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記事一覧

早すぎる十大ニュースの発表

2011.12.04

・・・・・・河辺啓二の社会論(9)

師走の時期となると、新聞、テレビ等で「今年の十大(重大)ニュース」が次々と発表される。まだ当該年が終わってもない十二月にその年の十大ニュースが次々と各メディアで発表されることに違和感を抱いている。もし、年末に、大事件あるいは万が一東日本大震災のような大災害、大事故が起きたらどうなるのだろう、後で修正できるのかしらと思ってしまう。現に、後年から見て、ある年の年末の大事件が当該年の重大ニュースに入っていないことを知って奇異な印象をもったことがある。
読者や視聴者のニーズに少しでも早く応えてあげたいという、各メディアの思惑が理解できないわけではない。特に、購読者や視聴者が不定であるため「競争」の激しい週刊誌類やテレビは、ある程度は仕方ないかもしれない。
しかし、定期購読者が大部分を占め、販売実績が安定している新聞まで、読者サービスのつもりかもしれないが、完了してもない年のニュースをはやばやと総括してしまうのはどうもいただけない。新聞で毎年報じられる十大ニュースは、私たち一般家庭にとってはまさにクロニクル(年代記)となるのだから、より正確な情報を求めたいものだ。
せめて新聞くらいは当該年の終了した翌年の1月に発表しても決して遅くはないのではないだろうか。

「喫煙ゼロ社会」を目指そう

2011.09.18

・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(8)
厚生労働省が、労働安全衛生法を改正し、職場の受動喫煙対策を強化するため、一般の事業所や工場では全面禁煙か、一定の条件を満たす喫煙室以外での喫煙を認めない「空間分煙」を事業者に義務付ける方針を固めた。これまでの健康増進法による原則全面禁煙の努力規定から進んだ内容となっている。  
また、小宮山新厚生労働大臣が記者会見で、たばこ税を増税し、1箱あたり700円程度とすべきだとの考えを表明した。
喫煙が、放射線同様、人体の健康に悪影響を及ぼすことは明白だ。東京電力福島第一原発事故による放射能汚染がいまだ継続中であり、ただでさえ私たち国民を取り巻く「健康環境」は震災以前より悪くなっている。このことに鑑みれば、私たちの健康に有害なものの筆頭格であるタバコは、ゼロ(又は最小化)を目指すべきで、今回の労安法改正は誠に喜ばしい。新厚労相発言は政府方針でなく「個人的見解」とされているが、私たち医師は大歓迎である。実際、診察中にスモーカーの患者さんに禁煙を勧めても「値段が高くなったら(煙草を)やめる」と言われることが非常に多いからである。
原発同様、タバコ関連産業に携わる人たちの生活や雇用を考えれば、直ちにゼロとすることは不可能だが、政府は、徐々に「喫煙ゼロ社会」にソフトランディングできるような経済的、社会的環境を整備してほしい。
喫煙による発がんや動脈硬化疾患(脳卒中や心臓病)のリスクに鑑みれば、禁煙による医療費減はたばこ税収減をはるかに凌駕するに違いない。

若者よ、ケータイ中毒から脱却せよ

2011.07.03

・・・・・・・・河辺啓二の社会論(7)

WHOから携帯電話の電磁波に発がん性があるかもしれないという発表があった。
このことでやっと日本でも意識されるようになったが、諸外国では以前から若年者や妊婦の使用を制限させていたようだ。「危険性があるかもしれないから」既に使用を制限している他国と「危険性が証明されているわけではないから」使用制限をしない我が国の為政者の姿勢の相違が明白である。「原発が安全ではないと証明されているわけではない」と業界寄りの杜撰な原子力安全行政を行ってきた日本政府の態度を彷彿とさせる。
これまで、私は、四六時中携帯電話を手放さない若者たちを見ると、「ケータイから発せられる電磁波はあなたたちのDNAを傷つけているのかもしれないのですよ」と言いたい気持ちになったことが度々ある。私たちは、ただでさえ家電などから発せられる電磁波に、毎日囲まれて生活している。放射線ほどではないにしろ、大量でなくても持続的な電磁波を浴び続けるとDNAを傷つける可能性が高まることを、ケ-タイを手放せない、特に若年者たちは認識してほしい。放射線と同様、年齢が若いほどDNAのダメージ、発がんのリスクが大きいと考えられるのだ。
現在、我が国国民の多くは、節電への取り組みで、快適な生活からの転換を図ってきている。つい数十年前までは携帯電話などなかったわけだし、エアコンと同様に、利便性への過度な追求は改め、ケータイの使用は、緊急時に限定するなど、最小限にしてはいかがか。

反捕鯨の欧米豪人は奇妙な動物愛護意識を改めよ

2011.02.23

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・・・・・・・・河辺啓二の社会論(6)


〈農水省、苦渋の決断〉

農林水産省は、南極海で捕鯨調査をしていた日本船団が反捕鯨団体「シー・シェパード」の悪質な妨害に屈した形で当該調査を中止することとした。船団員の安全に鑑みればいたしかたない決断と考える。


〈理解しがたい欧米豪州人の動物愛護意識〉

確かに、鯨の乱獲防止や生物資源の保護という観点は理解できる。私がどうしても理解できないのは、欧米や豪州といった反捕鯨国、反捕鯨団体の、誠に奇妙な動物愛護意識である。動物愛護の大義名分で日本船団のヒトに傷害を与えかねない事態は異常だと思わざるを得ない。

彼らは、牛肉や豚肉を決して食べないのか。牛や豚を屠殺場で何頭も殺すことは許され、同じ哺乳動物の鯨を殺すことはなぜ許されないのか。彼らは、動物実験で無数の動物の生命を犠牲にして開発された医薬品のお世話に一度もなったことがないのか。


〈欧米豪州人の狭量さを改めよ〉

確かに、鯨の乱獲防止や生物資源の保護という観点は理解できる。私がどうしても理解できないのは、欧米や豪州といった国が違えば、人種も歴史も文化も異なるが、グローバル化した現代に異国の文化(食文化)をある程度受容することは必要だと思う(日本人は比較的寛容だと考えられる)。殺人や窃盗など古今東西許されない普遍的ルールがあることはもちろんだが、欧米人や豪州人には、この程度の食文化の相違を受容する度量がないのだろうか。


〈動物愛護の線引きの難しさ〉

動物愛護の線引きは、国により、人により様々である。動物すべて愛護だと、魚も食べられないし、蚊も殺せなくなる。哺乳類で線引きすれば、上記のとおり牛や豚は食べられない。

もっと言えば、(日本人にも多いが)犬や猫を虐待することは残虐行為で牛や豚を食べるのは残虐でないと思う根拠は何なのだろう。
結局、ヒトとそれ以外という最低限の線引きのほかは、難しいような気がする。

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上記の内容を2月20日(日)昼に読売新聞「気流」に投稿したところ、翌21日(月)昼頃に同紙担当者から電話があり原稿修正の確認がありました。23日(水)に、同欄アタマに掲載されました。今回もQuick Responseでした。

「・・・ので」の多用が気になる

2011.02.23

・・・・・・・・河辺啓二の社会論(5)

最近、テレビで有名スポーツ選手をはじめとする若い人たちのインタビューを聞く際、気になる表現がある。

「・・・と思うので」など、大した順接的意味合いでなくてもこの「・・・(常体表現)ので」と何度も発言するスポーツ選手が非常に多いということだ。

せっかくの全国放送のインタビューで日本中のファンが聞いているのに、この表現は、煩わしい敬語表現を避けるがごとく安易に聞こえてならない。むしろ大相撲の外国人力士のインタビューのほうが、「・・・ので」の連発がなくて綺麗に聞こえる。

なぜ、「・・・と思いますので」とか「・・・と思います。だから・・・」とか「・・・なのです。それで・・・」といった敬語表現を挟まないのだろうかと考えてしまう。

人気のある有名選手が話す言葉遣いは、多くの若者たちに大変大きな影響力をもつ。「・・・ので、・・・ので・・・」と目上の人にも話すことが彼らに「カッコイイ」と映ることを危惧する。

このような若いスポーツ選手たちの日本語表現に対し、文法的に大きな誤りがあるわけでもないし、決してぞんざいな言葉遣いでもないのに、軽度とはいえ違和感を抱くのは私だけなのだろうか。

「ハッピーマンデー」に関する議論を深めよう

2011.02.11

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・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(4)

以前から現行のハッピーマンデー制度に疑問を持ち続けていた私は、1月28日(金)付け朝日新聞「声」に極めて賛同できる投稿が載っているのを見つけました。早速、翌日29日(土)夜に、以下のような文章を投稿したところ、翌々日の31日(月)午後、朝日新聞の担当者から連絡が来ました。そして、手直しされた上、2月3日(木)掲載となりました。かなり速いresponseでした。

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1月28日付け「ハッピーマンデー制度見直そう」には全く共感します。政府の経済優先の施策によって祝日制定の意義が薄らいでいる感じは否めないと思います。

そのことに加えて、国民生活で多少なりとも支障が生じていることがあると政治家の方々はわかっているのでしょうか。

例えば、各学校では、月曜の時間割に当たる教科の時間数がバランス上減らないよういろいろな工夫をしています。本来の教育に向けるべき現場の先生方の労力の一部がこんなことに費やされているのは、ばかげています。また、病院では、月曜の診療科目の診療回数が減ったため、一部を他の曜日に移行するなどの措置も講じているものの、やはり、休みの次週の月曜に混雑するなど、多くの患者さんたちに不便を強いているのが現状です。

そもそも、二連休を三連休にすることで景気浮揚を図って十年も前に制度化されたようですが、その経済効果を実感している国民はどれくらいいるのでしょうか。教育や医療という国民生活に密着した部分でこのような不都合が生じても、それを上回る経済的効果があると、今の政府は胸を張って言えるのでしょうか。政府の定量的な経済効果検証がいまだ行われていないような気がします。

新政権は、「仕分け」「仕分け」で国民の支持を得ようとしていますが、国のお金に係る事業の仕分けだけでなく、このような制度についても、一般国民とともに議論をしてもらいたいと思います。

誤った「英雄」報道

2010.12.23

・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(3)

前々回のブログで尖閣諸島沖衝突ビデオ流出海上保安官を「英雄」と呼んだ。その私の考えは変わらない。

今年起きた事件の中で「英雄」という言葉で思い出されるものが2つある。こちらのほうは、どちらも不適切な表現だと私は思っている。

まず、8月~10月に起きたチリ落盤事故33人救出劇だ。世界中を驚かせた事件であることは確かだし、約70日間の過酷な地下生活を耐え抜いた作業員らは「英雄」と称されるのも、ある程度理解できる。

しかし、「英雄」って何だろう。広辞苑では「文武の才の特にすぐれた人物。実力が優越し、非凡な事業をなしとげる人」と記されてある。ただ、私の「英雄」観は、「他人のため、社会のため、傑出した貢献をした人」だ。とすると、苦しみながら過酷な地下生活を全うしたのは、死にたくないという本能、そして生き続けて地上に出て家族に再会したいという願望が原動力でなかったのか。他人のため、社会のため貢献したとは、とても言い難い。現に、救出後の取材に高額謝礼を要求する人もいるという。「英雄」とはほど遠い行為である。彼らを「英雄」と称したマスメディア・チリ社会に強い違和感を抱かざるを得ない。

繰り返すが、ビデオ流出海上保安官の行為が英雄的なのは、もし発覚したら職を失うかもしれない、妻子は路頭に迷うかもしれないと認識しながら、ビデオ流出を敢行したことである。

もう一つの、不思議な「英雄」は、その尖閣諸島沖衝突の、あの、とんでもない酔いどれ船長である。もちろん、「英雄」視しているのは、中国メディアと中国国民のみであるが、われわれ日本人から見て不快極まりないものだ。「異質大国・中国」のやることだから、笑ってすませないといけないのか・・・。そう言えば、先日TVで、遊園地のキャラクターなど「パクリ」が後を絶たない中国を「最大のパクリは、資本主義」と評したコメンテーターがいたが、なるほどうまい表現だと大いに共感してしまった。

尖閣ビデオ流出海保官は英雄だ

2010.11.24

・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(2)


尖閣諸島沖衝突ビデオ流出の「犯人」とされた海上保安官を擁護する意見が多い中、国家公務員法の守秘義務違反だと非擁護の意見も少なからず出ている。もっとも、政府のおそまつ極まる外交政策が最大の批判の的であることは言うまでもない。

私は、この「犯人」扱いされている人と、職種は全く異なる事務官だが、同じ国家公務員であった。国家公務員というのは、ほとんどの人は、なったばかりの若い時期は「国家のために働こう」という極めて純粋な志(こころざし)を持つものである。

ところが、働き始めて何年も経つと、その純粋さが次第に澱み、劣化して、「国益より省益」といった縄張り意識が強まり、国民や国家より自分の属する省庁を重んじるようになる。同時に、年齢を重ね、結婚し、子供もでき、更に住宅ローンを組んだりすると、「保身」の傾向はますます強くなっていくのが通常である。国家のために妻や子を犠牲にできないというのは、いちがいに非難しにくいものだろう。

私がこの「犯人」の方の行為が英雄的だと思うのは、もし発覚したら職を失うかもしれないと認識しながら、ビデオ流出を敢行したことである。自分は(この不景気の中)国家公務員という最も安定した職業にありながら、仮に免職されれば、妻子は路頭に迷うかもしれないということも考え抜いて実行したのだ。

小6の女の子が自殺した小学校の校長や教育委員会教育長がインタビューで「保身」丸出し答弁しているのとは、正反対だ。

ノーベル化学賞受賞で浮かれている場合ではない

2010.10.20

・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(1)

今や日本中の国民は、2人の日本人のノーベル化学賞受賞に狂喜し、日本の科学水準の高さに鼻高々の状態だが、決して浮かれてはならない(かくいう私も、実は、根岸英一先生は、私の1度目に卒業した東大工学部応用化学の大先輩であるだけに嬉しかった)。これらの素晴らしい研究は、何十年も前に行われていることを認識すべきだ。

2000年代になって日本人の化学賞・物理学賞があたかも受賞ラッシュの様子を呈しているが、これらすべてが数十年も前の研究開発実績であって、何も2000年代の日本の科学技術水準が高いことの証(あかし)ではない。

近年の我が国の科学技術水準の国際的な相対的劣勢は度々報じられている。科学研究論文被引用数で、日本は停滞し中国は大躍進しており、ある大学ランキングでは東大がアジアトップの座を香港大に明け渡し、電気機器産業では、例えば、薄型テレビ市場で、日本企業が韓国企業に完全に抜かれてしまっている。将来の科学技術を担うべき学生についても、理科離れが進行し、更には学力全体が低下し、(科学オリンピックで一部の日本人学生が活躍するも)中国や韓国の後塵を拝する状態となっている。

今のような状態が継続すれば、数十年後には、日本人ノーベル賞受賞者が僅かで、中国・韓国人受賞者多数という事態となるであろう。

政府は、近視眼的な科学技術振興予算の削減策を是正し、研究予算を拡充するとともに、ゆとり教育を根底から見直しし、学力向上策、理科離れの強力な歯止め策を早急に講じてほしい。

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