・・・・・・・・・・・・東日本大震災(11)
〈放射性物質より軽い首相の「脱原発」発言〉
ドイツのように有力な環境政党もなく、イタリアのように国民投票制度もない我が国は、いまだ「国家」としての「脱原発」の方針が固まっていない。レイムダック(死に体)の首相の「脱原発」発言など、今なお福島県の大気中に浮遊する放射性物質より軽いものとなっている。
もちろん、隣接国から電力供給可能なヨーロッパの国と島国日本は事情が異なることはわかる。ただ、世界で唯一の核被爆国で、今回、人類が経験したことのない長期の原発放射能汚染を目の当たりにしている当の日本の為政者が、事故後4か月以上経っても、「脱原発」の方針を旗幟鮮明にしていないとは、誠に情けない。
〈国・電力会社の許され難き懐柔策〉
最近、原発に関する多くの情報を知る中で、最も納得したのは、「国も電力会社も、原発が絶対安全ではないと知っているから、送電コストの小さい、電力需要の大きい人口密集地の近くでなく、送電コストのかかる遠い過疎地に原発をつくる。もし事故が起きたとき、被害が少なくてすむから」という意見だ。まさに正鵠を得ている。莫大な交付金や大量の雇用創出という「分厚い札束」で過疎地の貧しい自治体や住民の頬をぱたぱたと叩いて「ほんのちょっとだけ危ないかもしれないが、この大金やるからいいだろ?」という構図だ。これが日本全国の原発立地市町村で行われて来たのだ。
〈経済停滞は一代、遺伝子異常は末代〉
原発廃止反対の理由としては、原子力発電がなくなれば、電力コストが上昇し、海外へ工場が移転するなど「産業の空洞化」が進んで我が国経済が停滞するとされている。更には、原発及び原発関連産業に携わる多くの人々が失業することも挙げられている。確かにこれらの反対意見は無視できない。しかし、仮に、ストレステスト(耐性検査)をクリアし安全操業が徹底されたとしても、地震大国・日本で今後、福島原発事故のようなシビアアクシデントが起こらない保証は全くない(「ストレステストでは想定できなかった」とでも釈明することだろう)。私たち国民が認識しなければならないのは、放射能汚染は私たち現世代だけでは終わらないことだ。放射能で傷ついた遺伝子は子孫に受け継がれていく可能性が大きい。現にチェルノブイリで被曝した人たちの子に遺伝子異常が生じていることが判明しているではないか。
「産業の空洞化」による経済停滞は、せいぜい一世代止まりだろう。科学技術ポテンシャルの高い我が国は、いずれは自然再生エネルギーが原子力発電の穴を埋めるほどに進化・成長するものと期待してよい。もちろん、直ちに原発を全廃することは日本社会の混
乱を招くことは必至であり、新しいクリーンなエネルギーが大規模に利用できる段階に達するまでは原子力発電は過渡期のエネルギーとし、数十年後には原子力発電から完全撤退すべきだ。それまでの間、国民は、冷暖房・照明を減らす努力・工夫を続け、政府は、節電に協力的な企業の経営や原発関連産業の人たちの転職・雇用に対して支援を行いながら、国全体としては経済停滞を甘受していくことが妥当ではないだろうか。経済を選ぶか、安全と健康を選ぶか、となれば、多くの国民が後者を選ぶに違いない。「経済停滞は一代、放射能汚染は末代」と肝に銘じるべきだ。
〈代替手段のない医療と原発は違う〉
私の従事する医療との比較においても、原発不可欠論は砂上の楼閣となる。
医療において、ミスは許されず「絶対安全」が前提になっている。にもかかわらず、医療過誤事件や薬剤・ワクチンによる重篤な副作用の発生が度々報道される。(医療過誤まで至らない「ヒヤリハット」や軽度の副作用事例だと、無数に潜在している。)
「絶対安全」が不可能だから医療行為は全廃できるか。それはできない。医療に代替するものがない。祈祷や超能力で病気が治るわけではないことは、現代人は知っている。(医療ミスの最小化や副作用問題対策などに政府も医療従事者も鋭意努力しているところだ。)
電力等エネルギーも、現代社会には不可欠になっている。しかし、果たして原子力発電が不可欠なのか。前述のとおり、今後、完璧な安全管理で原発が運用されたとしても、我が国のような地震大国において、今回のような「想定外」のことは起こり得る。明日、「想定外」の大地震が起こるかもしれない。「想定」はあくまで有限であり、無限の「想定」は不可能なのだから「100%安全」はあり得ない。
発電手段が原子力だけではないのだから、医療のように全廃できないという理屈は成り立たない。
〈伊方よ、「イカタ」にならないで〉
四国電力伊方原発は、いつ大地震が来るかわからない、日本最大の活断層「中央構造線」上に建設されており、しかも、現在停止中だが、その3号機は、「人類が遭遇した物質のうち最強の毒物」に属すると言われるプルトニウムを使用する「プルサーマル」発電だ。ひとたび事故が起これば、私の育った大洲市を含め、広範囲の地域、緑深い四国の森や青々とした美しい瀬戸内の海を一瞬にして大量汚染することだろう。「伊方」よ、「イカタ」にならないでくれ。
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今まで主張したことも含め、ふるさと愛媛の伊方原発を念頭において書いたものです。
長くなったため縮約され、2011年7月24日付け愛媛新聞「道標」に掲載されました。
実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。