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記事一覧

IOCの行き当りばったり姿勢には呆れる

2019.10.27

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(8)

私たちは、今のオリンピックが米国のテレビ局主導の商業主義に汚されてしまっていることを認識しなければならない。昭和39年の東京オリンピックは気候のよい10月に開催された。ところが、近年のオリンピックの開催は暑い7月~8月にばかり開催されるようになってしまった。ちょうどこの時期には、大きなスポーツイベント(米国の野球、バスケットボール、欧州のサッカーなど)がないことが主な理由だという。崇高な精神で始まったはずの近代オリンピックが、米国主導のコマーシャリズムに完全に牛耳られているといっても過言ではないだろう。「選手ファースト」なんて今更言うのか、と思わざるを得ない。ドーハのマラソンの状況を見て変心するのでは行き当りばったりと言われても仕方あるまい。しかも当の東京都に全く打診していないというのだから、そのやり方の稚拙さ、横暴さには驚く。当初の予定どおり、猛暑の東京でマラソンを実施して、ドーハのように棄権者が続出したら、それはそれで商業主義にとらわれない今後の開催時期について議論のきっかけになるのではないか。東京都がコースの涼化に多大な予算を投じているのだからその効果も期待できるし、大会のメディカル担当は選手が危険な状態になる前に棄権させることに全力を尽くさなければならないことは言うまでもない。

やはりオリンピックはエキサイティング

2016.08.31

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(7)

オリンピックは、やはりおもしろい、感動や感激を与えてくれるものだ。4年に1度しかない、多数のスポーツ競技を世界中のトップ選手が一堂に会して行われるという特殊性からか。普段からテレビ観戦できるサッカーやテニスと違い、重量挙げとかバドミントンとか、あまりテレビで観ることの少ないスポーツに触れられるという喜びがあることは確かだ。特に私のような「非スポーツマン」でも観戦するとついつい見入ってしまう。世界最高峰のプレイヤーが最高の演技を行おうと必死の形相を見せてくれるのは、実に美しいものだ。勝者にも敗者にも魅せられてしまう。
とはいえ、メダル獲得者、特に金メダリストが、最高に素晴らしく見えることは否めない。

順位国・地域  金   銀   銅   合計
1米国     46   37   38    121
2英国     27   23   17    67
3中国     26   18   26    70
4ロシア    19   18   19    56
5ドイツ    17   10   15    42
6日本      12    8   21    41
7フランス   10   18   14    42
8韓国     9    3   9     21
9イタリア   8    12   8     28
10豪州    8    11   10     29

今大会では、金メダル12個(第6位)、メダル総数41個(第7位)と「スポーツ大国」と喧伝してよいくらいの実績を残した。そこで注目したいのが、世界第3位の証である銅メダルの数だ。日本の21個は、米国、中国に次ぐ第3位の数である。確かに派手な金メダルに比べ、銅メダルというのはその色のとおりやや地味な印象がある。その「大量生産」に最大寄与したのが、柔道だ。男子60kg級・66kg級・81kg級・100級、女子48kg級・52kg級・57kg級・78kg超級と、男女合わせて8個も稼いでいる。これらの選手は全て金メダルを取れる程の実力者であり、実際金メダルを期待されて出場している。だから、みな、試合後のインタビューでは、メダル獲得の喜びより、金メダルを取れなかった悔しさをにじませていたものだ。私がいたく感心するのは、どの選手も、途中敗れて敗者復活戦に回っても「くさらずに」懸命に戦った姿である。金メダル狙いでしかもその可能性が高い試合に臨んでその可能性が絶たれた場合、フツーのメンタリティーの人間なら「くさって」しまうのではないか。彼らの精神力に心から拍手を送りたい。

母校・松山東高校が甲子園で勝った!

2015.04.03

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(6)

まさかまさかであった。私が15歳~18歳の青春期を過ごした松山東高校が、春の選抜高校野球で「二十一世紀枠」で甲子園出場、しかも1回戦に東京代表チーム・二松学舎に勝ってしまった。
私の在学中は、夏の高校野球地区大会の試合の応援に全員行かされ、応援団員の指示で応援したものだ。1回戦当たりは勝っても、2回戦で負けるのがフツーだったような記憶がある。当時強かったのは、松山商業や今治西(今回も甲子園出場していた)だった。
松山商業と松山東は近隣のこともあり、戦後混乱期の昭和25年夏には、両校が統合した「松山東」で全国優勝している。したがって、この優勝は、今でも松山商業の全国優勝の回数にカウントされているとともに、現・松山東も1回全国優勝したことになっている。 
同窓生から応援バスツアーのお誘いもあったが、休診するわけにもいかず、参加しなかった。1回戦は平日の昼間だったが、仕事があたったため、テレビ観戦すらせず、夕方~夜、ニュースなどで結果を知った。印象的なのは、一塁線ファールになりそうな緩いゴロがフェアとなって相手チームを狼狽させたシーン。勝利―幸運の女神が松山東に微笑んだ瞬間だろう。勝負は時の運とはこのことかもしれない。
二回戦の対北海道・東海大四は土曜の午後だったので、診療後テレビ観戦ができた。野球の試合を全部観たなんて、何年ぶり、いや何十年ぶりのことだろう。
前半2点リードを保っていたので、こりゃひょっとしてまた勝つのでは、と思ったものだ。ただ、中盤、松山東の打線の攻撃があまりに淡泊、三者凡退を繰り返し、いわゆる「中押し」がないのが痛かった。ただ、この相手チームが最終的には準優勝したことから、東海大四のエースは、やはり、簡単には打てるわけない投手なのだ。
いずれにせよ、170cmという野球選手としては小柄なエース・亀岡君、ホームランを打った、主将で捕手の大きな米田君をはじめ後輩諸君、ようやったの(伊予弁)。昨年準優勝だった、夏の愛媛大会で頂点に立つ可能性は高い。

美しいアスリートたち

2012.08.23

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(5)

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」と第16代アメリカ大統領リンカーンが言ったといいます。ロンドンオリンピックで活躍した日本代表の選手たちは、ほとんどが40歳、いや30歳未満の若者ばかりですが、彼ら彼女らの顔は本当に美しいと思います。
写真週刊誌で騒がれている一部の美人アスリートのことではありません。期待どおりメダルを取った選手、実力はあったのに残念ながら表彰台に立てなかった選手、予想以上に好成績を上げた選手など、結果はさまざまでしたが、共通して言えるのは、どの選手も実にいい顔をしているということです。
なぜ彼らは美しいのでしょう。オリンピックの日本代表になるため、天賦の資質に甘んじるだけでなく、常人では不可能な過酷な練習やトレーニング、更には体重を増やさないなど、徹底した厳しい自己管理を実践してきたからに違いありません。このような、気の遠くなりそうな努力の累積によって、人格も陶冶され、やがて容貌に滲み出てきているのではないでしょうか。
下馬評以下の成績しか得られなかった選手が項垂れている画面がテレビで映し出されたりしましたが、日本国民に謝る必要などありません。その美しい顔を上げましょう。精一杯努力した結果であることは国民みんなが認めています。
私たち凡人は、結果はどうあれ、彼らスーパーアスリートの美しさに感動しながら明日への活力をもらっているのです。

判定変更の説明と謝罪がない

2012.08.04

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(4)

柔道男子66㌔級準々決勝での海老沼選手の旗判定変更や、体操男子団体決勝の順位変更など、今回のロンドンオリンピックでは一度発表された試合判定が覆されることが度々起きています。もちろん、審判員の権威保持に固執するあまり、一度判定したものは何が起きても絶対に変えないという姿勢も困ります。真実が確認されれば過ちを改めるということは大変よいことだと思います。しかしながら、審判団から、なぜこのように変更されたのかという明確な理由がほとんど発表されないことに強い違和感を抱いております。
たとえば、我が国の大相撲では、「物言い」が起きたとき、審判長から審議結果について説明が行われています。ところが、世界の檜舞台のオリンピックだというのに、何の釈明コメントも発表されずに(電光掲示板などで)判定の変更が行われています。報道するテレビでは専門家が憶測に基づく説明がなされるに過ぎません。特に今回の開催地は英語の本場であるし、その場で英語で(変更理由が)説明されれば、瞬時に世界の多くの視聴者に理解してもらえるのではないでしょうか。
気の毒なのは、判定変更により、順位下降してメダル圏外となる選手たちです。一度喜ばしておきながら失望、落胆させるのはとても酷です。彼らに対しても、審判団は謝罪のコメントをしてもらいたいものです。

脱原発しないまま五輪開催は困難

2011.07.24

・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(3)

石原東京都知事は、2018年冬季オリンピック開催がお隣の韓国で開催されることが決まっても、2020年夏季オリンピック東京開催への強い意欲を変えていない。客観的に見て(同じアジアの)日本での開催は厳しくなったといえるが、この不利な状況を打開するには、東京のみならず国が一丸となって努力する姿勢が必要である。
それは、日本が原発のない安全でクリーンな国であるとアピールすることと未曾有の大震災からの復興をがんばっている日本を応援してあげようという共感を得ることの二つである。
原発に関しては、まず、ドイツやイタリアのように「原発全廃」を(首相の個人的見解ではなく)国家の方針として旗幟鮮明にすることが不可欠だ。また、現在いまだ完全収束していない福島第一原発の安定化はもちろんだが、福島から始まる廃炉を全国の原発に拡大し、その廃炉後も放射線漏れがないように国の厳しい管理下に置かれなければならない。その際、日本の原発対策が世界的に信頼失墜していることに鑑み、IAEAのお墨付きを受けることも必要だろう。ただ、これらのことの実現には相当年数かかることを覚悟して、立候補すべきだろう。
震災復興について世界からの支援を受けるためには、開催中心は東京だとしても、多数の競技を、東北の被災三県で分散して行う広域開催でなければならない。交通手段の一層の充実・高度化が実現すれば、大きな支障はないだろう。
以上の二つの条件をクリアしてでないと世界の人たちは日本でのオリンピック開催に賛同してはくれないものと考える。

「大関互助会」もあった?八百長大相撲

2011.02.11

「大関互助会」もあった?八百長大相撲

・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(2)


〈「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」〉

連日のように大相撲の八百長がテレビ、新聞、雑誌で報道されている。「ケータイがなくてよかった昭和の力士たち」と見事に皮肉る方もいらっしゃるが、私も、八百長相撲は遠い昔からあったと思う。

「週刊ポスト」など一部の週刊誌では、何十年も前から八百長疑惑報道がされていた。ただ、なぜか有力全国紙では扱われず(新聞では決定的な証拠がないと動かないものだ)、やっと今になって暴かれたという感が否めない。

そういえば、私がライフワークの一つとしている利根川上流産業廃棄物不法投棄事件も、「週刊現代」「フライデー」が扱ってくれたくらいで、メジャーなメディアは全く扱ってくれていない。

要するに、週刊誌には、やや誇張された記事もあるが、全国紙が報道しない真実の報道が実はあるということを私たちは認識すべきだと思う。


〈「大関互助会」疑惑〉

7勝7敗で千秋楽を迎えた力士の不自然な勝率が報道されているが、相撲をテレビでよく観ていた純真無垢な少年時代は「やっぱ人間って切羽詰まると力が出るんやなぁ」と単純に思っていた。少し「世間擦れ」した青年時代、カド番を迎えた(弱い)大関が意外と勝ち越すことが多いのに気づき、「大関互助会」という言葉を耳にするようになった。要するに数人いる大関たちがカド番になった大関仲間を助けるようにわざと負ける(最近人口に膾炙している「無気力相撲」)ということだ。それが「無気力」と見られないように一生懸命な形相をし、あたかも接戦のように見せるなど上手なテクニックを駆使していたように思う。当時相撲好きな兄とテレビ(夜のダイジェストだが)を観ながら「いやぁ、芸が細かいなぁ」と二人で笑って観ていた記憶がある。


〈みんなも認める「プロレス」ショー〉

私の親しい医師で熱烈なプロレスファンの方がいる。彼は、プロレスは「ショー」だと断言される。まぁ、プロレスファンすべて、そう認識しているのだろう。筋書きのあるドラマでもおもしろいものはおもしろいということだ。

プロレスの不自然さは、少年時代にも気づいていた。たとえば、タッグマッチで相方がフォールされそうになると、リング内に助けに入って敵の背中を真上から蹴る(というかドンと踵を押し当てる)。そうすると、馬乗りでフォール体勢を取っていた敵レスラーは必ず呻き声を上げて仰け反る。幼い私はどうして背中蹴られて必ず仰け反るのだろうと不思議でならなかった。背中をボンとされてもそのままの体勢を維持することはそんなに困難でないと思うのだが・・・。このリアクションはどうもプロレス界の不文律のような気がする。今後、大相撲が「復権」するには、プロレスのようなショー化を志向するのも一つの方法かもしれない。ただ「国技」(←法令上の規定はないらしい)であるだけに難しいだろうなぁ。

浅田選手は戦略負け

2010.03.22

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・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(1)


〈なぜ浅田選手は敗れたのか〉

 バンクーバー冬季オリンピック・フィギュアスケートで金メダルが期待された浅田真央選手が予想外の大差で敗れたのは、戦略負けによるものだ。孫子の「彼を知り己(おのれ)を知らば、百戦するもあやうからず」のとおり、浅田選手の本当の「敵」は、GOE等のポイント制のルールであるのに、その研究が不十分であった感は否めない。いくら高度な難技が成功しても、総合点で競うことが当該試合のルールなら、金メダルを狙う以上は、そのことに徹底して研究・練習すべきだった。[男子の銀メダリストも同様だろう。]


〈採点競技は大学入試と同じ〉

大学入試と同様で、例えば、全5問の試験で、難問2問できた40点答案は不合格となり、易問3問できた60点答案が合格となることと似ている。このことは、特に数学の試験で生じやすい。問題によって難易度に大きな幅がある。ほとんどの受験生が解けそうにない難問が解けたとしても、他の容易な問題を解く時間がなくなってしまっては、総得点が低くなる。こんな難問が解けるとはすばらしい、総得点が低くても合格にしてやろう、とは決して大学側は思わないものだ。

金メダルを取るためには、真の「敵」を徹底研究する必要がある。審判の主観が入りにくい、単なる速さ等を競う競技ならともかく、ポイントで競う競技は、(時代によってルールが変わるので)当該試合の時点での採点法に則って高得点を得る術(すべ)を磨くことが重要だ。この方法で見事成功したのが、一昨年北京五輪で金メダルを獲得した柔道の石井慧選手だ。彼は欧州にまで赴いてそのポイントのルールを徹底研究していた。

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