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記事一覧

判定変更の説明と謝罪がない

2012.08.04

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(4)

柔道男子66㌔級準々決勝での海老沼選手の旗判定変更や、体操男子団体決勝の順位変更など、今回のロンドンオリンピックでは一度発表された試合判定が覆されることが度々起きています。もちろん、審判員の権威保持に固執するあまり、一度判定したものは何が起きても絶対に変えないという姿勢も困ります。真実が確認されれば過ちを改めるということは大変よいことだと思います。しかしながら、審判団から、なぜこのように変更されたのかという明確な理由がほとんど発表されないことに強い違和感を抱いております。
たとえば、我が国の大相撲では、「物言い」が起きたとき、審判長から審議結果について説明が行われています。ところが、世界の檜舞台のオリンピックだというのに、何の釈明コメントも発表されずに(電光掲示板などで)判定の変更が行われています。報道するテレビでは専門家が憶測に基づく説明がなされるに過ぎません。特に今回の開催地は英語の本場であるし、その場で英語で(変更理由が)説明されれば、瞬時に世界の多くの視聴者に理解してもらえるのではないでしょうか。
気の毒なのは、判定変更により、順位下降してメダル圏外となる選手たちです。一度喜ばしておきながら失望、落胆させるのはとても酷です。彼らに対しても、審判団は謝罪のコメントをしてもらいたいものです。

健康保険法に予防医学を

2012.07.22

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(19)

7月17日付け朝日新聞社説「予防接種 防げる病から子を守れ」の中でワクチンを医療保険に組み込むことが提案されていた。この意見に強く賛同する。
そもそも現行の健康保険法の目的が
「労働者の業務外の事由による疾病、負傷若しくは死亡又は出産及びその被扶養者の疾病、負傷、死亡又は出産に関して保険給付を行い、もって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とする。」(第1条)
と対象がほぼ病気と怪我の治療に限定され、予防医学的観点は欠落している。ワクチンで重大な病気の予防ができるのだから、ワクチンに保険適用することは、まさに「国民の生活の安定と福祉の向上」につながるのではないだろうか。
費用負担については、現在のように財政事情の異なる市町村の財源に頼るのではなく、確固たる一元的な国の財源によるワクチンとするのが理想だが、今の国家財政事情から全て国が手当てするのは困難だろう。となれば、受益者負担の観点をも踏まえて、保険適用とするのが妥当ではないだろうか。すなわち、現在公費負担されているワクチンは、保険分以外の費用は自治体が負担し、公費負担されていないものは、保険分以外の費用は自己負担とするのが適当だろう。長期的視点に立てば、罹患した際の医療コストや社会的経済的損失の大きさを考えれば、ワクチンのための医療保険の支出のほうがはるかに安上がりであるに違いないと考える。

「たばこムラ」は「原子力ムラ」と同じか

2012.07.08

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(18)

喫煙率の数値目標が初めて盛り込まれた「がん対策推進基本計画」が閣議決定された。2022年度までに成人の喫煙率を12%に低減させるという。遅きに失した感は否めない。ある推計では、喫煙が主な原因と思われる死者数は年間13万人以上、更には、他人のたばこの煙、すなわち受動喫煙が原因の死者数は年間約6800人にも達するという。
海外では公(おおやけ)の場での喫煙を法律で禁じているところが多いのに、喫煙者に甘い我が国にはそういった強い規制はなく、「健康増進法」で受動喫煙対策を努力規定している程度しかない。
喫煙率を下げる数値目標設定がこれまで導入できず、また、公共の場での受動喫煙防止策の強化が難航している背景には、たばこ農家、JTといったたばこ業界とたばこ税・JTを所管する財務省、そして飲食業界及びこれら業界とつながる政治家たち、すなわち政・官・業が一体となった「ムラ」が喫煙率低下阻止、受動喫煙の法規制阻止を図っていることである。
喫煙による発がんなどの健康リスクは、放射線量に換算すると年間1000~2000ミリシーベルトに相当するという推計がある。つまり、福島原発事故で国民に放射線被曝リスクを負わせてしまった張本人がいわゆる「原子力ムラ」とされているが、それより大きな健康被害をもたらすことが既に明白になっている喫煙を「保護」しているのが「たばこムラ」であると言っても過言ではないのではないか。

今こそ「海洋資源省」設置を

2012.06.10

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(20)

我が国は、四方を海に囲まれ、世界第6位の領海と排他的経済水域(EEZ)の面積(国土の12倍の約447万平方キロメートル)を有する堂々たる海洋国家である。国土面積では「小国」の日本は、管轄海域の面積では中国をはるかに凌駕する「大国」である。 
一昨年の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件及び (緊急避難的処置とはいえ)昨年の福島原発事故後の大量の放射能汚染水の太平洋への放出という暴挙的行動を考え合わせると、我が国はいかに海洋に関する意識及び行政組織が脆弱であるか思い知らされる。尖閣では、海洋権益を担保できない我が国海洋政策の貧弱さが現れ出た。原発事故では、世界の共有資源であるべき海洋を日本のエゴで汚してしまったわけだが、それに対する責任を、今後永続的に一元的に負う行政部局が存在していない。
そもそも中国・ロシア・韓国と、東シナ海・日本海という大きくはない海域で接しているため、国境問題が海洋で生じることは必至であり、また、漁業資源のみならず、海底資源の存在が次々と判明し、更に洋上風力や波力等大きな海洋再生エネルギーによる電力開発の可能性が高まってきた。加えて、つい最近開かれた「太平洋・島サミット」で太平洋資源の権益獲得競争における中国の擡頭と日本の存在感の相対的低下が露呈したばかりだ。今ほど、我が国における海洋政策の充実強化の必要性が高まっている時期があっただろうか。
国によっては一元化した海洋政策を行う省庁が設置されているところがあるのに、我が国は、依然として、いくつもの省庁の縦割り行政のために、省庁横断的な海洋政策が実現できないでいる。海運、船舶や港湾、そして「海の警察」海上保安庁は国土交通省の所管、漁業・漁船・漁港は農林水産省の所管、東シナ海のガス田開発、メタンハイドレートのような海底資源や海洋エネルギー開発となると経済産業省の所管となる。もちろん、領土問題が絡めば外務省や防衛省も関係する。関係省庁が幾つもあるために生じる縦割り行政の弊害が我が国海洋政策に大きなマイナス要因となっていることは明らかである
私は、かつて霞が関で勤めていたが、省庁間の縄張り争い(セクショナリズム)が熾烈であったことを鮮明に記憶している。他省庁との権限争いに「勝利」することは、私たちキャリア事務官にとって、大きな誉れであった。このような縄張り根性が、ややもすると我が国の国益に負の影響を与えかねないことは、当の官僚たちもアタマではわかっているのに是正できないでいたと思う。
(かなり以前から、一部の識者等から海洋政策の一元化が求められていたが、2001年の中央省庁再編時でも実現されなかった。)
2007年に議員立法で海洋基本法が制定され、内閣総理大臣を長とする総合海洋政策本部を中心に海洋政策を統括する政府機構が整備され、海洋政策担当大臣も設置された。海洋に関する各省庁の個別政策の連携・調整を進め、政府一丸となって海洋立国に向けた体制を整えているというが、私たち一般国民に、その実感は全くと言ってよいほどない。海洋政策担当大臣といっても、歴代国土交通大臣が兼務であるし、「総合海洋政策本部」がマスメディアを賑わした記憶があまりない。更には、上述のような官僚の伝統的「体質」が、政権交代後は消失しているとは考えにくい。
政府は、海洋再生エネルギーを利用した発電を推進するための関係省庁会議や有識者会議の設立、メタンハイドレート等の海底資源開発促進を含めた「海洋基本計画」(中長期的海洋政策の指針)の見直しへの着手など、海洋政策体制を強化しようとしているようにも思えるが、「前例」である総合海洋政策本部のこれまでの「業績」に鑑みれば、その実効性に、若干なりとも懸念を抱かざるを得ない。総合海洋政策本部は、求心力が乏しく、実体性の薄い、各省庁連絡会議のような寄せ集めのものではないのか。
そこで、今後の海洋エネルギー開発など海洋政策の強化施策を実効あるものとすべく、海洋政策を一元化し強力に推進するために、各省庁にまたがる海洋関係部局を一纏めにし、恒常的組織として「海洋省」あるいは「海洋資源省」を設置したらどうか。2001年の中央省庁再編で巨大化した国土交通省から海事局、港湾局及び海上保安庁・海難審判所を、農林水産省からは水産庁を、経済産業省から海洋エネルギー担当部局及び海底資源担当部局を分離して持って来るのである。「省」が一つ増えるので、水産庁が抜けた農林水産省と、同省と同様に自然を行政対象とすることの多い環境省が統合して新たな省を設置(両省の統合は2001年にも議論に上っていた)すれば、省の数すなわち大臣の数は変わらない。

生活保護担当官に高潔さを求む

2012.06.02

・・・・・・河辺啓二の社会論(11)

人気芸人の家族の生活保護費受給問題を見るに、実はもっと不適切・不可解な実態があることを認識すべきである。
以前軽症疾患で私の診療所によく通院していた中年男性の生保受給者は、元気に自転車で乗り回していた。私は、どうして働けないのかしらと訝しがり、福祉事務所には「働けるのではないですか」と何度も通告した。やっと生保受給停止になったのは何年も経ってからであった。
また、逆に、身寄りもなく資産もなく、身体もよく動かない80歳代後半の独居女性の生保受給者は、ある日、役所の担当者から訪問時「あなたのような人がいるから無駄な税金がかかるんだ」と暴言を吐かれ、「生きているのが申し訳ない」と泣いていた。
両極端ともいえるこの二人の生保受給状況をみるに、面倒そうないやな相手には尻込みし、おとなしくて弱い相手には高飛車に対応する公務員の姿である。そしていったん決まった受給を変更するのは煩雑だから、ついだらだらと支給し続けるお役所体質だ(基本的に、役人は変革・変化を厭う)。
 もちろん、一般の生活保護担当官に、税務担当官や警察のような強制的な捜査権限がなく、申請者の言葉を鵜呑みにするしかできないことやケースワーカーの絶対的不足が生活保護不正受給の主因なのだろう。しかし、行政現場の公務員も、その業務の重さ、崇高さに誇りを持って、適切な運用が行われるように努力してほしいと思う。

医療機関も生保悪用やめよう

2012.05.31

・・・・・・河辺啓二の医療論(17)

人気芸人の家族の不適切生保受給問題は、現在の生活保護制度の仕組みや運用のあり方を見直す契機となりそうである。
そこで、注目しなければならないのが、生活保護費の国庫支出における医療扶助費の割合が約50%もあることだ。この経費の中には、不必要なものが相当含まれていると思われる。
知り合いの医師に聞いた話だが、昔、彼がある病院の勤務医だったとき、経営者から生活保護受給者の患者さんには、必要不必要にかかわらず、毎月CT検査等診療報酬の高い検査を行うよう指示され、しぶしぶ検査を行っていたという。明らかに不要で過剰だなぁと思われることも多々あったらしい。(最近の言葉でいえば、当該経営者の手法は、生活保護を食い物にする「貧困ビジネス」と揶揄されるものかもしれない)
昨今の景気低迷で収入の減った患者さんも多く、高価な検査施行あるいは高価な薬剤処方を考えるとき、ある程度は患者さんの懐具合を考慮しなければならないことがある。これに比し、生活保護受給者の患者さんの場合、その負担金はゼロであるため、(懐具合を)全く考慮することなく、しかも診療報酬は国と自治体が負担するので取りっぱぐれがないため、医師・医療機関にとって、とてもありがたい「お客さん」になっているのが実状である。
私たち医療機関は、経営本位に立つことなく、生保受給者だからといって、不要・過剰な検査や処方を行うことを厳に慎むべきである。そうすれば、生活保護費がかなり削減できるのではないだろうか。

原発立地地域の経済振興を

2012.05.27

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・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(19)

原発再稼働に関して多くの国民は否定的、そして「脱原発」を望んでいる。長期的視点に立った、未来の我が国子孫の健康を考えれば当然のことだろう。しかし、我が国経済や産業界の思惑、そして政治家の利権が絡み、福島原発事故が完全収束もしていないのに原発再稼働へ蠢動しているかの様相だ。
原発立地地域は原発に経済を握られており、簡単に脱原発を唱えられない。産業の乏しい地域で多くの税収が望めない地方公共団体にとって原発交付金は有り難い収入源であり、雇用機会の少ない住民にとって原発関連産業による雇用は大きい。確かに日本全体の将来を考えれば、一般市民感情では脱原発だが、自分たちの生活の基盤が消失してしまうとすれば抵抗せざるを得ないだろう。
そこで、政府は、原発代替産業を当該地に起こすべき、税制、金融、助成などの総合的・効果的施策を講じるよう最大限の努力をしてほしい。原発立地地域は、もともとは農漁村で農林水産業くらいしか産業のなかった地域だ。農林水産業の再振興、これに観光業も組み合わせる。例えば原発を廃炉にした石棺を観光の対象としてもよいではないか。脱原発した地域にふさわしく再生可能な代替エネルギー産業を興すことはできないか。関係各省庁と当該県・市町村が一体となって知恵を絞ってほしい。こういうことに私たち一般国民の血税が使われるとしても、納得が得られるのではないか。原発に長年依存してきた地方公共団体・地域住民に原発と袂を分かつためのインセンティブが必要なのだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
上記の投稿文を朝日新聞「声」に送ったところ、採用となり、少し修正され、5月25日に掲載された。同「声」には今年3度目の掲載。しかも今回は最も右上の箇所に載せてもらった。AKB風にいえば「センター」という位置かな(笑)。

キャリア制度の廃止は是か

2012.05.06

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(18)

人事院の発表によると、キャリアと呼ばれた国家公務員Ⅰ種の採用試験を廃止して新たに導入される「総合職」試験(大学院・大学卒業程度)の申込者数が前年度のⅠ種試験に比べ13%以上も減ったらしい。政府が来年度の国家公務員の新規採用数や給与を削減することが影響していることは明らかだが、これまで、キャリア官僚=「新幹線」と呼ばれた昇進慣例がなくなることも一因だろう。
岡田副総理は「公のために志を持った人はひるまないでほしい」という趣旨を語っているが、理想論だけではたして優秀な人材が多数確保できるだろうか。
かつては「官僚になれば、将来○○に幹部で天下りできる」という不純な動機で役所に入る者もいた。しかし、当初の志がこのようなものであった者でも、行政組織の中では有能な官僚として働き、結果的には国家に貢献できた者も多数いることも事実である。もちろん、天下りも高い退職金も不要とし国家のために滅私奉公する気概のある若者が行政組織に入って来ることが望ましいのは当然だが、そういう人ならば能吏の資質を有していると考えるのは誤りである。(能吏の資質とは的確で迅速な事務処理能力なのである)役人としての志の美しさと官吏としての有能さとは相関関係にないのだ。
もし官僚になっていれば能吏になっていたかもしれない人材が何人も民間企業に流れていく可能性があることを政府も岡田副総理も斟酌したのだろうか。

喉元過ぎてしまったのか

2012.04.30

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(17)

関西電力大飯原発の再稼働が本格化しそうになってきた。これを契機に、「脱原発」の流れが以前の「原発推進」の流れに戻る可能性が出てきたことは否めない。
どうも、この国の為政者は、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうようだ。
絶対的な安全を担保するかのように宣うが「絶対安全」なんて不可能であることは昨年いやというほど痛感したばかりではないのか。
医療も、「絶対安全」を前提に診療・検査・手術を行うが、不幸にして小さい確率ながら医療過誤が起こる。しかし、前近代的な呪術に頼るはずもなく、医療に代替するものがないから、「絶対安全」でなくても医療は必要不可欠なものとなっている。しかし、原子力発電には代替できるものが多数あることは周知のとおりである。
何万年という気が遠くなるような半減期を有するものも含め有害な放射性物質を未来永劫漏らさないで稼働できる保証がどこにあるのだろうか。
中立公正で強力な権限をもつ新たな原子力規制組織もできないまま、国民の不信を集めた経済産業省原子力安全・保安院の「試験」に受かればOKらしい。科学的な裏付けが完璧でもない状態で、科学に疎い政治家達が経済・産業に配意して政治的判断を下してしまうという愚かさを私たち国民は看過してはならない。
あのような大事故を起こしても原発を維持しようとする日本でオリンピックが開催されることなどとても困難だろうと考える。

医師の判断でてんかん患者の運転停止を

2012.04.20

・・・・・・河辺啓二の社会論(10)

 昨年四月に栃木県鹿沼市で小学生六人がてんかん発作した運転手のクレーン車にはねられ死亡するという悲惨な記憶がまだ冷めぬうちに、又しても(因果関係が確定していないが)てんかん発作が原因と疑われる惨事が京都祇園で起きてしまった。
現状では医師が判断すればてんかん患者の免許取得が可能となっているが、持病の不申告に罰則はなく、運転者の良心に任されている。以前から規制強化を求める動きがある一方、規制が差別に拍車をかけ持病を隠す悪循環も指摘されているところであった。
差別か人命優先かと考えれば後者を選ばざるを得ないだろう。このような悲惨な事故を今後起こさないために、(まだ病気とわからず病院にかからない患者まで規制することは不可能だが)せめててんかんで通院中の患者は主治医の監視下にあり、主治医から担当の警察に定期的に診療情報提供する仕組みができないだろうか。今回の事件でも主治医は「運転は不適」と認識していても、本人に忠告することまでしかできなかった。警察がこのことを把握し、運転免許を剥奪していれば、今回のような大惨事は起きなかっただろう。
猟銃所持等については三年ごとに医師の診断書提出が義務づけられているのに、「走る凶器」の自動車の運転免許については、五年に一度の、視力検査くらいしかない極めて緩い運転免許更新しか行われておらず、このようなコントロール不良の神経疾患の患者は見逃されてしまっている。

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