〈なぜ官僚を辞めたか〉
中央省庁課長補佐まで務めながら辞して医学生になったことは、霞が関で当時多少話題になったらしい。私以後も、技官の人が同様に医学部再入学する例はあるが、私のように事務官から医師になる例はいまだ聞いたことがない。
医学生時代、そして医師になってからも、マスメディアから何度も取材を受けた。必ず聞かれるのは「なぜ官僚を辞めて医師になるのか」という問いであった。私が退官した1989年頃は、官僚にまだそんなに悪いイメージはなかった。90年代以降に次々と各省庁の不祥事が明るみになり、官僚バッシングが高まった。あたかもそれを見越しての転身劇のようだが、私にそこまでの先見の明があったと自惚れてはいない。
国家・国民より官僚組織の保持・保身に主眼をおいた業務、尊敬できない(無能な?)私欲政治家への強制従属、そして劣悪な労働条件・・・、官僚の仕事に嫌気がさした理由は幾つもあるが、年を取ると「肩叩き」され、定年前に(存在意義の乏しい)ナントカ法人に天下りさせられることに危機感をもったことが大きい。退官後の五十歳代後半からも役所のお世話になって生活していかなければならない。
〈転身決意に影響した父の生き様〉
そこで、思ったのが、88歳で亡くなるほぼ直前まで「現役農民」だった父のことだ。父は明治37年(1904年)生まれで、末子の私が生まれたとき51歳手前であった。子供の頃は、同級生の親に昭和生まれが多い中、父が明治生まれ、母が大正生まれというのは、少し恥ずかしく思っていた。父は大洲市上須戒(かみすがい)という過疎地に生まれ育ち、生涯、他の地に住むことなく、上須戒で一生を終えた。尋常高等小学校しか出ておらず、職業はお百姓で、毎日汗や泥まみれの肉体労働をしている父の姿を見て、幼い私はいっぱい勉強していい学校を出て綺麗な服を着て綺麗な仕事をする職業に就きたいと思っていた。長じて、東大を出て、思いどおり、少なくとも当時はエリートとされた官僚の職を得た。しかし、官僚の仕事に失望した。しかも、将来、60歳前に隠居のような生活になるのか・・・。父は80歳過ぎても仕事場(田畑)に出かけていたではないか。
〈医師を選んだ理由〉
32歳のとき「脱官僚」ならぬ「官僚脱出」を目論んだ私は、体力的にも芸術的にも才能が乏しく、話術の才も商才もない自分が、能力を発揮できるのは「勉強」しかないと考え、苦手なディベートも駆引きも不要な職業・医師になりたいと思った。一生懸命働くことがかえって国民のためにならないかもしれない官僚の仕事と違って、医師は一生懸命の仕事が患者さんのためになる。開業医になれば定年がなく、頭と身体が元気ならば高齢になっても仕事が続けられる。現に70歳代、80歳代の現役医師も多い。
〈真の「勝ち組」とは〉
一時「勝ち組」「負け組」という言葉が流行ったが、実は父は「勝ち組」だったのだと思うようになった。上須戒という貧しい農村にありながら、緑豊かな自然の中で毎日元気に働き、酒を好み、七人の子の成長を見届け、最期は寝たきりになることもなかった。80歳代後半まで「現役」を続け、家族に迷惑をかけることなく急逝した。まさしく「ピンピンコロリ」の典型だった。
(権力の頂点にあった秦の始皇帝は「不老不死」という究極の欲求を続けながら五十歳くらいまでしか生きられなかった。「不老不死」は非現実的だが「健康で長寿」は万人の願望であることは間違いない。)
つくづく思う。真の「勝ち組」とは、高収入でも高学歴でも高ステータスでもない。父のような「健康勝ち組」で人生を謳歌している人なのではないだろうか。
私が医師への転身を決意して再受験のための勉強を開始した頃、読んだ資格三冠王(弁護士・公認会計士・通訳)の黒川康正先生の本の中に「人生は、自らが脚本を書き自らが主役を演ずるドラマである」という言葉があり大変鼓舞されたものだ。
〈「今が最も幸福だ」と思う気持ち〉
人生主役の自分が「健康勝ち組」を目指すとともに心掛けなければならないのは、「今が最も幸福だ」と思う気持ちだろう。「あの頃が最も幸福だった」「若い頃が一番よかった」などという懐古趣味はやめよう。身体をすり寄せてきた可愛い子らは次第に離れていく、加齢による体力低下等老化現象が増えてくるなど、時間経過による変化を受容していかなければならない。そして常にアクティブに生きていこう。それには何か目標を設定して生活するのがよい。
例えば、ある種の資格・検定試験合格でもよい(巷には夥しいほどの検定試験がある)。ダイエットでもよい。幾つになっても「合格」の二文字は嬉しい。○○kg減で目標達成に近づくのも嬉しいものだ。何か趣味を極めるのも楽しいし、もちろん他人のためになるという高貴な目標をもつボランティア活動も素晴らしい。
〈「目標」を立てて勉強する〉
私には、本業の医療・医学の勉強のほか、これまでの英独仏語に加えた他の外国語とともに難しい漢字を覚えること、更には、大学受験が理系のため十分学習できなかった歴史や公務員試験受験の際必至に勉強した経済学に再度挑戦したいなど、数え切れないほどやりたい勉強=「目標」がある。こうして人生を楽しんでいきたい。
私が拙著を買ってくださった方からサインを依頼されると、サインのほかに、次の言葉を添えるようにしている。
This is the first day of the rest of your life.
「今日はあなたの残りの人生の最初の日である」という意味だ。何か有名な映画の中の台詞らしいが、私の好きな言葉だ。毎日、このような心掛けで生きていきたいと思っている。
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人生を楽しむ―真の「勝ち組」とは
2011.12.11