・・・・・・・・・・河辺啓二のテレビ論(1)
<『太田総理』とは>
『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』は、日本テレビで、2006年4月7日から毎週金曜午後8時~9時に放送されている政治・経済等を扱うバラエティー番組である。略称は『太田総理』。正式タイトルはやはり長いと考えられているようで、頻繁に『太田総理…秘書田中(。)』と略される場合が多いようだ。
当番組は、爆笑問題の太田光が総理大臣に扮し、マニフェストを掲げて国会議員らとトークバトルを繰り広げる内容で、その激論ぶりに一時は20%近い視聴率に。しかし、2010年9月いっぱいで、4年半に及んだ番組はひとまず幕を閉じることになった。
その背景には、2009年4月からTBSの人気バラエティー『ぴったんこカン・カン』が火曜19時台から当時間帯に移動、フジテレビ『ホンネの殿堂!! 紳助にはわかるまいっ』の開始もあり、視聴率が10%を切ることが多くなり、1ケタ状態が続いていたことが主因と思われる。が、前枠(午後7時台)で放送されている『寿命をのばすワザ百科』とともに、2010年9月を以て終了することが決定したのだ。10月以降は、2009年3月に終了した『モクスペ』以来1年半ぶりの単発特別番組枠となる予定らしい。
<ど素人の私を8回も出演させてくれた番組>
私は、ふだん、日常の診療に追われて、夜はほとんどテレビを見ない。特に午後8時台なんて、クリニックで(さすがに診療は通常終わっているが)残務整理しており、テレビを見ることがまずない。
だから、2006年6月に出演オファーの連絡が入ったとき、テレビ局の人に「えっと、どんな番組でしたっけ?」と正直に尋ねるのも悪いと思い、とぼけて答えたものだ。これが、『太田総理』との「邂逅(かいこう)」であった。
以後の出演歴は以下のとおり。
第1回 放映日;2006年6月30日(金)
マニフェスト:「天下りしたら時給500円にします」
第2回 放映日;2007年11月16日(金)
マニフェスト:「不祥事を起こした省庁は連帯責任で1か月間タダ働きにします」
第3回 放映日;2007年12月14日(金)
マニフェスト:「不祥事を内部告発した人には国から賞金最大1億円をあげます」
第4回 放映日;2007年12月25日(火)
『爆笑問題の証人喚問 太田内閣がアノ関係者とっちめちゃうぞSP』
第5回 放映日;2008年2月1日(金)
マニフェスト:「国が病院を格付けし最低ランクの病院をつぶします」
第6回 放映日;2008年3月21日(金)
マニフェスト:「天下りする官僚は全ての退職金をなしにします」
第7回 放映日;2008年10月31日(金)
マニフェスト:「医学部の定員を3倍にして授業料を免除します」
第8回 放映日;2008年11月21日(金)
マニフェスト:「ムダな省庁を潰して官僚を半分にします」
冒頭に2009年春頃から視聴率が低迷と書いたが、上記のとおり、私がよく出演した、2007年秋~2008年秋(この丸1年で7回出演したことになる)は、視聴率2ケタはキープしていたはずだ。それも、15%前後あったように思う。
テレビ局の廊下を歩くと、「○○(番組名)、視聴率16%達成!!」などと書かれたビラが至るところに貼られているのに気づく。テレビ局にとって視聴率が至上であることを目の当たりにしたものだ。このことは、日本テレビに限らず、他のテレビ局でも見かけたことだ。最近のFIFAのような狂気じみた視聴率は別として、15%もあれば高視聴率に入るようだ。それが、1ケタとなると、厳しいTV業界にあって、スポンサーには見切りをつけられるということなのだろう。
<『太田総理』との邂逅、その後のブランク>
記念すべき『太田総理』初出演は、2006年6月30日(金)だった。それに先立ち、取材とスタジオ収録があった。
6月20日(火)夜、診療後のクリニックに東京からスタッフが3人も来てくれて取材を行った。このときの取材VTRも本番に放映された。
私は白衣姿で撮ってほしかったのだが、プロデューサーの考えでは、「元官僚が白衣では唐突な印象になる」ということで、妻に急遽用意させたカジュアルなブルーシャツを着て取材・撮影を受けることに。スタッフの1人が、私と同じ愛媛県出身ということでなお和んだ雰囲気で取材が終了した。
続いて6月26日(月)夜に東京・汐留のスタジオで、収録。約20人の「議員」の1人として出演。3年前「タックル」で共演した参院議員の藤末健三氏(「タックル」時は東大助教授だった)と再会した。また、農水省キャリア事務官で2年後輩の大村秀章氏(自民党衆院議員)と会った・・・「再会」?・・・彼とは農水省現役時代、会ったことあったかなぁ・・・。
以後、何度か、当該番組のスタジオでお会いすることとなる、当時野党の原口一博議員(現総務大臣)や自民党の平沢勝栄議員と名刺交換した。
更に、以後、面識を持っていただく、有田芳生氏(現参院議員)、若林亜紀氏(ジャーナリスト)、ケビンクローン氏らと初めてお会いした。
このような有名人多数の中にあって、非国会議員の元官僚が私だけであったためか、あたかも私が主役のごとく、放映では、予想以上に多く登場させてもらった。(←あとにもさきにもこれが私にとって最高の「画面登場率」の番組だったと思う)
番組では、官僚擁護する私に対し、松本明子さんや高橋ジョージさんが総攻撃する場面もあった。「なんで(テレビ)素人の私が、プロの人たちにやり込められるのだろう」と思った。ところが、収録後、松本明子さんが、私のところに駆けて来て「さっきはごめんなさい」と謝ってくれた。やっぱりこの人、イイ人やんかと感じたものだ。
放映翌日、クリニックのスタッフに「先生、たくさん出てましたね」などと言われたものだが、その後1年半、出演オファーは途絶えた。
もう出演なんてないと思っていた2007年秋から急に出演オファーが続けてくるようになった。防衛省事務次官不祥事問題が大ニュースとなり、彼と同期組のキャリアで天下りもしていない太田述正さんがメデイアでひっぱりだことなり、太田さん出演と合わせて、やはり天下りしていない元官僚ということで、1年半前出演したことのある私が選ばれたようだ。
〔その後の出演状況は、「メディア(TV出演)」のコーナー参照〕
<『太田総理』が果たした役割とは>
一般国民に政治を身近なものにしたショー番組としては、テレ朝の『たけしのTVタックル』がある。歴史も長く、人気も高い。お笑い芸人が仕切る番組に国会議員が多数出て議論するパターンのまさに先駆けであろう。
『太田総理』も、『タックル』とは違った手法で、一般国民が、笑いながら難しい政治の問題に興味が持てるようにつくられている。放映時間帯がやや早いこともあって、『タックル』より年齢層の低い中学生・小学生にも視聴者がいて、これら若い世代に政治・行政の問題を楽しみながら「勉強」させた「業績」があったのではないか。そういう意味においても、今回の打ち切りは残念だ。
国会議員にとっては自身の顔と名前を視聴者にアピールする番組の代表格でもあり、番組への出演機会が多かった某議員は「政治がお茶の間に身近に感じてもらえる番組だっただけに残念」と語っているという。
私は、出演していた頃、この番組も、『タックル』のように「長寿番組」になるだろうと思っていたが、その予想は外れた。現実は厳しいということだ。芸人第一人者・たけしと、(たけしに比べれば若輩の)太田光との違いなのだろうか。
とまれ、8回も出演させてもらい、多くの思い出となる、なかなか一般庶民にはできない経験をさせていただいた『太田総理』関係者・スタッフの方々には、厚く御礼申し上げます。