〔私の読書習慣〕
私は、もともと「文学青年」でもないし、大した「読書家」でもない。年取ってからというものの、ほとんど文学作品を読まなくなってしまった。もっぱら、「教養書」的な新書とか、医学・医療に関係ありそうな、食事、運動、睡眠について書かれた、いわゆる「健康本」的なものが多い。最近は歴史的な本が多いかなぁ。
読み終えた本の数は多くない。年間20冊前後というペースだろうか(2017年は、25 冊だった)。かと言って本の購入が少ないわけではなく、毎朝読む新聞の下段の新著広告で「ん、読んでみたいな」と思うものがあるとそこの部分を切り取って行きつけの書店で購入、又は在庫ない場合は注文する。そんなことしているわりに、読むのが遅いため、いわゆる「積読(つんどく)」状態になっており、忸怩たるものはある。
〔初の五木寛之著作〕
さて、五木寛之の著書を初めて読んだ。大歌手「五木ひろし」芸名の元となる大作家であるが、私はこれまで「青春の門」など代表作も含め、彼の作品を一度も読んだことがない。それが、今回初めて彼の著書「孤独のすすめー人生後半の生き方―」を読むことに。まぁ、私自身が「人生後半」の域に達していることを認識したためである。
まず、少し驚いたのは、五木寛之が1932年生まれで80歳代半ばにもなっているということ。もうそんな高齢なんだ・・・と感じた。
〔人生の区分〕
50歳からは、人生の「下山期」だという。中国では、古来、人生を4つの時期に分けて考えるとか。
青春(せいしゅん)
朱夏(しゅか)
白秋(はくしゅう)
玄冬(げんとう)
と4つの季節が巡って行くのが自然の摂理。玄冬なのに青春のような生き方は無理。「下山期」には、後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみ、思い出を咀嚼したほうがいい。回想は誰にも迷惑をかけずお金もかからない。孤独を楽しむ人生は決して捨てたものではないと。
古代インドのヒンズー教に生まれた概念にも、人生を4つの「時期」に分ける考えがあるらしい。
0歳~25歳・・・学生期(がくしょうき)
25歳~50歳・・・家住期(かじゅうき)
50歳~75歳・・・林住期(りんじゅうき)
75歳~ ・・・遊行期(ゆぎょうき)
私は、今まで、人生の4区分といえば、春(~20歳)、夏(20歳~40歳)、秋(40歳~60歳)、冬(60歳~)と思っていたが、そうか、人生80年→100歳となりそうな超長寿社会、また、晩婚・非婚社会になりつつある現在の日本においては、25歳ごとの区分のほうが適合しているようだと気づかされた。
〔孤独は好きだが・・・〕
さて、私自身は、結構「孤独」が好きだ。あまり喋るのは得意なほうではないし(生来の口下手・・・TV出演の際に痛感する)、好きでもない。話す際の機転の利かなさは十分自覚している。「医者」という職業ゆえ、仕事中つまり診療中は患者さんを前に喋り続ける。患者さんを前にしてだんまりすることはありえない。となると、1日、7~8時間の診療中ほとんど喋らなくてはならない。その反動だろうか、仕事を離れると、家族といるときなど、あまり喋りたくない。一人で、本を読んだり、テレビを観たり、音楽を聴いたり、勉強したりするのが好きだ。だから、五木寛之の言うように「孤独を楽しむ人生」は大賛成だ。でも、現在の私は、まだ、後ろを振り返ったり、パロディー思い出を咀嚼したりと「回想」に生きる人生は、当分、後にしようと思っている。まだまだ前ばかりを見て走って行かなければならないのだ。
(この本に続き、「百歳人生を生きるヒント」を購入し読み始めたところである。)
記事一覧
五木寛之の「孤独のすすめ」を読んだ
2018.01.20