2010.07.21
・・・・・・・・・・・河辺啓二の教育論(1)
<今の若者は「ゆとり教育」の被害者>
私の子らの受けている学校教育については、あまりの「ゆとり」に驚かせることが多い。まず、中学で英語の筆記体は学ばない(もちろん高校でも)。今の大学生以下の若者のほとんどは、筆記体が書けない。吸収能力の高い中学生の時期なら数日あれば覚えられそうなものなのに、それさえも「詰め込み教育」とみなされたのか、学校で教えない。
私の記憶では、確か、高校1年生の頃に数学で平方根の求め方を学習した。√2≒1.41421356(人よ人よに人見頃)とか、√3≒1.7320508(人並みにおごれや)とか、覚えるのは今も昔も同じだ(これは中学で学ぶ)が、例えば、53とか、257とか、どんな数であっても平方根を求める方法があるのに、それを今の高校では教えていないらしい。だから、(「ゆとり世代」の)今の若い高校数学教師は、この方法を知らない。
<地学や倫理の教師も「ゆとり教育」の被害者>
もっとひどいと思われるのは、高校の理科と社会のあまりの「ゆるさ」だ。現在中年以降の世代は、理科なら物理・化学・生物・地学の4科目、社会なら世界史・日本史・地理・政治経済・倫理社会の5科目を必修だった。つまり、受験科目であるなしにかかわらず、中間試験・期末試験を受け、単位を取得した。
それが、今の若者たちといったら、理科も社会(←主に地歴という)も2科目程度の修得でよくなった。学習機会の減った若者たちも可哀そうだが、もっと悲惨なのは、地学や倫理社会を専門で教えていた教師たちである。いわば仕事の場が激減したのだ。昔はどこの高校でも、1人程度地学の先生がいて、週1コマ1年生各クラスに授業していた。今では地学を選択する学生がほとんどいなく、代わりに生物などを教えさせられている。(大学入試二次試験で地学が選択できるのが東大以外に見つけにくい現状にある。)
<遅すぎた「ゆとり教育」見直し>
英語の筆記体が書けないどころか読めない、そして中学までしか地学や政治経済・倫理を勉強していないような教養レベルの人間が、いまや大学を卒業し、社会人となっている。国力に大いに関係する国民の教育レベルだが、昨今の学力テスト国際比較における日本の劣勢といい、日本の将来が不安なのは私だけでないだろう。
狭い国土、少ない天然資源の我が国が、曲がりなりにも先進国の位置を維持しているのは、特に明治以降の高い教育レベルに負うものが大きいと言って誤りではないだろう。それが徐々に崩れかけてきている。学力テストも、科学技術国際競争力も、かつて世界第1位だったのが見事に滑り落ちている。かろうじてキープしていた経済力第2位も中国に抜かれた。国際競争力や経済力の相対的低下は、教育レベル低下に起因していることはおおむね明白ではないか。
やっと最近になって文部科学省が「ゆとり教育」見直しを始めたが、遅きに失した感がある。この数十年間、吸収力ピークの子供たちに誤った「ゆとり教育」を押し付けてきた文部省(文部科学省)の「大罪」やいかん。