・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(24)
新しい元号「令和(れいわ)」が公表された。まさか「令」の字が登場するとはと感じた人が大多数だったことだろう。
まぁ、ナン十年に一度のことだからと、私は、診療中の時間だったのでテレビに釘付けとはいかず、午前11時30分過ぎたら、患者さん1人終わるごとに診察机右にあるパソコンのネットでちらりと確認したものだ。
思えば、「平成」の幕開けは私の人生において大きな変化の年であった。平成元年春に、医学部合格・入学、官僚辞職そして結婚とまとめて「人生の大転換」を果たしたのだから。あれから30年経ってしまった。思えば、子供らは皆成人になってしまったし、親族・知人で鬼籍に入った人たちも多い。自らも「町医者」生活にどっぷり浸かってしまっている。
いよいよ人生3番目の元号「令和」時代に突入する。我が身に「平成」のときのような変化がどうも起きそうもないことに物足りなさと諦観を感じざるを得ない。官僚・医師に次ぐ第三の職業に就く動機と余力が乏しい。もちろん以前のブログで述べたように著述家や研究者になれれば楽しいだろうが、まだカネのかかる子供達を抱えて今の開業医の仕事を抛(なげう)つ勇気はない。夫婦仲も悪いほどでないので離婚するのも煩わしい。とすれば、現状を維持しながら人生の終盤戦の令和時代に突入するしかないのだろう・・・・。
さて、「令和」というネーミングについては、国民の間でいろいろ言われてはいるが、概ねポジティブな意見・感想らしい。いままで「令」といえば、「命ずる」「おきて」(命令、法令)の意味が第一義的だったが、今後はやや第二義的だった「よい」の意味が主となるのかもしれない(令嬢。令名)。
最近読んだ新聞で、東大の中国思想史専門家が「令和」に対して違和感を指摘している記事が印象に残った(4月10日付け朝日新聞)。当時の読み方では「令」は「れい」でなく「りょう」だと。その発音も「R」でなく「L」が近いと。漢字2文字の組み合わせも無理があるらしい。「「初の国書」という日本独自の歴史や文化をわざわざ強調する政府の姿勢が、大陸伝来の文化を基盤とする日本の伝統の成り立ちを軽視しているかのように映る」と述べている。更に「今回の政府の説明でも、中国古典の『文選』と国書『万葉集』のダブル典拠とすれば、東アジア友好のメッセージが伝わったはずなのに」とも。う~ん、この先生の御意見、納得だなぁ。