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記事一覧

2011年回顧録

2011.12.31

〈「想定外」の2011年〉
2010年は、妻の母が71歳で急死し、私と妻にとっては最悪の年だった。今年こそはよい年になるだろうと楽観して迎えた2011年の70日め(3月11日)にとんでもないことが起きてしまった。(天国の義母は何と思ったことだろう)

〈震災後の苦悩〉
当ブログでもたびたび取り上げてきた。「東日本大震災」という分類を新たに設けたほどだ。この未曽有の災害及びそれに伴うあのフクシマで私たちの生活態度が変化したことは明らかだ。地震後、私は医師として、同じ日本人として、いや人として何かすべきではないかと自問自答で悩んだ。多数いる「私の患者さんたち」を放って東北に行くわけにもいかない。実際、聞いた話では、私の周りで休診して被災地に駆けつけた医師はいないようだった。やがて医師会から被災地へ医師派遣募集の知らせが来た。ただ、救護活動でなく、遺体の死亡診断のための医師が不足しているということであった。確かに被災してほとんどが(命が)助からない人ばかりだから、治療する医師より死亡診断する医師のニーズが高いということであった。「死亡確認かぁ・・・」私と同じように溜息をついた医師は多かっただろう。結局、多くの歯科医の先生方のご協力により、遺体確認が遂行できたらしい(遺体の確認は、歯型でも行う)。
被災地で生まれ育った、あるいは被災した東北三県の医学部を卒業した医師の中には当該地に向かった人もいたようだ。東北に全く縁がない私はついついここ群馬にとどまって、「計画停電」などの不便な生活をしつつ、日常の診療を続けた。震災関連の診療といえば、たまに、福島県南相馬市などから避難してきた患者さんが(災害とは関係のない普通の病気で)来院してきたことがある程度だ。

〈義捐金で罪滅ぼし〉
被災地のために何もしないのは、と自責の念に駆られ、せめて、義捐金くらいは送らねばならないと考えた。自分の経済力等を勘案し、自分なりに出せるだけの金額を日本赤十字社に送金した(私なりの罪滅ぼし)。3月中だったと思う。しかし、全国から送られてくる義捐金が当該地に迅速に的確には配分されていないことをニュースで知り、落胆した。「ああ、これが日本のお役所仕事なのだ」とまた溜息が出たものだ。

〈新聞で意見を発信〉
ほかに、震災に関して私が実行したのは、全国紙(朝日・読売)への投稿と今年コラムを担当した愛媛新聞で反原発を世に訴えたことである。朝日新聞「声」と読売新聞「気流」の投稿掲載は、震災までは結構高い確率で実現した。しかし、震災後は全国からの投稿数が激増したらしく、掲載は「激戦」となった。当ホームページ「メディア(その他)」を見ていただければわかるが、震災後は、私の投稿回数を増やしたにもかかわらず掲載頻度は「苦戦」を強いられている状況だ。
奇しくも、今年は、生まれ故郷・愛媛県の地元紙「愛媛新聞」の日曜コラム「道標」の執筆を担当させてもらった。一年で10回の掲載だが、当初、あれこれと構想を練っていた。予定どおり、1回目の「官僚論」、2回目の「医療行政論」を書いたが、その後に震災・原発事故が起きた。このため、3回目以降は原発に関することを何度か書くこととした。よって、当初構想していた少子化政策や教育行政など、訴えたいことが全部書けないまま、12月の最終回となった。ちょっぴり不完全燃焼だが、いたしかたない。地元の愛媛県は「伊方原発」を抱えているため県民の原発への関心は高く、一部住民に私の反原発論はかなり好意的に受け入れられたようだ(四国電力には嫌われただろうなぁ)。

〈今年は私的にも悪い年だった〉
震災・原発事故は、日本いや世界を震撼させたが、私のプライベート生活でも、(昨年に続き)今年も悪い年だった。自らはダイエット効果で血圧も内蔵脂肪も改善して「健康勝ち組」になりつつあるが、ごく近い人が相次いで重病に陥った。二人とも昔からよく知る人で、ともに脳血管障害であった。両人とも、私と年齢が近い(そういえば、今年亡くなった、あのスティーブ・ジョブズは私と同い年だし・・・)。「明日は我が身」と思わざるを得ない。ご両人の1日も早い回復を祈念してやまない。

「家政婦のミタ」をミタ

2011.12.23

・・・・・・・・・河辺啓二のTVドラマ評(2)

〈なぜ高視聴率なのか〉
通常は忙しくて、いわゆる連続ドラマを観る余裕がない。しかし、20%台後半という高視聴率をたたき出している「家政婦のミタ」とはどんなドラマだろうという好奇心から後半から観ることとした。最終回は40%という信じがたい視聴率だった。なぜこんなに人気があるのだろう、私にはよく理解できなかった。NHK「坂の上の雲」のような壮大な戦闘シーンもなく、テレビ朝日「DOCTORS」のような手術シーンもなく、かかった予算は多くなかっただろう。極めてコストパフォーマンスのよいドラマではなかっただろうか。

〈不自然なドラマ〉
例によって「不自然」なことが気になった。まず、不倫で妻を自殺に追いやった父親はとんでもないヤツだが、子供が4人もいて、自殺するだろうかということが挙げられる。しかし、精神状態が異常を来せば、つまり、心の病気となれば、残された子供のことを忘れてしまうのはあり得るだろう。
最も変だなぁと思ったのは、会社をクビになった分際ながら、なぜあんないいお家に住み続けて、家政婦を雇っておけるのかという点だ。職探しに高級住宅地から家政婦に見送られて4人の子供と出かけていく、なんてシチュエーションが今の日本にあり得るだろうか? ふつうならば、家政婦を辞めさせ、ぼろアパートに引っ越し、最年長の長女はアルバイトでもして家計を助けるものだろう。
そういえばあの「ダメ親父」役を好演した俳優・長谷川博己は評価が高いらしい。ただ、34歳の彼は、高校生の父親役にしては若すぎる。失職する前は一流会社のエリートサラリーマンという設定だったようだ。とすると、大卒で、いくら早く結婚して子供が産まれたとしても、23、4歳にはなるはずで、その子が高校生の年齢なら現在アラフォーだろう。とてもその年齢には見えない。大変ムリがあったと思う。

〈三田灯も不自然のかたまり〉
やはり「不自然」といえば、松嶋菜々子演ずる主人公三田灯の「スーパー家政婦」ぶりである。家事全般パーフェクトというのは許せる。その道のプロだから。ただ、家事以外のことで、「超人」ぶりを発揮しすぎだ。阿須田家の子供達に、難しい「言葉」について何を訊かれても広辞苑顔負けの回答を即座に発する。もちろん学校の算数などの勉強についても難なく答える。ゲームでも子供達はかなわない。バスケット部所属の中学生の長男とバスケットで対戦しても、あっさり圧勝する。極めつけは、三田の履歴書に書かれてある、「英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語、・・・」8言語の検定すべて1級保持者ということだ。これには笑ってしまった。テレビのスタッフは検定1級の難しさをどのくらいわかっているのだろうか。(英語と数学以外なかなか1級が取れないでいる私のヒガミか?)

歴史を学ぶは楽しい(2)―――クイズ付き

2011.12.18

・・・・・・・・河辺啓二の「お勉強」論(4)

〈日本史に挑戦〉
昨年、歴史検定・世界史に挑戦し、3級は合格したものの、見事2級は落第した。気分を変えて今年は日本史を受けることとした。
とはいえ、一昨年日本史準3級に「常識」のみで楽に受かったものだからと、7月実施の3級も「常識」でなんとかなるだろうと高をくくって、その対策を全くせずに受験した。直後の自己採点では(歴検では試験終了後会場で解答が配られる)ギリギリ合格、「省エネ合格」などと安心していたら、後日来たのは合格点60点に対し58点、つまり1問差で不合格という通知であった。
〈「読むだけですっきりわかる日本史」〉
こりゃまずいと12月実施の試験の際には、ある程度勉強することとした。対策として、後藤武士著「読むだけですっきりわかる日本史」(宝島社文庫)というベストセラー本を読んだ。この本はとてもよかった。まさに「読むだけですっきりわかる」本だ。文庫本だから持ち運びやすいし、横になりながら楽しんで読める。ベストセラーになるのも頷ける。
この本だけで歴検・日本史3級レベルは楽勝だった。前回58点だったが、今回は84点とれた。
〈日本史2級は難しかった〉
更に、このとき、併せて日本史2級も受験したが、こちらは敗退。「読むだけですっきりわかる日本史」だけでは通用しなかった。
3級までは選択式のみなのだが、2級以上は記述問題が若干出題される。今回5問中3問正解した(記述だけなら合格点の6割だったが)。以下に示します。挑戦してみてください。

①ヤマト政権時代、ヤマト政権の直轄地としてもうけられたものは?(漢字2字)
②鎌倉時代末期ごろから南北朝時代にかけて、しばしば、秩序に従わない武士は何と呼ばれたか?(漢字2字)
③賀茂真淵に学んで和漢の学につうじ、和学講談所をもうけて「群書類従」の編纂にあたった盲目の学者は?(漢字4字)
④1897年に赤痢菌を発見した日本人は?(漢字3字)
⑤日中戦争の過程で日本がつくった傀儡政権である新国民政府において首班をつとめた人物は?(漢字3字)

――――――――――――――――――――――――――――――
【解答】①屯倉(とんそう。「みやけ」とも読む)
 ②悪党 ③塙保己一 ④志賀潔
⑤おう兆銘(←「おう」はさんずいに王という字)
〔ちなみに私が正答できたのは②、③、④でした〕

語彙・読解力検定

2011.12.17

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・・・・・・・・河辺啓二の「お勉強」論(3)

〈語彙・読解力検定を受験〉
今年から始まった語彙・読解力検定に挑戦した。11月中旬、東京の某大学が会場だった。年2回ということで、今回が第2回。まだ、準1級・2級・準2級しかないので、とりあえず、準1級と2級を受けてみた。準1級の問題集を買って少しばかり勉強したが、同問題集からの類似問題はほとんどなかった。
会場には私のような中年男女が多くいたようだ。実際の試験は、かなり容易で、2級はともかく、準1級でこの程度でいいのかなぁと思った。というか、(全く準備しなくても準1級なら受かる自信のある)英数だけでなく、一般国語の実力が準1級レベルは身についているということなのだろう。
なにしろ「天下の朝日新聞」とベネッセの共同主催の当検定である。英検や漢検と並ぶ巨大規模の検定に成長する可能性がある。朝日のライバルの読売新聞は、「日本語検定」というのを行っているが、こちらは日曜日の受験ができないため、一般の社会人受験者の数は伸びにくいだろう。
〈再来年以降1級を〉
 2012年度第1回の予定が発表されたが、3級が新設されるのみで、まだ1級は始まらないようだ。1級開始は、2013年度からであろうか。他の検定の級レベルに鑑みれば、1級は準1級よりはるかに難しくなるだろう。1級合格を目指したいものだ。
準1級とはいえ、あまりに高評価だったので、試験結果と合格認定証を上に掲げます。
ちなみに、本検定に興味のある方は、
http://www.goi-dokkai.jp/index.html
にアクセスしてください。

人生を楽しむ―真の「勝ち組」とは

2011.12.11

〈なぜ官僚を辞めたか〉
中央省庁課長補佐まで務めながら辞して医学生になったことは、霞が関で当時多少話題になったらしい。私以後も、技官の人が同様に医学部再入学する例はあるが、私のように事務官から医師になる例はいまだ聞いたことがない。
医学生時代、そして医師になってからも、マスメディアから何度も取材を受けた。必ず聞かれるのは「なぜ官僚を辞めて医師になるのか」という問いであった。私が退官した1989年頃は、官僚にまだそんなに悪いイメージはなかった。90年代以降に次々と各省庁の不祥事が明るみになり、官僚バッシングが高まった。あたかもそれを見越しての転身劇のようだが、私にそこまでの先見の明があったと自惚れてはいない。
国家・国民より官僚組織の保持・保身に主眼をおいた業務、尊敬できない(無能な?)私欲政治家への強制従属、そして劣悪な労働条件・・・、官僚の仕事に嫌気がさした理由は幾つもあるが、年を取ると「肩叩き」され、定年前に(存在意義の乏しい)ナントカ法人に天下りさせられることに危機感をもったことが大きい。退官後の五十歳代後半からも役所のお世話になって生活していかなければならない。
〈転身決意に影響した父の生き様〉
そこで、思ったのが、88歳で亡くなるほぼ直前まで「現役農民」だった父のことだ。父は明治37年(1904年)生まれで、末子の私が生まれたとき51歳手前であった。子供の頃は、同級生の親に昭和生まれが多い中、父が明治生まれ、母が大正生まれというのは、少し恥ずかしく思っていた。父は大洲市上須戒(かみすがい)という過疎地に生まれ育ち、生涯、他の地に住むことなく、上須戒で一生を終えた。尋常高等小学校しか出ておらず、職業はお百姓で、毎日汗や泥まみれの肉体労働をしている父の姿を見て、幼い私はいっぱい勉強していい学校を出て綺麗な服を着て綺麗な仕事をする職業に就きたいと思っていた。長じて、東大を出て、思いどおり、少なくとも当時はエリートとされた官僚の職を得た。しかし、官僚の仕事に失望した。しかも、将来、60歳前に隠居のような生活になるのか・・・。父は80歳過ぎても仕事場(田畑)に出かけていたではないか。
〈医師を選んだ理由〉
32歳のとき「脱官僚」ならぬ「官僚脱出」を目論んだ私は、体力的にも芸術的にも才能が乏しく、話術の才も商才もない自分が、能力を発揮できるのは「勉強」しかないと考え、苦手なディベートも駆引きも不要な職業・医師になりたいと思った。一生懸命働くことがかえって国民のためにならないかもしれない官僚の仕事と違って、医師は一生懸命の仕事が患者さんのためになる。開業医になれば定年がなく、頭と身体が元気ならば高齢になっても仕事が続けられる。現に70歳代、80歳代の現役医師も多い。
〈真の「勝ち組」とは〉
一時「勝ち組」「負け組」という言葉が流行ったが、実は父は「勝ち組」だったのだと思うようになった。上須戒という貧しい農村にありながら、緑豊かな自然の中で毎日元気に働き、酒を好み、七人の子の成長を見届け、最期は寝たきりになることもなかった。80歳代後半まで「現役」を続け、家族に迷惑をかけることなく急逝した。まさしく「ピンピンコロリ」の典型だった。
(権力の頂点にあった秦の始皇帝は「不老不死」という究極の欲求を続けながら五十歳くらいまでしか生きられなかった。「不老不死」は非現実的だが「健康で長寿」は万人の願望であることは間違いない。)
つくづく思う。真の「勝ち組」とは、高収入でも高学歴でも高ステータスでもない。父のような「健康勝ち組」で人生を謳歌している人なのではないだろうか。
私が医師への転身を決意して再受験のための勉強を開始した頃、読んだ資格三冠王(弁護士・公認会計士・通訳)の黒川康正先生の本の中に「人生は、自らが脚本を書き自らが主役を演ずるドラマである」という言葉があり大変鼓舞されたものだ。
〈「今が最も幸福だ」と思う気持ち〉
人生主役の自分が「健康勝ち組」を目指すとともに心掛けなければならないのは、「今が最も幸福だ」と思う気持ちだろう。「あの頃が最も幸福だった」「若い頃が一番よかった」などという懐古趣味はやめよう。身体をすり寄せてきた可愛い子らは次第に離れていく、加齢による体力低下等老化現象が増えてくるなど、時間経過による変化を受容していかなければならない。そして常にアクティブに生きていこう。それには何か目標を設定して生活するのがよい。
例えば、ある種の資格・検定試験合格でもよい(巷には夥しいほどの検定試験がある)。ダイエットでもよい。幾つになっても「合格」の二文字は嬉しい。○○kg減で目標達成に近づくのも嬉しいものだ。何か趣味を極めるのも楽しいし、もちろん他人のためになるという高貴な目標をもつボランティア活動も素晴らしい。
〈「目標」を立てて勉強する〉
私には、本業の医療・医学の勉強のほか、これまでの英独仏語に加えた他の外国語とともに難しい漢字を覚えること、更には、大学受験が理系のため十分学習できなかった歴史や公務員試験受験の際必至に勉強した経済学に再度挑戦したいなど、数え切れないほどやりたい勉強=「目標」がある。こうして人生を楽しんでいきたい。
私が拙著を買ってくださった方からサインを依頼されると、サインのほかに、次の言葉を添えるようにしている。
This is the first day of the rest of your life.
「今日はあなたの残りの人生の最初の日である」という意味だ。何か有名な映画の中の台詞らしいが、私の好きな言葉だ。毎日、このような心掛けで生きていきたいと思っている。

早すぎる十大ニュースの発表

2011.12.04

・・・・・・河辺啓二の社会論(9)

師走の時期となると、新聞、テレビ等で「今年の十大(重大)ニュース」が次々と発表される。まだ当該年が終わってもない十二月にその年の十大ニュースが次々と各メディアで発表されることに違和感を抱いている。もし、年末に、大事件あるいは万が一東日本大震災のような大災害、大事故が起きたらどうなるのだろう、後で修正できるのかしらと思ってしまう。現に、後年から見て、ある年の年末の大事件が当該年の重大ニュースに入っていないことを知って奇異な印象をもったことがある。
読者や視聴者のニーズに少しでも早く応えてあげたいという、各メディアの思惑が理解できないわけではない。特に、購読者や視聴者が不定であるため「競争」の激しい週刊誌類やテレビは、ある程度は仕方ないかもしれない。
しかし、定期購読者が大部分を占め、販売実績が安定している新聞まで、読者サービスのつもりかもしれないが、完了してもない年のニュースをはやばやと総括してしまうのはどうもいただけない。新聞で毎年報じられる十大ニュースは、私たち一般家庭にとってはまさにクロニクル(年代記)となるのだから、より正確な情報を求めたいものだ。
せめて新聞くらいは当該年の終了した翌年の1月に発表しても決して遅くはないのではないだろうか。

農業再生の前に徹底除染と脱原発を

2011.12.01

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(15)

〈本当に国民は高い国内産米を買うのだろうか〉
読売新聞社の全国世論調査によると、今後の農業再生に強い期待があることがわかった。TPP(環太平洋経済連携協定)に「参加すべきだ」という意見が「参加すべきでない」を上回るなど、農家の規模拡大等農業生産性を上げれば日本は世界の農産物市場競争の中で十分戦えるという考えの人が多いことが判明した。
果たしてそうだろうか。工業と違い、生産要素たる土地に大きく依存する農業という分野で、狭い国土の日本が米国に伍するとは考えにくい。
(89%の人が「値段が高くても国内産米を買う」というが、本当かなと懐疑的にならざるを得ない。なぜなら、仮に778%の関税撤廃が実施されれば価格差は単純に8倍近くとはならないまでも相当の価格差は生じるだろうから。)

〈「脱原発」せずに日本の農産物が海外で売れるのか〉
もっと不利なことは、福島第一原発事故の「後遺症」がいまだ強く残っていることだ。現内閣が「脱原発」の方針を旗幟鮮明にしているわけでもなく(前首相の発言は反故にされている)、福島県産の米からは基準値を超えるセシウムが検出されている。農地の除染が速やかかつ適切に行われているとは言い難い。このような状況下で日本の農産物を「おいしくて安全だ」と言って外国に売り込むことなどできるだろうか。
狭隘な国土にあって、農業を高品質と安全性で輸出産業のレベルまで引き上げるには、原発事故の負のイメージを払拭しなければならない。そのためには、農地の徹底除染を早急に行うのが絶対条件だが、地震国日本にあって今後大地震や津波が起きても放射能汚染があり得ないことを示すために脱原発を政府は表明してほしい。

内蔵脂肪が半減―ドヤ顔その2―

2011.11.23

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   ・・・・・・・・河辺啓二のダイエット論(3)

先日受けた人間ドックの結果が届いた。ダイエットの成果が著明に表れていた。
上掲のとおり、左が昨年、右が今年の、お腹の輪切りの写真である。

皮下脂肪面積(赤色)は
116.5平方cm→83.2平方cmと約3割減
内臓脂肪面積(青色)は
204.7平方cm→109平方cmとほぼ半減
となっていることが判明した。

おまけに、他の検査(超音波・CT)で、毎年指摘されていた脂肪肝も消失していることがわかった。
ドヤ顔にならざるを得ない。

「経済優先」見直そう

2011.11.16

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・・・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(14)

脱原発か否か、TPP参加か否か、このところ国内を二分する議論が盛んだ。いずれの対立構造に根深く存在するのは、経済を最優先するかどうかということだ。
原発再稼働をせず、更に原発輸出の動きも鈍くなれば、日本経済の成長は困難になるだろうし、国民生活の快適度は後退するだろう。TPPに参加しなければ、輸出に依存度の高い我が国の製造業は苦境に立たされ、経済が冷え込む可能性は大きい。
しかし、私たち国民が最も必要とするものは、果たして経済成長なのだろうか。たとえ経済が停滞し、節電を強いられて不便な生活になっても、放射能汚染のない環境下で、安心して汚染されていないものを飲んだり食べたりする生活をしたいのではないか。
TPP参加となれば、アメリカの市場原理主義が我が国の農業や医療などを席巻する可能性が否定できない。食料安全保障や環境保全といった公益的機能をもつ農業や国民の生命・健康に直接関わる医療に市場原理は馴染まない。先進国の中で恥ずかしいくらいの低い食料自給率を更に減らし、その上遺伝子組換え作物かもしれない輸入食物に依存するような生活になってもよいのだろうか。アメリカのように貧富によって医療の差が生じることとなってよいのだろうか。
最近、昭和時代を背景にしたテレビドラマが人気だ。国民の中には、現在のような快適・便利ばかり追求する、物質的にだけ豊かな生活から決別してもよいと思っている人も多いのではないか。―――――――――――――――――――――

上記の内容を11月9日(水)夜に朝日新聞「声」に投稿したところ、11日(金)に同紙担当者から連絡が来ました。若干の手直しを受け、16日(水)、同欄に掲載されました。
半年ぶりの朝日新聞掲載でした。

医療の不確実性

2011.11.06

      ・・・・・・・・河辺啓二の医療論(11)

〈医者の本音〉
医学部に再入学する前の役人時代のことだ。珍しく体調を崩し近医にかかった。診察後、その医師は「このクスリをのめばおそらく治りますよ」と風邪薬を処方した。このとき「「おそらく」とはなんて頼りないことを言うんだろう」と感じた。
ところが、自分が医者になって、この医師の言葉をつくづく納得するようになった。医療に「絶対」「必ず」などという表現は馴染まないのだ。医療は不確実なるものであり、ましてや、昨今の医療訴訟の増加に伴い、医師たちはますます言質(げんち)をとられないよう言葉を選ぶようになった。

〈未解明>>解明済〉
そもそも、医学をはじめとする全ての科学において、わかっていることよりわかっていないことのほうがはるかに多い。あの大科学者ニュートンは、謙虚に自分のことを「未だ知られざる大いなる真理の大海原を目の前にして海辺で遊んでいる少年」に喩えている。高度発展を遂げた現代科学においてもこのことは当てはまる。
東日本大震災で地震予知学の限界、すなわち現代科学の限界を思い知らされたが、科学の中でも、人体という生物体を対象とした医学は、脳科学や生殖科学をはじめ解明されていないことが見当つかないほど多いのだ。
(原因不明の病気も数知れず、よって治療法のない、いわゆる「難病」も多数ある。)

〈工学と医学の相違例〉
工学部と医学部という二つの学部を卒業した私は、物質を対象とする工学と生物体を対象とする医学との違いを、学生実験を通して痛感した。試薬の量を、工学部では厳密に測定していたのに対し、医学部ではスポイトの滴数で可とされた。「こんなんでええんかいな」と思ったが、弾性・柔軟性・多様性に富んだ生物体が対象の実験はこういうものだと徐々に理解したものだ。

〈医療の曖昧さ・不確実さ〉
その後、医師となり、長年臨床の現場にいると、医療の曖昧さ・不確実さを実感し、「わからないこと」が多数あることがわかってきた。
以下にその例のいくつかを述べる。
●そもそも、病名なんて、人間が勝手に分類し名付けたものだ。はっきり「A病」だ、「B病」だと診断できるものより、「A病」と「B病」の間のグレーゾーンの「病態」のほうが多いのではないだろうか。
●妊婦の超音波検査は胎児に全く影響ないのか。絶対ゼロとは言えないが、これまでの実績と当該検査で受けるメリットに鑑み、広く行われている。携帯電話から発せられる電磁波の健康への影響(発癌リスク?)が最近国際機関から発表されたが、確固たる信憑性があるとは言い難い印象だ。ほかに、家庭内に多い電波時計はどうなのだろう・・・。
●年間1ミリシーベルトうんぬんといった放射線被曝量の議論が喧しいが、多く浴びても影響のない人もいれば、かなり少量でも影響の出る人もいる。被曝についても個体差(個人差)が著しいのだ。
●ワクチン接種量や薬剤投与量で悩むことも多い。例えば、今年のインフルエンザワクチンは、3歳以上が成人と同じ0.5ml、3歳未満がその半量とされる。3歳の平均体重は13キロだが、10キロ程度の4歳児もいれば20キロに近い2歳児もいる。後者を0.25mlとしても前者を0.5mlとすべきか悩む。全く同様に年齢だけで投与量が線引きされる薬剤も多いし、抗生剤に至っては小児と成人への投与量が接近しやすい。ある抗生剤は、23キロの子供と80キロの大人が同じ量に規定されている。このような線引きも、人体の弾性・柔軟性によるものなのだろうが、年齢と体重がパラレルでないだけに医師の匙(さじ)加減が重要となっている。
●処方の際、薬剤の相互作用に神経を尖らせているが、例えば、A剤-B剤、B剤-C剤、C剤-A剤の相互作用についてはデータがあっても、ではA剤-B剤-C剤の同時投与の場合のデータはない。このような多剤同時投与の相互作用のデータを完備することは不可能なので、既存データを頼りとするしか術(すべ)はないのが現状だ。
●書店には「健康本」が夥しく置かれ、テレビでは毎日のように「健康番組」が流されている。ある食材が健康によいと放映されたら翌日どっと売れる。しかし、100人いれば100の健康法がある。万人普遍に言えるのは、煙草、放射性物質、有害化学物質はゼロが望ましいということくらいだ。コレステロールや血糖値の正常値も学会によって開きがかなりある。コレステロールが低すぎるのもよくないとか、ちょっと肥満のほうが長寿だとか、いろんな学説が百家争鳴状態だ。血圧やコレステロール値や血糖値の基準値がかなり低めに設定されているのは、研究寄付金を餌に学会・医学者を通じて病人を多数つくりたい製薬会社の陰謀ではないかとさえ思うことがある。

〈実はほとんどが対症療法〉
生命に関わる脳や心臓の手術又はガン摘出などの手術と、感染症に対する抗生剤投与といった根治療法を必ずしも要しない大部分の病気は、患者のホメオスタシス(生体恒常性)による回復(自然治癒)あるいは病状悪化阻止が期待できる。医師は対症療法でそのお手伝いをするのに過ぎない。高血圧や糖尿病に対する薬剤治療も、対症療法に該当する。
【抗生剤と抗ガン剤以外の薬剤は対症療法でしかない。いわゆる「体質を変える」ことなどできないのだ。】

〈最良の健康増進法〉
私たちの「健康環境」は、福島の原発事故以来確実に悪くなっている。摂取する飲食物を通じた内部被曝は少なくとも以前より上昇しているだろう。
何でも相談でき信頼し得(う)るかかりつけ医をもち、医学的助言を受けながら「不確実さの中で最適なものを選ぶ」姿勢を保持して健康増進に努めていくことが肝要である。

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