「大関互助会」もあった?八百長大相撲
・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(2)
〈「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」〉
連日のように大相撲の八百長がテレビ、新聞、雑誌で報道されている。「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」と見事に皮肉る方もいらっしゃるが、私も、八百長相撲は遠い昔からあったと思う。
「週刊ポスト」など一部の週刊誌では、何十年も前から八百長疑惑報道がされていた。ただ、なぜか有力全国紙では扱われず(新聞では決定的な証拠がないと動かないものだ)、やっと今になって暴かれたという感が否めない。
そういえば、私がライフワークの一つとしている利根川上流産業廃棄物不法投棄事件も、「週刊現代」「フライデー」が扱ってくれたくらいで、メジャーなメディアは全く扱ってくれていない。
要するに、週刊誌には、やや誇張された記事もあるが、全国紙が報道しない真実の報道が実はあるということを私たちは認識すべきだと思う。
〈「大関互助会」疑惑〉
7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の不自然な勝率が報道されているが、相撲をテレビでよく観ていた純真無垢な少年時代は「やっぱ人間って切羽詰まると力が出るんやなぁ」と単純に思っていた。少し「世間擦れ」した青年時代、カド番を迎えた(弱い)大関が意外と勝ち越すことが多いのに気づき、「大関互助会」という言葉を耳にするようになった。要するに数人いる大関たちがカド番になった大関仲間を助けるようにわざと負ける(最近人口に膾炙している「無気力相撲」)ということだ。それが「無気力」と見られないように一生懸命な形相をし、あたかも接戦のように見せるなど上手なテクニックを駆使していたように思う。当時相撲好きな兄とテレビ(夜のダイジェストだが)を観ながら「いやぁ、芸が細かいなぁ」と二人で笑って観ていた記憶がある。
〈みんなも認める「プロレス」ショー〉
私の親しい医師で熱烈なプロレスファンの方がいる。彼は、プロレスは「ショー」だと断言される。まぁ、プロレスファンすべて、そう認識しているのだろう。筋書きのあるドラマでもおもしろいものはおもしろいということだ。
プロレスの不自然さは、少年時代にも気づいていた。たとえば、タッグマッチで相方がフォールされそうになると、リング内に助けに入って敵の背中を真上から蹴る(というかドンと踵を押し当てる)。そうすると、馬乗りでフォール体勢を取っていた敵レスラーは必ず呻き声を上げて仰け反る。幼い私はどうして背中蹴られて必ず仰け反るのだろうと不思議でならなかった。背中をボンとされてもそのままの体勢を維持することはそんなに困難でないと思うのだが・・・。このリアクションはどうもプロレス界の不文律のような気がする。今後、大相撲が「復権」するには、プロレスのようなショー化を志向するのも一つの方法かもしれない。ただ「国技」(←法令上の規定はないらしい)であるだけに難しいだろうなぁ。