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記事一覧

さようなら川崎先生、そして渡部建

2020.06.13

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(29)
〔カワサキディズィーズ〕
あの川崎病の川崎富作先生が逝去された。御年95歳。さすがにこの頃は「川崎病は川崎市から出てきた公害病」なんて思っている人はいないだろう。日本の高度経済成長期には、水俣病とか四日市ぜんそくとか地名の付いた公害事件が次々と発生し、「川崎病」も工場の多い神奈川県川崎市に由来する病気と勘違いされることもあった。「小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群(MCLS)」といって、主として乳幼児にみられる原因不明の急性熱性疾患で、主に皮膚、粘膜、リンパ節等が冒される疾患である。最近は、海外で新型コロナ感染後に川崎病に似た症例が出てきて話題になっている矢先の訃報であった。発見した人名を冠した病名は多数あるが、殆どが欧米人の名前。日本人の名が付いた病名は僅かでこの「カワサキディズィーズ(Kawasaki disease)」が最も世界的に有名な日本人名疾患だと言って過言ではないだろう。
私自身、開業後小児も診てきたが、この20年強で数人程度、川崎病患児を総合病院に紹介して入院治療してもらっている。
〔なんと川崎先生と肩を並べて〕
実は、私は川崎先生と肩を並べて受講したことがあるのだ。たしか、大学3年か4年か、本郷の専門課程に入った後「免疫学」の講義があった。最初の講義のときに「皆さんと一緒に講義を聴きに川崎富作先生がいらしています」と担当教官から紹介された。「お~、あの川崎先生だ」と学生たちは一様に驚いた。最新の免疫学を勉強するため、受講されるとのこと。当時で六十歳代後半。既に40歳くらいで川崎病を発見し世界中に知られ、まさに功成り名を遂げた大先生が二十数歳(私は除く)の医学生に混じって講義を受けるというのだ。その真摯さ、謙虚さには頭が下がる思いだ。その風貌は知的な好好爺という感じだった。私は「おじさん医学生」だったため、他の年寄り同級生と一緒に最前列の席に座るようにしていた。したがって、当然最前列に座られる川崎先生とは同じ並びの席だったのだ。「私は、あの川崎先生と肩を並べて勉強していたんだぞ~」というのが私の自慢(笑)。
〔渡部建は芸能界引退へ〕
 全く話が変わる。アンジャッシュの勘違いコントは実におもしろかった。私の大好きなコントだ。実によくできていると新作を見る度に感心していた。しかしながら、今回の病的とも思えるような渡部建の不倫騒動を見るに、いくら才能があっても、かつての島田紳助のように芸能界から引退すべきだろうと思う。道徳観がなくてもおもしろければいい、というワケにもいかないだろう。彼の見事なトークとアンジャッシュの勘違いコントが見れなくなるのは寂しい気もするが、日本社会の秩序・道徳を維持するにはいたしかたない。
〔「美人税」は秀逸の作〕
 佐々木希という美人女優は、4年ほど前のフジテレビ『世にも奇妙な物語』の中で初めて認識した。美人であるがために税金を払わせることになってしまう『美人税』という物語だ。コンビニで買い物をすると設置されたカメラで美人度を査定し税率が美人度によって変わるというものだ。実におもしろい「奇妙な物語」であった。

世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」

2019.11.17

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(28)

前回の鉄門旅行の続編。
〈世界遺産・富岡製糸場〉
群馬県では、古くから養蚕、製糸、織物といった絹に関する産業が盛んであった。富岡製糸場、田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴を構成資産とする「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、平成26年(2014年)、ユネスコ世界遺産委員会で「世界遺産一覧表」に記載された。
 「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、高品質の生糸の大量生産に貢献し、19世紀後半から20世紀にかけて、我が国養蚕業・製糸業の技術革新や当該分野の世界との技術交流に大きく寄与したものである。
〈富岡製糸場訪問は初めて?〉
この度、群馬在住ながら、初めてこの世界遺産の富岡製糸場を訪れた。が、「初めて」かどうか若干自信がない。というのは、はるか昔の若き官僚時代、群馬県の製糸工場を見学した記憶があるのだ。
〈生糸は農水省所管〉
絹織物は工業製品となるので、当時の通産省(今の経済産業省)所管であったが、蚕(かいこ)、桑、生糸は農林水産省の所管だった。かつて、生糸は、今の自動車に相当するくらい日本の超重要な輸出品であった。上級職国家公務員試験には、「法律」職や「土木」職等と並んで「蚕糸(さんし)」職という区分があり、東大農学部の蚕糸学専攻の優秀な学生が受験した。当時の農林省には「蚕糸局」という局があった。中国等からの安価な生糸の輸入の増加や絹製品の需要の低下により、養蚕業、製糸業はどんどん凋落し、かつての「蚕糸局」が1980年代には「繭糸(けんし)課」と「●●課」(課名を忘れた)の2課に縮小、「農蚕園芸局」の一部となっていた。「繭糸課長」は上級事務官が、「●●課長」は上級技官(おそらく蚕糸職)が務めていた。その頃、数年前に入省していた私は、2つ目の配属先でこの繭糸課にいた。 
〈初めてのグンマは「勉強視察」〉
この繭糸課に異動直後のことだ。「勉強」ということで、当時、全国的に見てまだ蚕糸業の盛んなほうだった群馬県に出張を命じられたのだ(グンマを訪れたのは、このときが生まれて初)。群馬県庁の担当者に連れられて、桑畑や繭倉庫や製糸工場を見学して回った。当時、中央の役人が県を視察というと、やや「旅行、接待」と揶揄される傾向にあったが、この出張は本当に真面目な「勉強視察」だった。夕食くらい(もちろん高価でない)はご馳走になったかなぁ。
実は、私の生まれ育った四国・愛媛も昔は養蚕農家が多かった。私の生家も、私が生まれる前くらいまでは蚕を飼っていたらしい。私が物心つく頃は、村で数軒しか養蚕を営んでいなかったようだ。少年だった私は、桑畑になっていた紫色の桑の実を食べたり、養蚕農家の友だちの家に上がって桑の葉をむしゃむしゃ食べる蚕(まさに「蚕食」)を眼下に観て不思議な気持ちになったりと桑や蚕は身近なものであった。このためだろうか、群馬への「お勉強出張」で記憶に残っているのは、製糸工場で見聞きした、機械音や工員たちの忙しい動きのみであって、桑畑や繭の見学での印象は覚えていないのである。
〈富岡製糸場訪問は初めて??〉
明治5年(1872年)に開業した富岡製糸場は、115年後、昭和62年(1987年)に操業停止した。すると、私の「勉強出張」の時はまだ操業中だったようだ(ぎりぎり)。だが、私がそのとき見学した製糸工場が富岡製糸場であったかどうか覚えていないのだ。今も「現役」の碓氷(うすい)製糸工場だったかなぁ・・・。

大きな自然災害が殆どない群馬県

2019.10.20

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(27)

我が国は、今年も昨年に続き、次々と天災に見舞われている。地震こそあまりなかったが、台風と大雨はひどいものだ。特に過去最大級と言われた台風19号では、100人近い尊い命が奪われてしまった。過去の伊勢湾台風や狩野川台風では千人単位の犠牲者が出たが、それから60年も経た今回は、天気予報技術の向上もあり、そして気象庁等行政の指導(避難勧告等)やマスメディアの盛んな事前報道のお蔭か(建物構造の向上もあるかな)、さすがに犠牲者の数は激減した。犠牲者の方々には謹んで哀悼の意を表する次第である。
魅力度ランキングで毎回最下位争いしている我が群馬県だが、実は、自然災害に関してはとても恵まれていることが、ここに20年以上住んでみて実感する。「海のない県」だから、津波被害は絶対にない。地震もほとんどない。2011年の東日本大震災の際には、ここに80年住んでいる人でも経験したことがないほどの揺れは確かにあったが、大きな被害はほとんどなかった。「南海トラフ」の対象にも入っていないようなので、今後も大地震が訪れる可能性は低いのではないか。豪雨というほどの降雨もあまり記憶にない。特に私の住む県南東部では降雪、積雪もめったにない。数年に1度くらい多く積もることがあるかなぁ。とにかく日本海側県のような豪雪はまったくない。あるとすれば、上州名物の空っ風(外出の少ない私は、あまり実感しない)と夏の猛暑くらいか。その猛暑も、今年は岐阜県あたりに抜かれているようだが。
私は四国に生まれ育った。だから、子供のころ、夏の終わり~秋といえば台風が来るのは当たり前で、まぁ、「慣れっこ」だったと記憶する。18歳以降、関東に住むようになってからは関東にはあまり台風は来ないものだと信じ込んでいたが、ここ何年かは、関東もすっかり「台風の通り道」になってしまった感が強い。しかし、なぜか群馬県には大きな台風被害があまり発生しないのだ。台風19号の前の15号のときも、千葉県には多大な被害をもたらすも、群馬県はほとんど無傷だったような気がする。今回の強大な19号では、さすがに多少の災害はあったものの、他県であったほどの大きな河川氾濫はなかった。標記の地図で見るように西の長野県、東の栃木県など隣県で甚大な氾濫災害が起きているのに、両県に挟まれた群馬県の被害は小さかったようだ。
地球全体が異常気象に覆われることが多くなってきているこの頃、今回の19号が「100年に1度」の台風と呼ばれていたが、来年以降、近いうちに、同レベル又はそれ以上の台風が襲ってくる可能性は否定できないだろう。グンマだっていつまでも安泰ではないだろうと覚悟するこの頃である。

熊澤さん(続き)―農水省いまむかし

2019.06.12

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(26)

先日のブログで書き忘れたことがあり、ここに追記する。
〈農林水産省の相対的地位〉
自分で言うのもナンであるが、日本国というより霞が関における農林水産省の相対的地位は、昔のほうが高かったことは明らかである。もちろん、農水省の主たる行政対象の農林漁業者の人数がどんどん減少している時代変遷の中で農水省の重要性が低下してきているのは致し方ない。しかし、もっと大きな理由は、2001年の中央省庁再編だ。私が官を辞して10年ちょっと後のこと。このとき霞が関にいなかった私は完全な外野だが、内部にいた人間の話を聞くと大変だったらしい(ただ、熊澤さんが次官辞任の主因とされるBSE問題の際、省内はもっと大混乱で、私の同期の一人が「役人人生で最も大変な時期だった」と述懐していた)。
霞が関の有力官庁ツートップの大蔵省・通商産業省は、財務省・経済産業省と改称するも、相変わらず強力であるが、総務庁・郵政省・自治省が合体した総務省、運輸省・建設省等が合体した国土交通省、そして厚生省・労働省が「復縁」(この二省はもともと一緒だった)した厚生労働省が準有力官庁に「昇格」した。
〈昔の省庁ヒエラルキー〉
私が官僚になった昭和50年代、圧倒的キャリア事務官輩出元である東大法学部では、中央官庁人気就職先として、まず「御三家」と呼ばれた大蔵省・通産省・自治省があった。大蔵・通産に比べて自治省は一般国民にはイマイチ有名でないし、自治大臣も大蔵・通産ほど大物政治家が就任していなかった。なぜ人気があったかというと、自治省から県知事が大量に輩出されていたからである。更に、自治官僚には若くして県庁の主要課長・部長に出向する慣例がある(他省庁からは一般課長・部長)ことも人気の原因だった。
この「御三家」の次に建設省、運輸省そして農水省が「三大公共事業官庁(別名トンカチ官庁)」として学生の人気を得ていた。なにしろ巨大な公共事業予算を使えるので、いわゆる「利権官庁」と呼ばれていた。天下り先も多かった。
当時、「庁」だった環境庁に対する評価は、横柄な通産官僚に言わせれば「日本を自動車に例えるなら、通産省がアクセル、大蔵省がブレーキくらい重要な役割を果たしている。環境庁なんてドアの取っ手くらいなもの」とのこと。
〈今の省庁ヒエラルキー〉
2001年省庁再編後は、巨大官庁出現によりヒエラルキーが激変した。上述のとおり、総務省、国土交通省、そして厚生労働省当たりがグンと上がって、財務省・経産省に大差ないところまで近づいた。すると、「結婚相手」がいなかった(というより「無傷」で済んだと肯定的にとらえられた)農水省の相対的地位は低下した。「結婚相手」については、似た公共土木工事ということで、建設省の河川局あたりとくっつく話があったらしいが、建設省に猛反対を食らったとか。ほかにも、自然を相手にした業務ということから環境庁も「結婚相手」候補だったらしいが、これもボツになったという(個人的には、農水省+環境庁→「食料環境省」というのも悪くないと思ったものだ)。
いずれにせよ、農水省の「地位」は低下し、科学技術庁と結婚することで上昇した文部省→文部科学省や、「庁」から「省」に昇格した環境省当たりとほぼ同列になったような印象だ。

〔新省庁〕 〔前身〕
内閣府←総理府、経済企画庁、 沖縄開発庁 、総務庁(一部)、科学技術庁(一部)、国土庁(一部)
総務省←総務庁、郵政省、自治省
法務省←法務省
外務省←外務省
財務省←大蔵省
文部科学省←文部省、科学技術庁
厚生労働省←厚生省、労働省
農林水産省←農林水産省
経済産業省←通商産業省
国土交通省←運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁
環境省←環境庁、厚生省(一部)
国家公安委員会←国家公安委員会
防衛庁←防衛庁

〈熊澤さんは本当にエリート官僚だった〉
というわけで、今でこそ霞が関では下位官庁にランクされていそうな農水省だが、昔は結構上位にいたため、東大法学部生の中では人気があるほうだった。私の入省した昭和50年代でそうだったと思うが、熊澤さんが入省した40年代はもっと人気があったのではないだろうか。今回の事件で「農水事務次官」と大きく報道され、農水省地盤沈下とはいえ、「次官」はやはり大きなニュースバリューだと痛感した。ただ、国民大半の人は、熊澤さんが大学出て官僚になった頃は、今よりはるかに農水省(当時は農林省。昭和53年からかの二百海里問題で漁業・水産業政策が重視され、省名に「水産」が挿入された)は重要官庁で入るのが難しかったことを知らないだろう。更に言えばそれだけ優秀な人材が多く入っていたはずで、その中で見事出世競争に勝ってトップの事務次官の椅子を得たのだから、熊澤さんの官僚としての能力は素晴らしいものだったに違いない。

熊澤さん

2019.06.08

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(25)

2019年、官僚・元官僚が登場するニュースが後を絶たない。私なりに整理してみると、
❶飯塚幸三(87歳)・・・東大工学部応用物理学科卒。元通商産業省工業技術院長(「飯塚元院長」と報道されて「元医者」と勘違いする人がいたが、中央官庁には、会計検査院など「院」という組織がいくつかある)。4月19日、東池袋自動車暴走死傷事故。母娘2人死亡。(高齢者による交通事故については後日ブログします)
❷西田哲也(28歳)・・・東大工学部システム創成学科卒。経済産業省製造産業局自動車課課長補佐。4月27日、麻薬特例法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕。
❸丸山穂高(35歳)・・・東大経済学部卒。元経済産業省係長。同省入省後わずか3年で退官し、その3年後に弱冠28歳で初当選、衆議院議員となる。5月、北方四島交流事業中、国後島訪問時の「戦争」発言等の御乱行の数々・・・。代議士辞めたくないらしい。

 と、ここまでくると旧通産省→経済産業省のキャリア軍団が「大活躍」で独壇場?(笑)といった印象だが、他省庁も黙ってはいない。
❹福沢光祐(44歳)・・・学歴は? 文部科学省初等中等教育局参事官補佐。5月28日、覚醒剤取締法違反(所持)及び大麻取締法違反(同)の疑いで現行犯逮捕。
2001年入省だから19年目で参事官補佐?ホントにキャリアかしらと思う。私は入省8年目くらいの31歳頃に参事官補佐(課長補佐クラス)になった。19年目はふつう、課長・参事官くらいになっているはずだけどなぁ。学歴も不明だし、「キャリア官僚」という報道は正しいのだろうか。
❺熊澤英昭(76歳)・・・東大法学部卒。元農林水産省事務次官。6月4日、同居する44歳の長男を包丁で刺したと通報し殺人未遂容疑で逮捕(のちに殺人容疑)。
私の古巣・農水省は(官僚関連ニュースに)登場しないよなと思っていたら、遂に来た、極め付きだ。官僚組織の最上位・トップ=事務次官、そして「殺人」。
〔❶、❷は東大工学部の先輩・後輩だが、ともに技官。ただ、工業技術院長といえば、通産技官の最高峰。事務官優位の霞が関だが、通産省は、農水省同様技官を多く抱えるも技官は事務次官に決してなれない。技官が事務次官になれるチャンスがある省庁は旧建設省・現国土交通省など僅かである。❸、❺は私と同じキャリア事務官。❹は?〕
霞が関というのは、各省庁ともキャリア官僚の先輩後輩の結びつきが大きい。何しろ、最もエリートとされるキャリア事務官は、各省庁で年間何百人も採用される職員のうち、わずか十数人から二十人程度(2001年の省庁再編成で国土交通省や総務省などマンモス官庁が誕生しこれら大官庁は三十人以上らしい)しかいない。だから、省庁ごとに上級職事務官だけで名簿が作られ、一つのムラが形成される(私の名前は「農林水産省法経学士名簿」に載っていて、退官後も民主党政権前まで同省秘書課(人事課のこと)から毎年送ってくれていた)。
十年以上も先輩の熊澤さんに直接仕えたことはないが、同じ事務官の先輩なので知ってはいたし、国際派という噂は聞いていた。私が農水官僚だった1980年代の職歴を調べてみると
1983年 - 農林水産省食品流通局企画課物価対策室室長
1984年 - 農林水産省経済局国際部国際企画課課長
1986年 - 農林水産省畜産局競馬監督課課長
1986年 - 農林水産省食品流通局砂糖類課課長
というポストだったようで、これでは私のいた森林、生糸、技術開発関係等の仕事と縁が薄く接触なかったなぁと納得した。
熊澤さんの同期の高木賢さんには、彼が繭糸(けんし)課長時代に係長として仕えた。高木賢さんも東大法学部卒でしかも司法試験合格者という「切れ者」だったが、食糧庁(当時)長官という農林水産事務次官に次ぐナンバー2のポストで退官し、弁護士になった。このほか、熊澤さんが事務次官になる前の農林水産審議官時代に支えた当時の事務次官・高木勇樹さんは彼らの1年先輩(やはり東大法)だが、長期在任(2年半←ふつう1年~1年半で交代するので異例。「大物次官」という話もある)だった。この高木勇樹さんは、私が、入省直後、役人振り出しの林野庁林政部林政課係員時代の上司で林政課総括課長補佐だった。当時から能吏と言われ未来の次官候補とされていたが、そのとおり18年後事務次官に駆け上った。確かに仕事が早かった印象で、無駄な残業はせずに、自分の仕事が済むと「お先に」と(飲みに?)退庁されていた記憶がある。先日、TVで熊澤さんの前任事務次官としてインタビューを受ける姿を見た。熊澤さんを優秀な官僚と褒めていたが、何十年ぶりに見るお顔はさすがに時の流れを感じるものであった(失礼!)。

令和

2019.04.13

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・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(24)

新しい元号「令和(れいわ)」が公表された。まさか「令」の字が登場するとはと感じた人が大多数だったことだろう。
まぁ、ナン十年に一度のことだからと、私は、診療中の時間だったのでテレビに釘付けとはいかず、午前11時30分過ぎたら、患者さん1人終わるごとに診察机右にあるパソコンのネットでちらりと確認したものだ。
思えば、「平成」の幕開けは私の人生において大きな変化の年であった。平成元年春に、医学部合格・入学、官僚辞職そして結婚とまとめて「人生の大転換」を果たしたのだから。あれから30年経ってしまった。思えば、子供らは皆成人になってしまったし、親族・知人で鬼籍に入った人たちも多い。自らも「町医者」生活にどっぷり浸かってしまっている。
いよいよ人生3番目の元号「令和」時代に突入する。我が身に「平成」のときのような変化がどうも起きそうもないことに物足りなさと諦観を感じざるを得ない。官僚・医師に次ぐ第三の職業に就く動機と余力が乏しい。もちろん以前のブログで述べたように著述家や研究者になれれば楽しいだろうが、まだカネのかかる子供達を抱えて今の開業医の仕事を抛(なげう)つ勇気はない。夫婦仲も悪いほどでないので離婚するのも煩わしい。とすれば、現状を維持しながら人生の終盤戦の令和時代に突入するしかないのだろう・・・・。
さて、「令和」というネーミングについては、国民の間でいろいろ言われてはいるが、概ねポジティブな意見・感想らしい。いままで「令」といえば、「命ずる」「おきて」(命令、法令)の意味が第一義的だったが、今後はやや第二義的だった「よい」の意味が主となるのかもしれない(令嬢。令名)。
最近読んだ新聞で、東大の中国思想史専門家が「令和」に対して違和感を指摘している記事が印象に残った(4月10日付け朝日新聞)。当時の読み方では「令」は「れい」でなく「りょう」だと。その発音も「R」でなく「L」が近いと。漢字2文字の組み合わせも無理があるらしい。「「初の国書」という日本独自の歴史や文化をわざわざ強調する政府の姿勢が、大陸伝来の文化を基盤とする日本の伝統の成り立ちを軽視しているかのように映る」と述べている。更に「今回の政府の説明でも、中国古典の『文選』と国書『万葉集』のダブル典拠とすれば、東アジア友好のメッセージが伝わったはずなのに」とも。う~ん、この先生の御意見、納得だなぁ。

生まれ変わったら就きたい職業

2019.01.26

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・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(23) 

 1月26日の朝日新聞土曜版におもしろいランキングが掲載されていた。「自由に職業を選ぶことができ、その能力も備わっている」という条件でアンケートした結果だ。対象年齢が書かれていなかったが、だいたい40歳代後半~80歳代の中高年のようだ。
 以前、あるテレビ番組で、やはり中高年の人たちに聞きました、もし生まれ変わったら今度はどんな職業に就きたいですか」というのがあった。1位:学者・研究者、2位:医者、3位:文筆家、4位:公務員・・・という結果だった。その頃、日本人ノーベル賞受賞ラッシュで涌いていた頃だったので、1位がこうなったのだろうと思っていたが、今回も同様だったので意外と感じた。しかし、この記事をよく読んでみると、このアンケートも昨年11月に実施されたという。その頃も本庶先生の受賞があったから、1位の研究者というのは本当に(いつアンケートしても)不動かなとやや疑ってしまうのは私の性格が曲がっているからであろうか。
 ともあれ、以前のもので2位と4位、今回のもので2位と5位の職業を私は実現したのだと少し矜恃のようなものを高めた。私がもう一つ目指すとしたら、1位の学者・研究者・大学教授は極めて厳しいが、3位の小説家はムリでも文筆家ならどうかなと・・・。既に大して売れない著書を4冊上梓したし・・・。まてよ、研究者でも理系でなく文系なら、例えば「上州弁研究家」だって研究者にならないかななどと妄想が膨らんでいく・・・。

良識あるノーベル委員会

2018.10.14

・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(22)
今年のノーベル平和賞は、紛争下の性暴力の根絶に尽力したコンゴの婦人科医師とイラクの人権活動家の女性が選ばれた。誠に良識ある決定で、ノーベル委員会に拍手を送りたい。
と思うのは、テレビ等の報道で、今回の平和賞の最有力候補に、南北朝鮮のトップと米国のトップが名を連ねていて、もしこういう人達が選ばれたらノーベル平和賞の価値は途方もなく下落するのではないかと危惧していたからだ。自己保身のため実の兄を殺す人間、外国との約束を何度も反故にする国家のリーダー、そして自国第一主義を旗幟鮮明にして国民を抱き込んでトップに立った男・・・。彼らに、我々「世界市民」がお手本となるような、利他的で清廉潔白な、尊敬できる素晴らしい人物像は浮かんでは来ない。今までも受賞者の中には、特に政治家の場合は毀誉褒貶がつきまとうことは多々あったが、彼らには「負」が多い。  
最近の受賞傾向は、国際政治をよい方向に誘導する意図もあるらしい。もし北朝鮮のリーダーにノーベル平和賞を授与したら、以後は受賞の栄誉を汚すことなきよう、平和政策に邁進してくれる可能性は大いに高まるだろう。しかし、それでは、泥棒にカネ渡してもう泥棒しないでねと言うのと大差ないではないか。


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「忖度(そんたく)」

2017.04.15

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(21)
いまだにすっきりした結末が得られない「森友」問題。というか、最近は北朝鮮関連ニュースですっかり報道されなくなったような・・・。
官僚時代の経験を踏まえて言うと、どう考えても官僚の判断だけであの9億円→1億円という「世紀の値引き」ができるとはとても思えない。当然、官僚から見て天の声―政治家・国会議員が介在したに違いない。それも野党でなく与党の「陣笠」ではない程度の力のある議員ではなかろうか。一般に中央官庁のキャリア官僚といえども国会議員には弱い。頼まれれば断りにくい。「口利き」なんてのは霞が関ではフツーにあったと記憶する。ただ、国家予算を牛耳る権限をもつ財務官僚(私の時代は大蔵官僚)には、さすがの国会議員も一目置いているというが、今回はさすがの財務官僚も「天の声」に服従したようだ・・・。
「口利き」は人口に膾炙した言葉だが、今回の報道で俄然有名になった言葉がある。「忖度(そんたく)」だ。広辞苑では
○そんたく【忖度】
(「忖」も「度」も、はかる意)他人の心中をおしはかること。推察。「相手の気持を―する」
と解説されている。籠池氏の意向を汲み取った某国会議員の心中を財務省がおしはかって「大安売り」をしたということか。
これとよく似た意味の言葉に「斟酌(しんしゃく)」がある。
○しんしゃく【斟酌】
②その時の事情や相手の心情などを十分に考慮して、程よくとりはからうこと。手加減すること。「情状を―する」「―を加える」
どうも、「斟酌」のほうが回りの状況を踏まえる意味合いがあるようで、主観性の高そうな「忖度」より客観性が高いと言えそうだ。客観性があれば、9億円→1億円なんて値引きはできないだろう。
最近届いた楽しい葉書をお示しした。知り合いの1級建築士の方だが、時事問題やニュースに絡めた、非常にウィットに富んだ素晴らしい絵と文を、定期的に送ってくださる。その才能はすごいと感心してしまう。コイケ―カゴイケ、モリド―モリトモなんて思い付きもしなかったなぁ。

ボブ・ディランのノーベル文学賞

2016.10.26

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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(20)

〔予想外の授与〕
何年も前からこの有名シンガーソングライターが候補の一人として名を連ねていたことは知っていた。でも、まさかそうなるとは思ってもみなかった。ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞である。毎年のように村上春樹がおおむね第1位候補になりながら、文学に疎い私には極めて馴染みのない外国の作家ばかりが選ばれるのが常だったのだが、今年は驚きの結果である。
〔超有名ではあるが〕
「ボブ・ディラン」は、私たち日本人にとってもビッグネームである。昭和40年代に大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」(作詞山上路夫、作曲すぎやまこういち)の中で「・・・片隅で聴いていたボブ・ディラン・・・」という歌詞があり、洋楽をあまり聴かない日本人でも、ボブ・ディランの曲は知らなくてもこのフレーズは知っているという方は多いのではないか。う~ん、その個人としての知名度は、エルビス・プレスリー並みか、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーを凌駕している。
しかしながら、すごいヒットメーカーかというと、ビートルズやプレスリーなどと比べ、大きく劣っていることは否めない。ウィキペディア「ボブ・ディランの作品」によるとアルバム作品は全英や全米№1を幾つも出しているが、シングル曲は、なんと№1はひとつもない。
〔カバーされて大ヒット〕
有名どころで、代表曲「風に吹かれて」(←日本人には最も知られている)は、全英全米ともランク外(ただし、ピーター・ポール&マリーがカバーして全米第2位)、「ライク・ア・ローリング・ストーン」が全米第2位、「雨の日の女」も全米第2位、「レイ・レディ・レイ」が全英第5位、「天国への扉」が全米第12位(ただし、ダンブレンがカバーして全英第1位)といったところか。唯一全米1位は、ザ・バーズがカバーした「ミスター・タンブリンマン」だ。これまで「全米」は、ビルボード誌のことで述べたが、実はかつてはキャッシボックス誌というシングルチャートがあり、こちらで、本人が歌う唯一№1ソングが「ライク・ア・ローリング・ストーン」である。
(2015年8月2日付け「全米シングル№1獲得曲数トップのアーチストは?」参照)
〔今年来日コンサートを観た〕
実は、私はボブ・ディランの来日コンサートを2度観ている(と思う)。
1度目は、はるか昔、私が医学生時代だった1990年代に、当時通っていた英会話学校で親しくなったアメリカ人講師に、ある日突然誘われて(たしか)日本武道館に連れて行かれたと記憶している。彼の奥さん(日本人)も一緒だったかなぁ。チケット代を払った覚えがなく、彼のおごりだったような・・・。とにかく昔のことで曖昧な記憶しかない。
2度目は、なんと今年4月のこと。4月23日(土)夕方に東京ドームシティホールで追加公演があると知り、仕事終わって行ける時間帯だし、そのビッグネームに惹かれてチケット購入したのだ。公演は、予定通り17時に開演し、途中20分のブレイクを挟んで19時10分頃終了した。私にはあまり馴染みのない曲ばかりで、正直やや退屈してしまった(ボブ・ディランのファンには失礼だが・・・。)
〔ネイティブでない日本人には難解〕
ノーベル文学賞受賞の理由は、「米国歌謡の伝統の中に新しい詩の表現を創造したこと」とのこと。
実際の彼のコンサートを聴いて、我々日本人は英語の歌を聴いてもメロディーしか理解できない、歌詞の深さを理解することは到底できないと痛感したことだ。ボブ・ディランの曲は、ビートルズのような親しめる感じのものはあまりないように思われる。したがって、きっと歌詞はすばらしいのだろうが、楽曲としては大衆のウケはイマイチなのだろう。だから全米ビルボードで1回もトップを獲得できなかったのではと考えざるを得ない。
ボブ・ディラン以外にも優れた詩を書くシンガーソングライターはいる。私の好きなソングライターだと、例えば、サイモン&ガーファンクルのポール・サイモンとか。ビートルズのジョンやポールも、初期はラブソングばかりの印象だったが、成長してよい詩を書いた筈だ。日本では、作曲よりはるかに作詞に時間を割くという小椋佳が「詩人」だろう・・・。

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