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記事一覧

節電で「冷房病」激減

2011.08.07

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・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(12)

毎年、夏の時期になると、いわゆる「冷房病」の患者さんが多数来院します。特に女性勤労者に多い。オフィスではスーツ・ネクタイ着用の男性社員を基準に、エアコンがかなり低い温度に設定されているため、スカート着用の女性職員にとってはやや肌寒い環境となっています。このため、体温調節をつかさどる自律神経の失調から体調不良を来たし、身体の冷えや疲労感等、あるいは風邪のような症状を呈する「冷房病」発症となるのです。過度の冷房、長時間の冷房は、私たち人間の体温調節機能を著しく低下させているわけです。
しかし、今夏は、様変わりです。そのような患者さんはほとんど見られなくなりました。
考えてみれば、私たち日本人はなんてバカなことをしてきたものでしょう。過度の冷房で無駄なエネルギーを消費し、多くの人たちの健康を害し、医療費を増大させ、体調不良で仕事を休んだぶんの経済的損失までをも生じさせてきたわけですから。
今回の東日本大震災は、私たちに無数の甚大な「負」の影響を与えてきましたが、原発事故に起因する節電マインドの向上は、上記のようなエネルギー浪費を改めさせるのみならず、「冷房病」を激減させ、医療コスト等経済的浪費を減らしているように思えます。震災による数少ない「正」の影響ではないでしょうか。もちろん、過度の節電で熱中症にならないように留意することが重要ですが。
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上記の内容を8月4日(木)夜に読売新聞「気流」にメール投稿したところ、翌5日(金)昼に電話連絡で原稿修正の確認があり、6日(土)付け同欄に掲載されました。メールしてから掲載までなんと1日強というスピード掲載でした。

伊方がイカタにならないために

2011.08.01

・・・・・・・・・・・・東日本大震災(11)

〈放射性物質より軽い首相の「脱原発」発言〉
ドイツのように有力な環境政党もなく、イタリアのように国民投票制度もない我が国は、いまだ「国家」としての「脱原発」の方針が固まっていない。レイムダック(死に体)の首相の「脱原発」発言など、今なお福島県の大気中に浮遊する放射性物質より軽いものとなっている。
もちろん、隣接国から電力供給可能なヨーロッパの国と島国日本は事情が異なることはわかる。ただ、世界で唯一の核被爆国で、今回、人類が経験したことのない長期の原発放射能汚染を目の当たりにしている当の日本の為政者が、事故後4か月以上経っても、「脱原発」の方針を旗幟鮮明にしていないとは、誠に情けない。

〈国・電力会社の許され難き懐柔策〉
最近、原発に関する多くの情報を知る中で、最も納得したのは、「国も電力会社も、原発が絶対安全ではないと知っているから、送電コストの小さい、電力需要の大きい人口密集地の近くでなく、送電コストのかかる遠い過疎地に原発をつくる。もし事故が起きたとき、被害が少なくてすむから」という意見だ。まさに正鵠を得ている。莫大な交付金や大量の雇用創出という「分厚い札束」で過疎地の貧しい自治体や住民の頬をぱたぱたと叩いて「ほんのちょっとだけ危ないかもしれないが、この大金やるからいいだろ?」という構図だ。これが日本全国の原発立地市町村で行われて来たのだ。

〈経済停滞は一代、遺伝子異常は末代〉
原発廃止反対の理由としては、原子力発電がなくなれば、電力コストが上昇し、海外へ工場が移転するなど「産業の空洞化」が進んで我が国経済が停滞するとされている。更には、原発及び原発関連産業に携わる多くの人々が失業することも挙げられている。確かにこれらの反対意見は無視できない。しかし、仮に、ストレステスト(耐性検査)をクリアし安全操業が徹底されたとしても、地震大国・日本で今後、福島原発事故のようなシビアアクシデントが起こらない保証は全くない(「ストレステストでは想定できなかった」とでも釈明することだろう)。私たち国民が認識しなければならないのは、放射能汚染は私たち現世代だけでは終わらないことだ。放射能で傷ついた遺伝子は子孫に受け継がれていく可能性が大きい。現にチェルノブイリで被曝した人たちの子に遺伝子異常が生じていることが判明しているではないか。
「産業の空洞化」による経済停滞は、せいぜい一世代止まりだろう。科学技術ポテンシャルの高い我が国は、いずれは自然再生エネルギーが原子力発電の穴を埋めるほどに進化・成長するものと期待してよい。もちろん、直ちに原発を全廃することは日本社会の混
乱を招くことは必至であり、新しいクリーンなエネルギーが大規模に利用できる段階に達するまでは原子力発電は過渡期のエネルギーとし、数十年後には原子力発電から完全撤退すべきだ。それまでの間、国民は、冷暖房・照明を減らす努力・工夫を続け、政府は、節電に協力的な企業の経営や原発関連産業の人たちの転職・雇用に対して支援を行いながら、国全体としては経済停滞を甘受していくことが妥当ではないだろうか。経済を選ぶか、安全と健康を選ぶか、となれば、多くの国民が後者を選ぶに違いない。「経済停滞は一代、放射能汚染は末代」と肝に銘じるべきだ。

〈代替手段のない医療と原発は違う〉
私の従事する医療との比較においても、原発不可欠論は砂上の楼閣となる。
医療において、ミスは許されず「絶対安全」が前提になっている。にもかかわらず、医療過誤事件や薬剤・ワクチンによる重篤な副作用の発生が度々報道される。(医療過誤まで至らない「ヒヤリハット」や軽度の副作用事例だと、無数に潜在している。)
「絶対安全」が不可能だから医療行為は全廃できるか。それはできない。医療に代替するものがない。祈祷や超能力で病気が治るわけではないことは、現代人は知っている。(医療ミスの最小化や副作用問題対策などに政府も医療従事者も鋭意努力しているところだ。)
電力等エネルギーも、現代社会には不可欠になっている。しかし、果たして原子力発電が不可欠なのか。前述のとおり、今後、完璧な安全管理で原発が運用されたとしても、我が国のような地震大国において、今回のような「想定外」のことは起こり得る。明日、「想定外」の大地震が起こるかもしれない。「想定」はあくまで有限であり、無限の「想定」は不可能なのだから「100%安全」はあり得ない。
発電手段が原子力だけではないのだから、医療のように全廃できないという理屈は成り立たない。

〈伊方よ、「イカタ」にならないで〉
四国電力伊方原発は、いつ大地震が来るかわからない、日本最大の活断層「中央構造線」上に建設されており、しかも、現在停止中だが、その3号機は、「人類が遭遇した物質のうち最強の毒物」に属すると言われるプルトニウムを使用する「プルサーマル」発電だ。ひとたび事故が起これば、私の育った大洲市を含め、広範囲の地域、緑深い四国の森や青々とした美しい瀬戸内の海を一瞬にして大量汚染することだろう。「伊方」よ、「イカタ」にならないでくれ。
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今まで主張したことも含め、ふるさと愛媛の伊方原発を念頭において書いたものです。
長くなったため縮約され、2011年7月24日付け愛媛新聞「道標」に掲載されました。

実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。

経済停滞は一代、放射能は末代まで

2011.07.23

・・・・・・・・・・・・東日本大震災(10)

国民意識の調査で7、8割もの人が原発廃止を望んでいることがわかっているにもかかわらず、依然として我が国政府は原発維持又は推進の姿勢を保っているように見える(退陣予定の首相の「脱発言」宣言はあまり重くない)。
原発廃止反対の理由としては、原子力発電がなくなれば、電力供給が減り、製造業の生産活動に支障を生じ、海外へ工場が移転するなど「産業の空洞化」が進んで我が国経済が停滞するとされている。更には、原発及び原発関連産業に携わる多くの人々が失業することも挙げられている。
確かにこれらの反対意見は傾聴に値する。しかし、仮に安全操業が徹底されるとしても、地震大国・日本で今後、福島原発事故のようなシビアアクシデントが起こらない保証は全くない。私たち国民が認識しなければならないのは、放射能汚染は私たち現世代だけでは終わらないことだ。放射能で傷ついた遺伝子は子孫に受け継がれていく可能性が大きいのだ。現にチェルノブイリで被曝した人たちの子に遺伝子異常が生じていることが判明しているではないか。
「産業の空洞化」による経済停滞は、せいぜい一世代止まりだろう。科学技術ポテンシャルの高い我が国は、いずれは自然再生エネルギーが原子力発電の穴を埋めるほどに進化・成長するものと期待してよい。
それまでの間は、節電に協力的な企業の経営や原発関連産業の人たちの転職・雇用に対して、政府支援を行いながら、国としては経済停滞を甘受していくことが妥当ではないだろうか。

医療と異なる原発は将来的に全廃を

2011.06.05

・・・・・・・・・東日本大震災(9)

医療において、「絶対安全」が前提になっている。にもかかわらず、医療過誤事件や薬剤・ワクチンによる重篤な副作用の発生が度々報道されているところである。(医療過誤まで至らない「ヒヤリハット」や軽度の副作用事例だと、無数に潜在している。)
「絶対安全」が不可能だから医療行為は全廃すべきか。それはできない。医療に代替するものがないから。祈祷や超能力で病気が治るわけではないことは、現代人はわかっている。医療ミスの最小化や副作用問題対策などに政府も医療従事者も鋭意努力しているところである。
電力等エネルギーも、現代社会には不可欠になっている。しかし、果たして原子力発電が不可欠なのか。今後は安全管理を徹底して原発を続けると言われても、私たちは信用できなくなっている。仮に、適切に運用されたとしても、我が国のような地震大国において、今回のような「想定外」のことは今後も起こり得る。「想定」はあくまで有限であり、無限の「想定」は不可能なのだから「100%安全」はあり得ない。
発電手段が原子力だけではないのだから、医療のように全廃できないという理屈は成り立たない。
もちろん、直ちに全廃することは日本社会の混乱を招くことは必至だが、国民は、過度の冷暖房・照明を減らす努力・工夫を続けるとともに、政府・電力関係者は、再生可能な新エネルギーの研究開発を一層充実強化し、数十年後には原子力発電から完全撤退することを目指すべきだ。

脱「脱官僚」へ

2011.05.26

・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(8)


〈東日本大震災の衝撃〉

私たち日本人は、約70年に1回、従来の価値観、人生観を変えてしまうような「大事件」「大変革」を経験するものなのだろう。1868年前後の明治維新、1940年代前半の太平洋戦争、そして今回の大地震・大津波・原発事故だ。戦後、オイルショック、バブル景気、阪神淡路大震災、リーマンショックなど、何度となく大きな局面に対峙してきた日本であるが、今回のことは、明治維新や太平洋戦争に匹敵するほど社稷を揺るがすものだ。被災者以外の多くの日本人にとっても、身内の死亡など個人的なことは別として、人生上最大のショックではないだろうか。

「世界一清潔で好かれる国」から、わずか一か月で「放射能汚染大国の嫌われ者国家」へ転落した感が否めない。国際的信頼を失墜した日本は、震災からの復旧・復興とともに、その回復に向け、戦後の焦土から奇跡的復興を遂げた時代のように、真摯な国民性、勤勉性を取り戻し、国民が一丸となって努力していかなければならない。


〈「脱官僚」で政権を得た民主党〉

「霞が関の官僚は、勉強はできてもバカばっかり」

菅直人首相が首相になる前、言い放っていた言葉だ。確かに「学校の勉強」と「頭のよさ」は似て非なるものであることは理解できる。

その首相が、「脱官僚」ばかりでは二進も三進も行かなくなり、「皆さんに協力していただきたい」などと徐々に官僚に擦り寄るようになってきた。そうこうしているうちに「3.11」が起きた。

民主党は「脱官僚」を旗印に、一昨年、国民の圧倒的な支持を得て政権の座についた。自民党政権時代の政治は官僚主導だと断じ、政治家中心の政治主導を実現するための改革を進めた。明治時代から続く事務次官会議を官僚支配の象徴だとして廃止し、政務三役と称して一府省当たり三人以上(大臣、副大臣、政務官)の国会議員を各府省に送り出し、「政治主導」をアピールしてきた。


〈過度の官僚排除が招いた悲劇〉

しかし、事務次官会議の廃止で首相官邸と各省庁との連携が悪くなったことは否めない事実だ。この事務次官会議に代わる新しい仕組みができないまま、大震災に直面してしまった。政権についてまだ二年も経たないうちに、戦後最大の国家的危機を迎えるとは不運であるかもしれないが、そのあまりに稚拙な対応ぶりに多くの国民が憤慨し失望している。 (「歴史」にifはつきものだが、もし、自民党政権のときに「3.11」が起こっていたらどうだっただろう。

毎年首相が代わった自民党政権末期の際ならば、現首相と同様、強力なリーダーシップは望めなかったに違いない。しかし、当時は、事務次官会議が機能しており、今よりは各省庁の連携がとれていたため、少なくとも、もっとマシな対策ができていただろう。)
官僚の排除に拘り過ぎて対応が後手に回ってしまった結果の一つが、原発事故の放射能汚染拡大という大惨事であると言っても過言ではない。

民主党内閣が官僚を過度に排除してきたために、どの組織にどんな装備・人材があるかといった情報を把握できていなかった。政府内に入って来る政治家は同じ省庁に長くはいない。しかし、官僚はその省庁で何年もいて、その業務に精通しているし、他の省庁とも縄張り争いはするものの、それなりの連携ができている(例えば、現地で獅子奮迅の活躍をしてくれている自衛隊・警察・消防も、広義の官僚組織に含まれるものである)。今回の被災対策や原発事故対策で、この優れた官僚組織が有効に活用されていたとは思われない。


〈各府省連絡会議で官僚活用を〉

民主党は、過度の官僚排除が招いた惨劇を反省すべきである。今後は、震災後開催されるようになった、事務次官会議の復活とも言われる各府省連絡会議を、政治と行政の隙間を埋めるとともに府省間の連携の緊密化を図る恒常的な場とする必要がある。そして、「政治主導」で萎縮したといわれる官僚たちの士気を高め、その能力を有効に活用することが肝要である。例えば、今回の国家的危機には、災害対策基本法、激甚災害法、原子力災害対策特別措置法など既存の法律だけで対処することは困難であるため、復興基本法など複数の特別立法の早期公布施行が望まれるが、そのために、立法技術に長けた官僚たちを存分に活用することが期待される。

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以上の内容を修正して、2011年5月15日付け愛媛新聞「道標」に掲載しました。

実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。

原子力安全行政組織は福島に置け

2011.05.15

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・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(7)

業界を規制する原子力安全・保安院と振興する資源エネルギー庁が同じ経済産業省の組織という状態を放置してきたのは、「政・官・業」癒着の悪弊にほかならない。

今回の社稷を揺るがす大惨事に遭ってやっと保安院を経産省から分離する動きが出てきた。原子力安全行政の重要性・専門性に鑑みれば、(今回活躍の乏しかった)内閣府の原子力安全委員会と保安院を統合・一元化し、内閣府・各省庁から独立した強力な組織に早急に再編すべきだ。

その新組織が置かれる場所は、福島県内が最も適当だと考える。新組織発足後当面は、県庁所在地の福島市とし、放射能汚染収束後は、福島第1原発のなるべく近くの市町村に再配置するのがよい。

ほぼ半永久的に監視続けなければならない同原発の近くで、危機感を保持しつつ、今回の失策をいつまでも忘れず、我が国原子力平和利用の「メッカ」として、(事故後も原発推進の国が少なくない)世界にお手本を示してほしい。

故郷に帰れない原発周辺住民の心情と不安を思えば、新組織の福島への配置は再定住早期実現、地域の復興・発展に弾みをつけるものだと期待される。

東京一極集中解消の一助にもなる。福島・東京間が物理的に比較的近いこと、交通網の充実、更にITの発達により、新組織が東京になくとも、業務上の支障はほとんどないのでないだろうか。

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上記の内容を5月5日(木・こどもの日)に朝日新聞「声」に投稿したところ、翌週9日(月)に同紙担当者から連絡が来ました。若干の手直しを受け、11日(水)、同欄に掲載されました。この「福島県内に原子力安全行政組織を置く」というのは、連休中に思い付いたもので、我ながら妙案だと考えるのですが・・・。現実的には難しいでしょうが、朝日新聞に載せてもらったということは、全くの「砂上の楼閣」ではないのではないかと思います。現に、ある福島県の方が喜んでくれたと仄聞しました。

暑さ・寒さに慣れましょう

2011.04.21

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・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(6)


今回の福島第一原発事故は、科学を過信し、便利・快適な生活を追求し過ぎてきた私たち現代日本人への警鐘とも受け取れます。

もちろん、「想定外」の言い訳を連発してきた政府や東京電力の大罪は見逃せませんが、私たち国民も、あまりに「電気に依存し過ぎる生活」をしていたことを認識しなければなりません。一般家庭においては、過度の照明やパソコンの点けっぱなしも注意しなければなりませんが、やはり最大の「節電源」となるのは冷暖房であるに違いありません。

私の年齢以上の世代では、幼少期、冷暖房などという贅沢なものはなく、夏は、団扇を扇ぎ、電化製品としてはせいぜい扇風機があったくらいなものです。冬は、火鉢や炭火の行火(あんか)で寒さを凌ぎました。ときには風邪をひいたものです(逆にこのことで免疫が強くなり病気しにくい身体になったとも言えます)。

ところが、最近の若い世代の人たちは、ちょっと暑ければすぐエアコン冷房、ちょっと寒ければすぐエアコン暖房のスイッチを入れます。ヒトは(病気のときは除いて)少々の環境の変化に順応できるようにできています。このような微少の環境変化に耐えないような習慣を付けてしまった若い世代の人たちの身体は、弱くなり逞しさが欠けてきているような気がしてなりません。

暑さに我慢し過ぎて熱中症になったり、寒さに耐えすぎて肺炎になったりしては困りますが、軽度の暑さ・.寒さには慣れていくようにしてはどうでしょうか。
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上記の内容を4月10日(日)に読売新聞「気流」に投稿したところ、12日(火)に同紙担当者から電話があり原稿修正の確認がありました。それから1週間掲載されなかったので「今回はボツかな」と諦めていたところ、20日(水)に、同欄に掲載されました。

原子力安全監視の一元化・強化を

2011.04.10

・・・・・・・・・東日本大震災(5)


〈お粗末な原子力安全行政〉

そもそも、業界を規制する原子力安全・保安院と業界を振興する資源エネルギー庁が同じ経済産業省の組織というのにムリがある。

このような「規制」と「振興」の争いは、中央省庁間では頻繁に起こっている。例えば、食品に関しては、業界振興は農林水産省、業界規制は厚生労働省が担当し、私が農水省にいた頃、よく両省はケンカしたものだ。(BSEがきっかけで食品安全委員会ができたが、果たして国民の期待に応えているのだろうか)

しかし、同じ省庁の中でのケンカは馴れ合いになる。なにしろキャリア事務官は、同じ省内を数年ごとにあっち行ったりこっち行ったりと異動するため、つい最近までいた部署と真剣にケンカできなくなるものだ。つまり、保安院と資エネ庁は「なあなあ」になっていたのではないか。


〈文系エリートの面目躍如の西山審議官〉

 この数週間でテレビで見かける筆頭は、政治家では枝野幸雄官房長官、官僚では経産省原子力安全・保安院の西山英彦審議官であろう。現役官僚でこれほどテレビに映った人はいただろうか。

「審議官」というポストは中央官庁くらいでしか聞かないので、民間企業の方々にはわかりにくい「偉さ」だろう。中央官庁の官僚は、ヒラ→係長→課長補佐→課長→審議官→局長→事務次官というのが、通常の昇進コースだ(私は課長補佐で退官した)。民間企業によくある「部長」というポストがある部署もあるが、企業ほど一般的ではない。だいたい審議官というのは局長の次のポストと考えられている。

原子力安全・保安院のトップは「院長」(←病院長ではない)で、その下に次長、その下に5人の審議官がいるから、西山氏は同院でナンバー3か4当たりの地位なのだろう。その彼が今や同院の顔として、スポークスマンになっている。

一般のテレビ視聴者の中には、彼を原子力の専門家と勘違いしている人もいるだろう。(弁護士出身の官房長官も科学技術に詳しいとも思えないが)彼も、法学部卒の事務官で、つい最近着任するまで経産省通商政策局の審議官としてAPECやTPPなどを担当していたらしい(更に、その2年前まで資源エネルギー庁で原発振興の旗振り役である電力・ガス事業部長を務めていたようだ)。

 このように全く違う分野のポストに異動させられても、その日から、何年もそこにいるかのごとく言動するのが腕の見せどころで、経産省のみならず霞が関のキャリア事務官の「得意技」とも言える。とはいえ、専門性の高い原子力工学に関して法律事務官がどれほど理解しているのかはなはだ疑問である。


〈遅すぎる組織再編論〉

今回の大惨事に遭ってやっと政府内に保安院を経産省から分離する動きが出てきた。遅きに失した感は否めない。原子力安全行政の重要性・専門性に鑑みれば、(強い権限があるはずなのに)今回お粗末(弱体)ぶりを露呈した内閣府の原子力安全委員会と保安院を統合・一元化し、内閣府・各省庁から独立した強力な組織に再編すべきだ。

政府・東電の大罪

2011.04.10

・・・・・・・・・東日本大震災(4)


〈原子力で思い出すこと〉

工学部4年生のとき、某大手メーカーに就職内定していた同級生が「オレ、原発で働くんや」と話していた。その顔には、少し悲壮感があった。私も含め、ほかの友人たちも、内心「大変やなぁ」と感じていた。

放射線被曝の恐怖は、医学生のときに経験した。放射線医学(放射線で検査や治療を行う医学)の履修で放射線防護実習というのが義務づけられており、何日間か、放射性物質のある核医学施設に通った。防護服も着た。見えない、匂わない放射性物質に被曝しないよう神経を尖らせた記憶がある。

これまでの私の人生で、原発で働く人や放射線被曝の恐怖と接した印象深い経験は、この2度くらいだろうか。スリーマイル島やチェルノブイリは、対岸の火事くらいにしか思わなかった。


〈福島第一原発事故は人災〉

福島第一原発事故は、極めてショッキングだ。もちろん、巨大地震・巨大津波による被害も戦後最大の惨事だが、この原発事故は将来何十年にもわたって国民の健康に影響を及ぼしかねない「人災」であるだけに、私たちの憤りは頂点に達している。

この「人災」を惹起させたのは、昔からある政府と業界の隠蔽体質及び両者の癒着であることは明らかだ。

私が政府内の人間だった頃、(今回ほど深刻ではないものだが)情報を隠すことは、実際に幾度か経験した。その大義名分が「国民に無用な混乱・不安を起こさせるべきではない」ということであった。その精神は今も全く変わっていない。

東京電力の幹部は、歴代社長は生え抜きだが、副社長以下、通産省(現経済産業省)からの天下りが相当数いる。現役の官僚は、本省局長や事務次官まで上り詰めた先輩がいる組織に対して、制度上は指導する立場であるにもかかわらず強く物言いができない。このことも、私は、役人時代いやというほど経験したものだ。官僚社会というのは年功序列の最たるものであり、先輩はあくまで後輩の上の立場にある。自分のことを君付けや呼び捨てにできる先輩に強く言えない。だから、経産省は、東電にとって名ばかりの監督官庁となっていたのではないか。


〈「政・官・業・学」の「原子力ファミリー」〉

5年ほど前に『政治家がアホやから役人やめた』という本を書き、同著の中で、首都圏の水源である利根川上流の産業廃棄物不法投棄問題は、腐敗政治家と保身官僚と利益至上主義の業界の「政・官・業」=悪のトライアングルの仕業だと報じた。

今回は「政・官・業」に加えて、学者=「学」が加わる。原子力のような専門性の高い領域では、原子力工学の学者たちもこの悪のトライアングルに加わり「政・官・業・学」の「原子力ファミリー」を形成する。原子力発電がなくなれば、原子力工学研究のニーズや予算が激減する。だから彼らは「御用学者」となり、原発推進する政府の施策に荷担することとなる。要するに、電力業界という巨大利権に群がる商工族国会議員を筆頭とするこれら四者が強固な共同体を形成しているのだ。


〈唯一の被爆国が世界最大の放射能汚染国になるのか〉

政治家と官僚と業界(と学界)の癒着がいたる領域で蔓延っているのが我が国の現状なのだ。政府と東電が、国民の生命・健康より自らのメンツと利益を優先させた、その結果がこの放射能汚染恐怖なのである。

世界で唯一の被爆国が、戦後の経済復興の一役を担った原子力発電の扱いを私欲により杜撰にしたため、今後世界最大の放射能汚染国になるかもしれない。不可逆な事態を生じさせた政府と東電の罪は根深い。

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以上の内容を少し修正して、2011年4月10日付け愛媛新聞「道標」に掲載しました。

実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。

政府外の政治家の顔が見えない

2011.03.25

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・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(3)

3月18日付け朝日新聞「声」の欄に、「国会議員は今こそ汗水流せ」と題して非常に共感できる投稿が掲載されていた。

私たち一般国民には、「日常」の仕事や生活があり、義援金を送るとか、計画停電やガソリン不足で不便な生活を強いられることに耐えるとかといった面でくらいしかなかなか被災者の方々への協力ができない。

人気芸能人や有名スポーツ選手たちが、更には大企業の経営者らが、次々と多額な寄付を行ったり、義援金集めに頑張ったりする姿は、誠に喜ばしく感じられる。多くの外国でも同様な行動が盛んになっている報道を聞くに、「人間って捨てたものじゃない」と、とても爽やかな気持ちになるものだ。

国会議員は、国民から負託されて、私たち国民の血税が原資の多額の歳費をもらって「国民のために」働く人たちのはずである。テレビ等で報道されないだけかもしれないが、彼らが被災地に行ってなにか活動したとか、募金活動を先頭に立って呼びかけているとかといった報道はほとんど聞かない。(例えば被災地岩手県選出の某超大物議員)

震災前、あれほどテレビ画面に出ていた有名国会議員や有名地方政治家の方々の顔がさっぱり見なくなった(あきれた「天罰」発言くらいだろうか)。もっぱら現政府に属する政治家の顔ばかりだ。

与党だの野党だの言っていられない非常事態なのだ。政府外の国会議員も、現場で不眠不休で必死で活動される自衛隊等の人たちに任せきりにしないで、なにか私たちを感動させてくれるような、「さすがは私たちの選んだ政治家だ」と感じさせてくれるようなアクションを起こしてくれないものか希望するものである。

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