納入価まで決めていながら、全く公費負担がない。こんなこと、今までのワクチンであっただろうか。BCG、ポリオ、麻疹風疹ワクチン、三種混合(DPT)ワクチン及び日本脳炎ワクチンは、公費で行われ、該当年齢の患者は負担なしだ。「任意」と呼ばれる、おたふくかぜや水痘のワクチン、そして最近行われるようになったヒブワクチンは、患者が全額負担で、価格は病院の自由設定となっている。これら従来のワクチン価格施策は、いちおうの説得力がある。ところが、今回の新型ワクチンに関しては、公費ゼロなのに価格が一律設定されており、???と感じざるを得ない。


4 10mlバイアルを考えた犯人は誰だ?
国会で、長妻厚生労働大臣が、前大臣の舛添さんの質問に対し、10mlバイアルのほうが(生産が)低コストだからと答弁したらしいが、いかにも年金問題には強いが、医療問題に疎い長妻さんらしい。もちろん、厚生労働省の官僚(医系技官を含む)の意見も踏まえてのことだろうが、医療行政に係る官僚も政治家も、あまりに医療の現場を知らなさ過ぎる。成人で0.5mlだから、1バイアルで20人を当日中に使いきらなければならない。例えば、15人しか来なければ、残りの5人分は廃棄される。もし22人だったら、(2バイアル開けて)18人分廃棄となる。供給量が少なくて困っている状況でこのようにしなさいと「お上」はおっしゃるのであろうか。
当初の計画では、ワクチン供給後半戦で、10mlバイアルをどんどん増やすようだったが、あまりの不評で、来年になると10mlは止めることが決まった。いつも「後手後手」の日本の行政は、新政権になっても、ちっとも変わらない。


5 返品ができない新型ワクチン
 注文しても、数割しか入荷できない。もし、残った場合、返品不可、というのが薬剤問屋からの指令だ。こんな商取引、あるのだろうか。患者さんからワクチン予約をもらっても、都合でキャンセルされることは多々あるものだ。しかし、医療機関から問屋にキャンセル返品はできない。医療機関によっては、患者さんから「前払い」方式をとるなどの対策を講じているところもあるらしい。
 要するに、国は、新型インフルエンザワクチンに関する経済的リスクをすべて医療機関に負わせようとしているのだ。「医は仁術」だからそれくらいやれ、というのだろうか。それなら、そうと正直に「お願い」してほしいものだ。われわれ民間の医療機関は、公共的な「医療」を行う際、どうしても「経営」という視点を考えざるを得ない。いくら公共の福祉に資するため、とはいえ、赤字とわかる事業を行うことはできない。「今回の新型インフルエンザだけは、(国家的な緊急課題だから)経営を度外視してくれ」と政府から日本医師会に協力要請したらどうだろうか。

ユーミンはやはりスゴイ!

2009.10.26

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(1)

10月3日、東京・国際フォーラムの松任谷由実「TRANSIT2009」最終公演に行って来た。今年4月から始まった同コンサートツアーのまさに最終日なのだが、なんと私は強運なのでしょう、その「千秋楽」に最前列のしかもド真ん中の席であったのです。


〈私が初めてユーミンを聞いた頃〉

 いったいいつから私はユーミンを聞くようになったのだろう。私にとってユーミンは「荒井由実」だった。四国の高校を卒業し、東大に落ち、浪人していたときだろうか、それとも、一浪の後東大に入って間もない頃だろうか、当時中央大学の学生だった実兄の持っていた「ひこうき雲」「ミスリム」「コバルトアワー」の3枚のLPを何回も聞いたものだ。もちろん、その頃CDなんてあるはずがなく、レコード盤に針を落として、あの「シャー」という音とともにユーミンの音楽を楽しんだ。

 麻雀にうつつを抜かしていた大学一年生の頃、シングル「あの日にかえりたい」が大ヒット、続く「翳りゆく部屋」もヒット。大学の漫画倶楽部の汚い部室で下手なギターを弾きながら「翳りゆく部屋」、そしてバンバンに提供されヒットした「いちご白書をもう一度」を歌ったものだ。

 1970年代の若い大学生の愛好する日本の音楽といえば、小椋桂と荒井由実である。70年代前半から売れていたこの2人に遅れること数年、70年代後半からブレイクしてきたのがサザンオールスターズであった。思うに、自ら曲を作り歌い演奏するアーティストで、30年以上も日本の音楽シーンのトップを維持しているのは、ユーミンとサザン(桑田佳祐)が双璧であろう。カラオケの歌本に掲載されている彼らの曲の多さに驚嘆するのは私だけではないだろう。ちなみに、有線放送USENのチャンネルリストには膨大なチャンネル番号が載っているが、個人アーティストだけで1つのチャンネルを占めるのは日本人で4組だけ(美空ひばり、石原裕次郎、サザンオールスターズ、松任谷由実)、外国人で6組だけ(エルビスプレスリー、ビートルズ、カーペンターズ、エリッククラプトン、ボブデュラン、ローリングストーンズ)である。


〈ユーミンはマイケルジャクソン並みのエンターテイナーか〉

 おじさん医学生だった頃から、好きな外国人アーティストが来日した際、東京ドーム、日本武道館、東京国際フォーラムなどで行われるコンサートに行くようになった。ポールマッカートニー、ローリングストーンズ、サイモン&ガーファンクル、(ビージーズの)ロビンギブ、アース・ウィンド&ファイア、ボブディラン、エルトンジョン&ビリージョイルといったところか。

そのかわり、邦人アーティストのコンサートは、ほとんど行ったことがない。数年前に地元群馬県の市民公会堂の堀内孝雄のそれを見たくらいだ。このとき、アリスが好きな私は「なつかしの」アリスソングを期待したのだが、それはわずか数曲で、ほとんどソロになっての演歌調の曲であった。ちょっと残念だった。

ファンが聞きたい昔のヒット曲はほとんど「封印」して、なるべく新しい曲を披露するという姿勢は「現在進行形のアーティスト、COMPOSER」としてのプライドなのだろう。今回のユーミンのコンサートでも、私のよく知る「荒井由実」の曲は少なく、新作アルバム「そしてもう一度夢見るだろう」の曲をはじめ1980年代以降の曲を多く披露した。通常、知らない曲が多いコンサートは退屈になるものだが、全くそうではなかった。

一つには、新しい曲なのに、昔と変わらないユーミンの作風であるため、初めて聴いたようには思えない親しみが沸いてくる曲が多い。作風が変わらないといっても、陳腐さは微塵も感じられないのだ。加齢現象で今時の歌はなかなか覚えられない私でさえも、不思議と口ずさめてしまうのである。

もう一つは、ユーミンが見せる(魅せる)ショーであるということだ。個性的なメンバー揃いのバックバンド(特にパーカッションが印象的)、バックコーラスを従え、何度も衣装替えし、踊りあり、フライ(ピアノ線で吊っていた)あり、マジック(火が燃えたり、姿が消えたり)あり、・・・と全く退屈さを感じさせない。


〈他のアーティストたちのコンサートとの比較〉

このユーミンのコンサートの直近に観たコンサートは、7月11日、東京ドームのサイモン&ガーファンクルだが、彼らはほとんど「定位置」で歌うばかりであった。

ポールマッカートニーも、おおむね「定位置」だったが、ローリングストーンズのミックジャガーは、60歳代でありながらステージの端から端まで駆けて歌うなど、サービス精神は旺盛だった。

加齢による歌声の劣化は、いたしかたないと思う。55歳のユーミンの歌声は劣化していなかった。かつて東京ドームで観たポールマッカートニーも、また、ミックジャガーも往年の歌声であった。ちょっと淋しく感じたのは、数年前東京国際フォーラムで観たロビンギブと今回のガーファンクルだ。ファルセットで「Staying Alive」「Night Fever」など大ヒット連発していたビージーズだが、ロビンギブは、加齢のためかファルセットなしで「地声」で歌っていた。ちょっと盛り上がりに欠けた。

今回のサイモン&ガーファンクルは、13年前来日の際より多く歌ってくれた(前回はガーファンクルの体調不良のため曲数が少なかった)。ただ、68歳という年齢で、20歳代に発表した「明日に架ける橋」「スカボローフェア」の美しい高音を求めるのは酷であろう。サイモンはもともと美声ではないで、若い頃と大きな変化がないように聞こえるが、ガーファンクルの声は、どうしても往年の美声より「かすれた」声になっていたことは明らかであった。


〈ユーミンコンサートの曲は・・・〉

話が逸れた。最後にコンサートで披露された曲目を紹介する。ともかく、その歌声、動き、容貌の若々しさに脱帽。
航海日誌・・・・・・・・・・・・・・・・COBALT HOUR(1975)
ベルベット・イースター・・・・・・・・・ひこうき雲(1973)
ピカデリー・サーカス・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
 時のないホテル・・・・・・・・・・・・・時のないホテル(1980)
Bueno Adios・・・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
まずはどこへ行こう・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
黄色いロールスロイス・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
幸せになるために・・・・・・・・・・・・acacia(アケイシャ)(2001)
やさしさに包まれたなら・・・・・・・・・MISSLIM(1974)
ハートの落書き・・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
夜空でつながっている・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
自由への翼・・・・・・・・・・・・・・・U-miz(1993)
青いエアメイル・・・・・・・・・・・・・ OLIVE(1979)
ジャコビニ彗星の日・・・・・・・・・・・悲しいほどお天気(1979)
Flying Messenger・・・・・・・・・・・・そしてもう一度夢見るだろう(2009)
守ってあげたい・・・・・・・・・・・・・昨晩お会いしましょう(1981)
Forgiveness・・・・・・・・・・・・・・A GIRL IN SUMMER(2006)
14番目の月・・・・・・・・・・・・・・THE 14th MOON(1976)
水の影・・・・・・・・・・・・・・・・・時のないホテル(1980)

ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ・・・・VOYAGER(1983)
埠頭を渡る風・・・・・・・・・・・・・・流線形'80(1978)
DESTINY・・・・・・・・・・・・・・・悲しいほどお天気(1979)
二人のパイレーツ・・・・・・・・・・・・U-miz(1993)
卒業写真・・・・・・・・・・・・・・・・COBALT HOUR(1975)

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