・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(18)
かつて首相候補ナンバーワンとまで言われたことのある舛添要一センセイの評判が地に落ちた。もう、政治家としてはよい意味で脚光を浴びることはないであろう。
ナマの舛添さんに接した機会が二度ある。
〔東大教養学部の有名助教授〕
まずは、今から27年くらい前のこと。官僚を辞して東大理三に入学し、駒場の一般教養科目で「政治学」を選択した。その理由は、当時テレビ朝日の「朝まで生テレビ」で論客として大活躍し、既に有名人となっていた舛添助教授の講義と聞いて「ミーハー」な私は心が傾いた訳である。
ただ、きつかったのは一時限め、8時30分からの講義だということ。理系の私の場合、第一外国語・第二外国語に加えて自然科学の数学・物理学・化学・生物学が必修で二時限め以降ぎっしりと詰まっているため、選択の「政治学」などの社会科学・人文科学は一時限めに追いやられていたのだ。にもかかわらず、有名助教授ということで、出席者は多かったと記憶している。
〔多言語の天才?〕
講義内容はもちろん忘れてしまったが、やたら黒板に、英仏独などいろんな言語で政治用語等を書いていたことは覚えている。講義中「この中で第二外国語としてロシア語を取っている人は手を挙げて」と言うも、ほとんど該当者がいないことを知り、ロシア語学習者減少の現状を思い知った様子であった。彼は、英仏独語に加え、ロシア語、スペイン語、イタリア語までできるという。
〔若いときもセコかった?〕
そういえば、今話題の「セコさ」の片鱗は、この頃もあったなぁ。彼が書いた本が何冊か、この「政治学」学習者の指定図書となっていたので、2冊だったか3冊だったか、大学の生協で買って読んでみた。すると、内容の重複する部分が多々あって「あれ?」と感じた。後に、このことを舛添センセイの主宰するゼミで学生が追求すると笑ってごまかしていたとか・・・(笑)。
〔突然の辞任〕
当時の私にとっては「早朝」の講義に、何回か、眠い眼を擦りながら出席したが、6月のある日、学生用掲示板に「舛添助教授退官につき、「政治学」の講義は、次回からは●●助教授が担当します。」とあるので、驚いた。噂では舛添氏と大学が衝突したとか。また、法学部出身でありながら、法学者本流の法学部でなく、教養学部で教鞭を執ることに嫌気がさしたとか・・・。
朝の早起きに疲れを感じていた私は、後任の助教授の講義には、結局一度も出席しなかった。社会科学は、たしか別の講義科目を受験して単位取得したと記憶している。
〔オン・ザ・ベッド〕
余談を一つ。舛添センセイが主宰するゼミと書いたが、このゼミ(国際政治関係だったかなぁ。もちろん私は属せず)に所属する文科一類(法学部)の若い学生で、別のゼミで私と親しくなった人がいた。そのゼミは、英語のゼミで、主宰者はネイティブの先生だった。私は「タダで英会話の勉強ができる」というセコい(!)理由で参加していた。その文一生は、私の経歴に関心を持ち、仲良くなったのだ。(私の記憶では、優秀なその彼は、私の影響か、文一生の典型的コースの官僚にはならず、民間企業に就職したはずだ。)
さて、彼が教えてくれた話でおもしろいことがある。その舛添センセイのゼミの最中だかコンパ中だったかに
「センセイみたいに多くの外国語をマスターするにはどういう方法がよいのですか」と学生に訊かれたセンセイのご回答が
「そりゃ、キミ、オン・ザ・ベッドだよ。オン・ザ・ベッド!」
だったとか。フランス、ドイツ等、、長いヨーロッパでの生活中、多くの欧州女性におモテになったようで。若い時は髪の毛フサフサだったし、実際最初の奥さんはフランス人だもんなぁ・・・。