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記事一覧

医薬品産業が日本経済を救う

2012.03.10

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(14)

政府が開いた国家戦略会議で、民間議員から医薬品産業の競争力を高める「創薬支援機構」の設置などを求める提言書を出され、議長の野田首相は、前向きな姿勢を見せたという。
我が国のように、国土も天然資源も乏しい国が、戦後の焦土を乗り越え先進国の地位を確立維持してきたのは、国民の努力や勤勉性にあることは否定できない。特に、日本経済の牽引役として、(造船業から始まり、)自動車、電機、そしてIT産業など、科学技術を根本とする製造業が大いに寄与してきた。しかし、これら日本の「お家芸」が韓国や中国などの進展によりもはや青息吐息状態だ。現在、経済産業省が「クールジャパン」など文化産業育成に活路を見出してはいるが、やはり経済・産業の基本は「ものつくり」だろう。
医療水準も高く、優秀な医学研究者も多数いる日本が、大きな土地も資源も必要としない、最たる頭脳集約型産業である医薬品産業で国際競争力を持つことは日本経済に大きく資するものと考える。
政府は、高騰する医療費を削減することばかりに注目し、安価な後発医薬品へのシフト政策を行って来た。このため、先発医薬品メーカーの利益が減少し、本来利益から費用が割り当てられる新薬開発事業が低調となっている。創薬―新薬開発には莫大な費用がかかるのだ。今後、「創薬支援機構」がこれら製薬会社の創薬に大いなるインセンティブを与えることを期待する。
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上記の投稿文を朝日新聞「声」に送ったところ、採用となり、若干手直しされ、3月9日に掲載された。同「声」には2月19日に掲載されたばかりなので、中16日で2か月連続採用となった。わずか550字程度の短文とはいえ、私の考えや意見が有力全国紙に載せていただくのは、やはり嬉しいものだ。

少子化対策には出産環境整備の充実強化を

2012.02.19

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・・・・・・・・河辺啓二の医療論(13)

「政府は少子化対策に本腰を」(9日)に強く共感する。国立社会保障・人口問題研究所の、悲観的とも思える推計人口に対して、根本的な人口増加策を強く唱える政治家やメディアを多く見受けられないのが残念だ。まるで「少子高齢化はしかたない」と誰もが思っているかのようだ。政府は「少子化担当大臣」と称して何代も担当相を充ててはいるが、その効果には疑問符を感じざるを得ない。
少子高齢化社会に対応する仕組みを構築することより、少子化社会にならないように政府・国民が一丸となって検討・協力していくことのほうが適当ではないか。
働くお母さんのための保育施設の充実が不可欠だが、出産環境を改善していくことも同様に重要である。
例えば、出産育児一時金制度など、健康保険制度からの助成が充実されつつあるが、まだまだ拡充の余地は大きい。また、激務の産婦人科を希望する医学生が今以上に減少しないように、出産事故への救済策を拡充するとともに産婦人科医に対する各種優遇策を講じるべきだ。更には、少子化の一因でもある晩婚化傾向に歯止めをかけなければならない。
外国人の日本定住促進、あるいはフランスのような婚外子の受容など、人口増加のためにはいくつか策はあるが、これらはいまだ日本人のメンタリティーには馴染みにくいものだろう。やはり、日本人の夫婦が安心して2、3人以上の子供がつくれるような社会になってほしい。
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上記の投稿を、朝日新聞「声」に投稿したところ、採用され、修正の上、2月19日に掲載となった。今年初の投稿掲載である。私が特に強調したいのは、「少子高齢化社会に対応する仕組みを構築することより、少子化社会にならないように政府・国民が一丸となって検討・協力していくことのほうが適当ではないか。」というところですね。

インフルエンザ検査キットの質向上を

2012.02.18

・・・・・・・・河辺啓二の医療論(12)

抗インフルエンザ薬は、従来型の経口薬、吸入薬に加え、単回吸入の薬剤、そして点滴薬もあり、近い将来には発症後ある程度経過しても効果のある薬剤も登場する見通しだ。迅速検査キットも、今シーズンは、A型・B型インフルエンザに加えてH1N1(新型インフルエンザ)も検出できるようになった。年々インフルエンザ診療が容易になっているように思われる。
しかし、現在のように、連日多数のインフルエンザの患者さんを診ていると、迅速検査キットの鋭敏さが何年も前からほとんど改善していないことに少々苛立ちを覚えている。昨日発症した患者さんは陽性が出やすいのに対し、発熱後間もない患者さんは陽性が出にくい。ある一定量までウイルス量が高まらないとキャッチできないのだ。
それでいて、現在使われている抗ウイルス薬は、発症後2日くらいまでに投与しないと効果が低いとされる。つまり、検査は「もう少し待たないと確定診断できない」、治療は「発症後速やかに投与しないと効果薄」という状態がもう何年も続いている。
昔は「高熱・頭痛・体痛」がそろえばインフルエンザと診断し得たが、近年のインフルエンザは、37度程度の発熱であることも多く、症状も風邪に似て多様化しており、検査なしで診断確定することは困難になってきている。このため、発症直後~数時間しか経ていなくても少量のウイルスを検出できる簡易な検査キットが早く開発実用化できることを切に望むものである。

医療の不確実性

2011.11.06

      ・・・・・・・・河辺啓二の医療論(11)

〈医者の本音〉
医学部に再入学する前の役人時代のことだ。珍しく体調を崩し近医にかかった。診察後、その医師は「このクスリをのめばおそらく治りますよ」と風邪薬を処方した。このとき「「おそらく」とはなんて頼りないことを言うんだろう」と感じた。
ところが、自分が医者になって、この医師の言葉をつくづく納得するようになった。医療に「絶対」「必ず」などという表現は馴染まないのだ。医療は不確実なるものであり、ましてや、昨今の医療訴訟の増加に伴い、医師たちはますます言質(げんち)をとられないよう言葉を選ぶようになった。

〈未解明>>解明済〉
そもそも、医学をはじめとする全ての科学において、わかっていることよりわかっていないことのほうがはるかに多い。あの大科学者ニュートンは、謙虚に自分のことを「未だ知られざる大いなる真理の大海原を目の前にして海辺で遊んでいる少年」に喩えている。高度発展を遂げた現代科学においてもこのことは当てはまる。
東日本大震災で地震予知学の限界、すなわち現代科学の限界を思い知らされたが、科学の中でも、人体という生物体を対象とした医学は、脳科学や生殖科学をはじめ解明されていないことが見当つかないほど多いのだ。
(原因不明の病気も数知れず、よって治療法のない、いわゆる「難病」も多数ある。)

〈工学と医学の相違例〉
工学部と医学部という二つの学部を卒業した私は、物質を対象とする工学と生物体を対象とする医学との違いを、学生実験を通して痛感した。試薬の量を、工学部では厳密に測定していたのに対し、医学部ではスポイトの滴数で可とされた。「こんなんでええんかいな」と思ったが、弾性・柔軟性・多様性に富んだ生物体が対象の実験はこういうものだと徐々に理解したものだ。

〈医療の曖昧さ・不確実さ〉
その後、医師となり、長年臨床の現場にいると、医療の曖昧さ・不確実さを実感し、「わからないこと」が多数あることがわかってきた。
以下にその例のいくつかを述べる。
●そもそも、病名なんて、人間が勝手に分類し名付けたものだ。はっきり「A病」だ、「B病」だと診断できるものより、「A病」と「B病」の間のグレーゾーンの「病態」のほうが多いのではないだろうか。
●妊婦の超音波検査は胎児に全く影響ないのか。絶対ゼロとは言えないが、これまでの実績と当該検査で受けるメリットに鑑み、広く行われている。携帯電話から発せられる電磁波の健康への影響(発癌リスク?)が最近国際機関から発表されたが、確固たる信憑性があるとは言い難い印象だ。ほかに、家庭内に多い電波時計はどうなのだろう・・・。
●年間1ミリシーベルトうんぬんといった放射線被曝量の議論が喧しいが、多く浴びても影響のない人もいれば、かなり少量でも影響の出る人もいる。被曝についても個体差(個人差)が著しいのだ。
●ワクチン接種量や薬剤投与量で悩むことも多い。例えば、今年のインフルエンザワクチンは、3歳以上が成人と同じ0.5ml、3歳未満がその半量とされる。3歳の平均体重は13キロだが、10キロ程度の4歳児もいれば20キロに近い2歳児もいる。後者を0.25mlとしても前者を0.5mlとすべきか悩む。全く同様に年齢だけで投与量が線引きされる薬剤も多いし、抗生剤に至っては小児と成人への投与量が接近しやすい。ある抗生剤は、23キロの子供と80キロの大人が同じ量に規定されている。このような線引きも、人体の弾性・柔軟性によるものなのだろうが、年齢と体重がパラレルでないだけに医師の匙(さじ)加減が重要となっている。
●処方の際、薬剤の相互作用に神経を尖らせているが、例えば、A剤-B剤、B剤-C剤、C剤-A剤の相互作用についてはデータがあっても、ではA剤-B剤-C剤の同時投与の場合のデータはない。このような多剤同時投与の相互作用のデータを完備することは不可能なので、既存データを頼りとするしか術(すべ)はないのが現状だ。
●書店には「健康本」が夥しく置かれ、テレビでは毎日のように「健康番組」が流されている。ある食材が健康によいと放映されたら翌日どっと売れる。しかし、100人いれば100の健康法がある。万人普遍に言えるのは、煙草、放射性物質、有害化学物質はゼロが望ましいということくらいだ。コレステロールや血糖値の正常値も学会によって開きがかなりある。コレステロールが低すぎるのもよくないとか、ちょっと肥満のほうが長寿だとか、いろんな学説が百家争鳴状態だ。血圧やコレステロール値や血糖値の基準値がかなり低めに設定されているのは、研究寄付金を餌に学会・医学者を通じて病人を多数つくりたい製薬会社の陰謀ではないかとさえ思うことがある。

〈実はほとんどが対症療法〉
生命に関わる脳や心臓の手術又はガン摘出などの手術と、感染症に対する抗生剤投与といった根治療法を必ずしも要しない大部分の病気は、患者のホメオスタシス(生体恒常性)による回復(自然治癒)あるいは病状悪化阻止が期待できる。医師は対症療法でそのお手伝いをするのに過ぎない。高血圧や糖尿病に対する薬剤治療も、対症療法に該当する。
【抗生剤と抗ガン剤以外の薬剤は対症療法でしかない。いわゆる「体質を変える」ことなどできないのだ。】

〈最良の健康増進法〉
私たちの「健康環境」は、福島の原発事故以来確実に悪くなっている。摂取する飲食物を通じた内部被曝は少なくとも以前より上昇しているだろう。
何でも相談でき信頼し得(う)るかかりつけ医をもち、医学的助言を受けながら「不確実さの中で最適なものを選ぶ」姿勢を保持して健康増進に努めていくことが肝要である。

〈ワクチン後進国・日本〉子宮頸がんワクチンの国家検定期間の短縮を

2011.04.27

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(10)


〈不足する子宮頸がんワクチン〉

子宮頸(けい)がんを予防するワクチンの供給が全国規模で不足している。国の2010年度補正予算に盛り込まれた子宮頸がん等ワクチン接種緊急促進臨時特例交付金制度を受けた措置により、ワクチン接種全額公費負担が、各地方自治体で次々と行われることとなり、需要が急増し、製造が追いつかなくなったためだ。同ワクチンは、昨年11月から来年度まで、中学1年~高校1年の女子を対象に、接種費用の約5万円を公費で全額負担することが決定している。
 
子宮頸がんは、日本では年間約8500人が罹患し、約2500人が死亡する女性特有のがんである。子宮頸がん予防ワクチン(サーバリックス)は、発がん性HPV(ヒトパピローマウイルス)の中でも特に子宮頸がんの原因として最も多く報告されているHPV 16型とHPV 18型のウイルスに対する抗体をつくらせるワクチンであり、中1~高1でワクチン接種すれば、50~70%の確率で予防できるとされている。海外では既に100か国以上で使用されていたが、日本では、やっと2009年10月に承認され、同年12月から一般の医療機関で接種することができるようになった。しかし、高額の自己負担ということもあり、これまでは接種率は低かった。

厚生労働省は、安定供給が行われるまでは、新規の接種を控えるよう全国の自治体や医療機関に求める通知を出した。製造元のグラクソ・スミスクライン(GSK)によると、需要の大幅な増加が見込まれたため、前年の4倍以上となる400万回分を今年1年間で製造する計画を立てたが、今年1、2月だけで100万回分近い需要があり、製造が追いつかなくなったという。GSKは「1、2月に予想を超える需要が生じた。供給不足はわれわれの責任で大変申し訳ない」と謝罪している。安定供給は7月末から8月ごろになる見通しだという。


〈又しても拙劣なワクチン政策〉

このワクチンは、初回接種から1か月・5か月の間隔で計3回接種しなければならない。今回の供給不足で、接種計画が大幅に変更せざるを得なくなり、この標準間隔で接種できない人が多数出てくるおそれが生じている。

子宮頸がん発生率を減らすワクチンとして官民挙げて推奨・喧伝したのはよいが、受けたくても受けられない人が急増した。このような事態となったのは、ひとりGSKの責任ではなく、公費になれば需要急増は確実であるのに、供給体制が整う時期をにらんで公費負担時期を決められなかった国に責任はないのか。また、国は、輸入される同ワクチンの計画的増産をメーカーに依頼できなかったのか。

現段階では生産は十分確保されているのに、輸入されて私たち医療機関に届くまでまだ何か月もかかるのは、途中に各種審査を経なければならないためだという。その過程で最も期間が長いものは、80日間もかかる「国家検定」だ。検定項目がはるかに多いメーカーの「自家検定」のほうが30日間だというのにあまりにバランスが悪い。「民」は急いで働け、「官」はじっくりとやるからと言わんばかりではないか。「国家検定」も「自家検定」並みに短くすれば1か月以上早く接種することが可能となる。需要予測が読めなかった厚生労働省は、接種対象者や医療機関を混乱させたことを反省し、従来のようなのんびりした仕事ぶりは改めてほしい。

「想定外」の言い訳を連発した今回の福島原発事故ほど深刻ではない問題ではあるが、改めて政府の認識の甘さを感じるものである。

信頼される後発医薬品の普及には企業統合を

2011.03.07

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・・・・・・・・河辺啓二の医療論(9)


〈後発医薬品は先発医薬品と異なる〉

2月19日付け朝日新聞「私の視点」に『後発医薬品 先発品と「同一」望ましい』と題して非常に優れた投稿が掲載されていた。私は、この意見を強く支持する。

厚生労働省は、実際は「同一」でないのに「先発品と同効果で価格は安い」と国民に喧伝し、医療側に対しては診療報酬の加算点変動で後発品処方増への誘導を行う。健康保険組合は、組合員に後発医薬品(ジェネリック)推奨カードの配布に加え、「あなたが服用している○○(先発品)を△△(後発品)に変えれば、一月当たりの負担金は●●円安くなります」という通知までしているのには驚く。健保組合の事務量、コストを増大させても後発品を普及したいのだろう。

(厚生労働省と健康保険組合と後発医薬品メーカーが、「先発品と全く同じ効果で価格ははるかに安い」と喧伝していたが、主成分以外の添加物や製造工程等が異なるため、実際は効果が異なることを認めたのか、さすがに最近は「同じ効果」と言わなくなったようだ。) 

私も、いまだ、後発医薬品の処方には二の足を踏む医師の一人だ。実際に処方して、先発品と全く変わらない場合もあるが、「利きが悪い」「副作用が出た」という患者さんに出くわすことも少なくない。その際、次回からはその薬剤は他の患者さんにも処方するまいと思ってしまうものだ。


〈真の「同一」後発品の製造販売の実現へ〉

「私の視点」で主張されているとおり、真の「同一」後発品が製造販売されることが望ましいと思う。そのためには、現在後発医薬品を供給しているのは小資本の製薬会社が多く、良質の製品を安定的に供給できる会社の数も少ない(後発品メーカーの都合で製造中止になることが少なからずある)という現状を踏まえ、医療政策として、企業の合併統合を進めていく必要があるのではないだろうか。
多数ある小企業の後発品メーカーが合併統合することにより、充実した製造設備を有し、多くの医療情報提供者を配置できる大きな企業となれば、われわれ医師側も、安心して、もっと後発品の処方に積極的になれるのではないだろうか。


〈日本はドイツのようになっていいのか〉

ドイツのように医療費抑制策が強化されたために、製薬会社がほとんど後発品メーカーになる国家はいかがなものか。世界の製薬会社のランキングを見るに、米国、英国、スイス、フランスなどに比べ、医療先進国であるドイツのメーカーは、意外に少なく、やっとベーリンガー・インゲルハイム社がやっと15位あたり(日本のトップ武田薬品と同レベル)に入っているくらいだ。

国土や天然資源に乏しい日本の今後の経済を考えるに、得意とするナノテクノロジーなど頭脳集約型産業の中で医薬品産業がその一角を担うのにふさわしい産業なのだが、今のような医療費削減策で後発品メーカー優遇策を進めればドイツの二の舞になるだろう。

「雨後のタケノコ」流行の高血圧配合剤は医療を雑にしないか

2011.02.11

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(8)

〔第2案・提出案〕
医療産業の中核を担っている大手製薬会社は、現在厳しい状況にある。「医薬品の2010年問題」と呼ばれるもので、これまで各社の主力をなしてきた薬品の多くが、この数年以内に特許切れを迎えた、又は迎える予定なのだ。特許が切れてしまうと同じ有効成分を持つとされる薬品が別の会社が作って安価で販売できるようになる。これが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」である。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうした後発医薬品は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で比重の大きい薬剤費を削減するため、後発医薬品のシェアを拡大しようと数々の措置を講じてきた。このため、先発医薬品から後発医薬品へのシフトが全国の医療機関で起き、先発メーカー各社は、その経営が一層厳しくなり、かといって新薬開発には膨大なコストと時間がかかるため、生き残りの知恵を絞った結果、既存の薬品の2種を合剤とし、新たに新薬扱いとして、当分ジェネリックができないようにする手段に訴えてきた。現在のところ、ARBという最も主流の降圧剤に利尿剤又はカルシウム拮抗薬という降圧剤を付加したものが6社からなんと13品目も出されており、更にはカルシウム拮抗薬+高脂血症治療薬というものまで登場しており、この「雨後のタケノコ」のような配合剤ブームは収まりそうもない。

いまのところ、メディアでは「今まで2つだった薬が1つに減った」「薬剤負担金も減った」と歓迎的である。本当に手放しで喜んでよいのか。

例えば「A剤+B剤」という合剤でコントロールしてきた患者が、生活習慣の改善により、血圧又はコレストロール値が少々下がってきた場合、B剤の成分をゼロにするのはちょっと怖い、「A剤+1/2×B剤」の強さにしてみたいと思っても、それに合致する合剤がない。となれば、「まぁ、今の強さのままでいいか」という判断が起こりかねない。つまり、当該患者は、適正な強さの合剤がないというだけの理由で、その後も数週間、その人の現状態にしてはやや強い薬剤を飲み続けることになる。こういう事態が、今、全国の病院・診療所で起きているのではないかと危惧される。

上述のとおり、生活習慣の改善の程度、あるいは季節(血圧が夏場に下がり、冬場に上がる患者も少なくない)により、疾患の状態は変化するものであり、それに合わせて処方薬剤はきめ細かく変化させていくことが(もちろん安定していれば変える必要はないが)我々医師の当然の責務だと思う。

「まぁ、今のままでいいか」と多忙な医師の怠慢感を増長させないためにも、製薬会社は、後発品対策で合剤を増やすことはもうやめてほしいものだ。とはいえ、しかし、製薬会社は、私的な株式会社であり、経営維持のため、このような「合剤戦略」を行うことを直ちに批判はできない。製薬会社をこのような窮地に追い込んだのは、厚生労働省・財務省の財政健全化至上主義による不適切な医療費削減策であることはいうまでもない。


〔第1案〕
医療産業の中核を担っている大手製薬会社は、現在とても厳しい状況にある。「医薬品の2010年問題」と呼ばれるもので、これまで各社の主力をなしてきた薬品の多くが、この数年以内に特許切れを迎えた、又は迎える予定なのだ。特許が切れてしまうと同じ有効成分を持つとされる薬品が別の会社が作って安価で販売できるようになる。これが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」である。
財政健全化を至上命題とする財務省及び同省に首根っこを抑えられた厚生労働省並びに赤字減らしに躍起な健康保険組合のベクトルが揃ったところが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」のシェアアップである。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうしたジェネリック医薬品は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で大きなシェアを占める薬剤費を削減するため、ジェネリック医薬品のシェア拡大のため、数々の措置を講じてきた(例えば、処方箋に医師が署名捺印しなければ薬局は後発品に変更できるなど)。このため、先発医薬品からジェネリック医薬品へのシフトが全国の医療機関で起き、先発メーカーの経営が厳しさを増し、かといって新薬開発には膨大なコストと時間がかかるため、生き残りの知恵を絞った結果、これまでの薬品の2種を合剤とし、新たに新薬扱いとして、当分ジェネリックができないようにする手段に訴えてきた。現在までのところ、ARBという現在最も主流の降圧剤に利尿剤又はカルシウム拮抗薬という降圧剤を付加したもの、更にはARB+高脂血症薬というものが処方可能となっており、その数や、現時点で7社、なんと17種にもなっている。

いまのところ、メディアでは「今まで2つだった薬が1つに減った」「薬剤負担金も減った」と歓迎的である。本当に手放しで喜んでよいのか。

例えば「A剤+B剤」という合剤でコントロールしてきた患者さんが、生活習慣の改善により、血圧又はコレストロール値が少々下がってきた場合、B剤の成分をゼロにするのはちょっと怖い、「A剤+1/2×B剤」の強さにしてみたいと思っても、それに合致する合剤がない。となれば、「まぁ、今の強さのままでいいか」という判断が起こりかねない。つまり、当該患者は、適正な強さの合剤がないというだけの理由で、その後も数週間、その人の現状態にしてはやや強い薬剤を飲み続けることになる。こういう事態が、今、全国の病院・診療所で起きているのではないかと危惧している。

上述のとおり、生活習慣の改善の程度、あるいは季節(血圧が夏場に下がり、冬場に上がる患者も少なくない)により、疾患の状態は変化するものであり、それに合わせて処方薬剤はきめ細かく変化させていくことが(もちろん安定していれば変える必要はないが)我々医師の当然の責務だと思う。

「まぁ、今のままでいいか」と多忙な医師の怠慢感を増加させないためにも、メーカー各社は、後発品対策で合剤を増やすことはもうやめてほしい。(更に、薬局もいままで以上に品目を置かなければならなくなり、在庫管理という本来の調剤業務以外の仕事が増大してしまっていることも認識しなければならないだろう。)医薬品メーカーの社会的存在意義は大きい。国民の生命の維持や健康の向上に大きく貢献していることは否定できない。ただ、会社の形態は、商法上の株式会社であり、利潤追求を行うものであり、国民の生命の維持や健康の向上という公的な役割となじませるべく、種々の法的規制が被されているのだ。このバランスが難しい。もっと根幹的なことをいうと、薬剤メーカーをこのような合剤戦略に追い込んだのは、冒頭述べた厚生労働省・財務省の財政健全化至上主義による不適切な医療費削減策であることはいうまでもない。

財政主導の医療行政が昨今の「医療崩壊」を招いたことは明白だが、このような財政によって歪められた医薬行政により新薬開発の遷延が起きていることに鑑み、ジェネリック偏重についても政府は方針を改めるべきではないだろうか。(1789字)

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上記と同様な内容を朝日新聞「私の視点」に1月9日に投稿したところ、1月22日に掲載されました。その間、修正につき何回かやりとりがありました。実際に手直しされて掲載されたものは、上掲のとおりです。(「メディア(その他)」のコーナーにも示します。)

財政主導の医薬行政が新薬開発を阻む

2010.05.21

・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(7)


〈政府はジェネリック大好き〉

財政健全化を至上命題とする財務省及び同省に首根っこを抑えられた厚生労働省並びに赤字減らしに躍起な健康保険組合のベクトルが揃ったところが「後発医薬品(ジェネリック医薬品)」のシェアアップである。

医薬品は特許制度によって保護されており、製薬会社が特許申請し、認められた構造の化合物は、一定期間(通常20年)の間、他社が勝手に製造・販売してはならないとされている。しかし、この期間が経過した後は、他社が同じ構造の薬を販売することが許されるようになる。こうした後発医薬品(ジェネリック医薬品)は、臨床試験の巨大なコストの負担がないため、先発品に比べて安く販売できることとなる。


〈財政主導でジェネリック拡大へ〉

政府は、膨張する社会保障予算の拡大をなんとか食い止めようと、医療費の中で大きなシェアを占める薬剤費を削減するため、ジェネリック医薬品のシェア拡大のための施策を次々と打ち出してきた。というのは、欧米では、医師が処方する全薬剤に対するジェネリックの割合が約5割もあるのに対し、日本では、それが2割程度しかなく、なかなか伸びない状況にあったからだ。

〔日本政府は、何かというと欧米の猿まねをする。かの裁判員制度もそうだが、大きい後発品メーカーの多い欧米と中小後発品メーカーの多い日本と同列に考えている。裁判員制度だって、キリスト教をバックボーンとする欧米人と無信教の日本人と同じに考えるべきではない。〕

この数年間、政府の医療費抑制施策で、「先発医薬品減らし+後発医薬品増やす」策のため、数々の措置が講じられてきたのだ(例えば、処方箋に医師が署名捺印しなければ薬局は後発品に変更できるなど)。ところが、依然としてシェアが低いことに「業を煮やした」国は、この4月から遂に決定版ともいえる策を打ち出した。薬局の投薬の中での後発品のシェアが低い場合、当該薬局が大きな減収になるという「ペナルティー」を課したのだ。薬局の経営に関わる施策で薬局を脅してしまっている。今後は、薬局経営が破綻しないか、という不安が生じている。


〈医師たちの反応〉

日本の医師たちの意識では、使い慣れた先発医薬品から後発医薬品への転換には抵抗がある。後発品は先発品と同じと(政府は)言うが、同じなのは主成分の化学構造であって、添加物は異なることがあり、また水に溶解する試験など先発品と同じ試験を行っていないものも多く、もし(先発品投薬と違って大きな副作用が発現しないにしても)先発品ほどの効果が得られなかったら、という一抹の不安が払拭しきれないのである。先発品の場合、何か問題が生じたらMR(※)に連絡したら、すぐに来てくれるという安心感があるのに対し、(中小メーカーが多い)後発品の場合、なかなか来てくれそうにないという不安がある。何しろ、先発品メーカーのMRは、一会社につき一市当たり何人もいるに、後発品メーカーの場合、一県に一人しかいないという、圧倒的なマンパワーの差があるのだ。もちろん、この差が価格差に反映してはいるが、価格差の主因は何といって、上述の試験開発費の差である。


〈膨大な医薬開発費〉

医薬品の開発費は、他の工業品のそれから見れば、驚異的なほどだ。これは、ひとえに人体の中に入って作用するという極めて重要な製品であるがゆえ、厳重な許認可体制の下に置かれているためだ。先発品メーカーは、オーファンドラッグ(※)のような国からの助成があるものを除き、自前で研究開発をしてきた。その原資は、会社の薬品の売り上げから生じる「儲け」だ。先発医薬品メーカーは儲け過ぎだという批判も、昨今の政府のジェネリック傾倒の根底にあるのかもしれないが、この「儲け」が減少したらどうなるだろうか。新しい医薬品を開発するインセンティブは半減するに違いない。つまり、今でさえ、全医薬品メーカーを通じて、年間やっと十数個くらいしか開発されないのが、ほんの数個になってしまうだろう。


〈苦境に立たされる先発メーカー〉

1990年前後は大型医薬品(ブロックバスター)の開発が多く、これらが医薬品メーカーの収益を支えてきた。しかしこれらの医薬は2010年前後に特許切れし、これらがジェネリックに置き換われば、開発企業の収益が激減する。

他業種に比べた製薬業界の特色として、少ない商品数で巨大な売り上げ・利益を得ている点が挙げられる。従って一つでも大型商品の売り上げが失われれば、巨大メーカーといえども大きな打撃を受けることになる。今後、特許切れによる利益減少を埋め合わせるために新薬を開発しようとしても、臨床試験の厳格化・新規医薬のターゲットの枯渇などの問題があり、これまでのような繁栄を謳歌してきた大きな製薬会社は苦境に陥る可能性が大きい。

医薬品メーカーの社会的存在意義は大きい。国民の生命の維持や健康の向上に大きく貢献していることは否定できない。ただ、会社の形態は、商法上の株式会社であり、利潤追求を行うものであり、国民の生命の維持や健康の向上という公的な役割となじませるべく、種々の法的規制が被されているのだ。このバランスが難しい。実質的には、第三セクターか公益法人に行わせることが適当かもしれない医薬品の開発・製造・販売が、すべて純然たる民間会社が行っている。(オーファンドラッグなら第三セクターか公益法人が扱うのが適当ではないか)


〈政府は方針転換すべきだ〉

肝要なことは、新薬開発を待っている難病や治療不調の患者が少なくないことを認識することである。新薬開発が遅れれば、そのぶん、死や長期の苦痛を受容せざるを得ない人たちが多くなるだろう。財政主導の医療行政が昨今の「医療崩壊」を招いたことは明白だが、このような財政主導の医薬行政により新薬開発の遷延が起こることに鑑み、ジェネリック偏重についても政府は方針を改めるべきではないだろうか。

※ MR・・・Medical Representative の略。医薬情報担当者のことで、医薬品の適正な使用に資するために、医薬関係者を訪問すること等により適正使用情報を提供し、収集することを主な業務とする。多くの場合、製薬会社に所属しており、自社の医薬品情報を医師等医療従事者に提供し、副作用情報を収集することを主たる業務とする。

※ オーファンドラッグ・・・Orphan Drug(orphanは孤児を意味する)で、希少疾病用医薬品のこと。難病などの治療で必要性が高いにもかかわらず、患者数が少ないため、採算の取れない医薬品のことをいう。日本では、薬事法第77条で指定された、希少疾病に用いられる医薬品を指す。患者数の少ない病気の治療薬は採算が取れないため、企業の自主努力に期待するのは困難であることに鑑み、政府は、指定した疾病について企業に研究開発費を助成している。

ワクチン政策の拡充を望む(2)ー日本脳炎再開に当たって―

2010.03.29

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(6)


〈日本脳炎ワクチンの事実上中止から5年〉

日本脳炎ワクチン接種と急性散在性脳脊髄炎(ADEM)の因果関係が否定できない事例が認められたため、2005年5月、厚生労働省から「現行のワクチンでの積極的推奨の差し控えの勧告」が行われた。

このときは、より安全性が高いと考えられた新しいワクチンが1、2年で登場し、再び積極的にワクチンが行われることになるだろうと思っていた(事実、2006年夏に接種再開の予定だったが、治験において副反応が認められたため、治験が追加され、遷延したらしい)。

ところが、待てど暮らせど一向に出て来ない。やっと新しいワクチン(「乾燥細胞培養」日本脳炎ワクチン)が2009年6月に発売されたと思いきや、依然として積極的推奨の差し控えは継続されるという。今回の理由は、副作用問題でなく、メーカーの供給体制が整っていないからだという。こうして2010年春、供給体制が整い、やっと積極的推奨が復活する見込みとなった。そのブランク、なんと5年である。


〈臨床の現場で悩ましい問題とは〉

この5年間で、3歳の幼稚園児は小学2年生に、小学1年生だった子は小学6年生になった。さて、この春から接種が積極的に行われるとして、困る問題がいくつかある。

その前に、日本脳炎ワクチン接種の現行のスタンダードをお示ししよう。

A.1期初回 生後6か月から90か月(7歳半)未満(推奨は3歳)に1週~4週の間隔で計2回

B.1期追加 生後6か月から90か月(7歳半)未満で、1期初回終了後おおむね1年後(推奨は4歳)に1回

C.2期 9歳から13歳未満(推奨は9歳(小学4年生)) 1回
〔かつては、第3期 (14歳から16歳未満)というのがあったが、有効性に乏しいということで、2005年7月に廃止された。〕

まず、上記に該当しなければ、公費で行えないことがある。5年間もお上(かみ)から「待った」をかけられて待っていたのに、再開しようとしたら90か月超えているから1期のワクチンは公費ではできません、あるいは、13歳以上だから2期のワクチンは自費で受けてくださいというような非情なことを行政は言うのではないかという懸念である。

このようなおカネの問題だけではない。以下のような状態の子どもたちには、今後どのようなワクチン接種をして行くべきなのか。

①A. 1期初回で1回目を受けた後の4週間の間、2回目を受ける前に、積極的推奨が差し控えさせられた者

②A. 1期初回の2回は済んだものの、その後1年の間でB.1期追加を受ける前に、積極的推奨が差し控えさせられた者

③A.B.の1期は済んでいるものの、2期の接種の前に積極的推奨が差し控えさせられ、現在、高校生くらいの年齢に達している者

③については、1期終了からずいぶんと期間が空いている(最大で約14年となる)が、2期の1回接種で有効性が担保されるかという懸念がある。

もっと厄介なのは①と②のケースである。すなわち、それまでの接種は「水に流し」、振り出しに戻って今回の新しいワクチンをスタンダードどおり行うのか。ただ、例えば②の場合、スタンダードの合計接種回数より2回も多くなる。これで身体への影響は問題ないのかという懸念が生じる。


〈国に求めること〉

最年長で12歳11か月で上記Cの2期接種を予定していて中止した人は18歳になっている。したがって、18歳、すなわち高校生までの人は、すべて公費で日本脳炎ワクチンが受けられるようにしてほしい。「いのち」を大事にする鳩山政権なら、これくらいの国費を捻出して然るべきだと思う。

更に、前項で述べたように、複数回接種の途中過程において「待った」をかけられた人たちに、今後どういうスケジュールで接種を受けるのが最も適当であるかを示してほしい。医学的データに基づいた指導が望ましいが、前例がないだけに困難かもしれない。しかし、医療現場の医師たちに「丸投げ」されては困るのである。

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上記と同様な内容を朝日新聞「私の視点」に2月17日に投稿したところ、3月27日に掲載されました。その間、修正につき何回かやりとりがありました。実際に手直しされて掲載されたものは、「メディア(その他)」のコーナーに示します。

ワクチン政策の拡充を望む(1)ーワクチン後進国から脱却を―

2010.03.22

・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(5)

2月14日のブログでも述べたように、日本はワクチン後進国である。新型インフルエンザワクチンしかり、日本脳炎ワクチンしかり。日本がアジアの中で最も進んでいる気になっているが、例えば、香港では、通常、幼少期にB型肝炎ワクチンが接種されているなど、他国で日本より優れた公衆衛生策が講じられているようだ。
最近発売されたものでは、子宮癌ワクチンがあるが、これも国からの助成は一切なく(先進的な地方公共団体では、助成するところもあるらしい)、全額自己負担のため、普及は遅々たるものだ。なにしろ、1か月ごと3回接種で完結するが、合計約5万円もかかるワクチンなのだから。5万円で子宮癌に罹る確率が低下するのが、高いと感じるか安いと感じるかは、個人の考え・財政状況によるだろう。

少し前に認可されたものでは、小児のヒブワクチンがあるが、これにしても、国費投入はゼロだし、そもそも各先進国が何年も前から行っているのが、やっと日本で認可された「遅きに失し」かねなかったワクチンだ。こちらのほうは、メーカーの供給より需要のほうが高いようで、病院によっては、何か月も待たされる場合があるようだ。要するにメーカーの供給体制が潤沢でなく、一医療機関当たり、一か月当たり○人分までという「縛り」が実施されているのだ。メーカーの話では、近々、この「縛り」が解除される見通しだとか。

多くの医療先進国で行われているワクチンが、日本でもやっとおおむね受けられるようになってきたことは喜ばしい。「認可」の次は「助成」だ。公衆衛生策の一環として、公費負担によるワクチンをどんどん増やしてほしいものだ。
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上記と同様な内容を読売新聞「気流」に投稿したところ、3月9日掲載されました。以下は、同新聞社に送った投稿原稿です。実際に(若干手直しされて)掲載されたものは、「メディア(その他)」のコーナーに示します。


●ワクチン後進国から脱却を

「命にかかわるヒブワクチン増やして」(22日)に共感。日本は、医療先進国とはいえ、ワクチンでは後進国なのだと痛感する。
「麻疹輸出国」という不名誉な称号を得て、麻疹ワクチンが2回接種になったのが、やっと4年前のことだし、5年前から副作用問題で国から積極的推奨の差し控えが継続している日本脳炎ワクチンは、再開への万全な態勢が未だ整っていない。

ヒブ(インフルエンザ菌b型)ワクチンにしても、そして最近発売された子宮癌ワクチンにしても、海外では既に多くの国で使われており、「やっと」日本で認可されたものだ。

しかも、これらのワクチンは、国からの助成は一切なく(先進的な地方公共団体では、助成するところもあるらしい)、全額自己負担のこともあり、接種率は高いとは言えない。

多数の国で行われているワクチンの多くが、日本でやっと受けられるようになってきたことは喜ばしい。「認可」の次は「助成」だ。新型インフルエンザワクチン接種に国の助成が全くなかったことが記憶に新しいが、公衆衛生策の一環として、公費負担によるワクチンをどんどん増やしてほしい。

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