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記事一覧

日本人はブレやすい国民か

2010.07.21

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・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(5)

<参院選民主党敗北-菅首相の「英断」は拙速だったか>

先の参院選選挙で民主党は大敗したと評されている。つまり、「新政権夏の陣」は民主党の敗退に終わった。敗因の第一位に挙げられているのが菅首相の消費税10%発言とされている。選挙前に不利となるのが当然な増税発言の意図は何だったのか。「癒着」している財務省の意向が働いたのか。「ライバル」の自民党が消費税10%と既に言っているので同じ税率なら大丈夫と考えたのか。

消費税に言及しないで、ぼかしながら選挙戦に入っていたら過半数議席を取れていた可能性は高い。もちろん、敢えて言及した首相の「英断」を評価する声もある。

〔民主党・自民党以外の党は、消費税増税しなくとも財源はあると言い張っている。いったいどっちなのか。ただ蓮舫議員がその名を轟かせた事業仕分けでも、今のところ「捻出」できた金額は、現在の国家財政から見れば「焼け石に水」程度だろう。(増税しなくても)財源があるのかないのか、埋蔵金はまだまだあるのか、真相はいまだ闇の中のようだ。〕


<今さら自民党?>

それにしても、日本国民の声の変動の大きさは何なのだろう。昨年夏のあの狂気じみた「民主党フィーバー」、「猫も杓子も民主党に投票」からわずか10か月でほとんど豹変だ。あのとき比例の下位で(数合わせ程度に立候補して)まさかの当選をしてしまった人たちが、この10か月間どのような議員活動してきたのか、全く見えて来ない。マスメディアも、そのときだけ取り上げたが、以後全く報道されていないようだ。

首相が交代した直後の支持率急上昇、支持率高いうちにやってしまえとばかりに、国会法案審議もそこそこに参院選挙突入させ、かの消費税発言でやや失速する中、投票開票、そして与党敗戦。(←この過程に、「格調の高さ」は微塵もない。)

自民党政権約50年の負の遺産を引き継いだ民主党への同情は乏しいようだ。民主党の目玉政策・財源根拠の薄い「こども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」などへの期待感の減少もあるが、もっと大きいのは、「カネと政治」問題、普天間問題であり、わずか10か月で、国民は「元の恋人」自民党によりを戻そうとしているかに見える。

あれだけ自民党、そして民主党に国民は失望したのだから、他の政党の当選者が急増するかと思いきや、みんなの党が健闘したくらいで、既存の他党も新政党も、無議席~わずかな議席数しか確保できなかった。

鳩山前首相が「発言がブレる」と叩かれまくったものだが、日本国民の有権者もブレているような気がする。あの、沈滞し、多くの大物議員が脱走した自民党に、今さら何を期待してあんなに票を入れたのだろう。昨年、あんなに民主党に惚れていたのに。


<消極的選択投票続きでいいのか?>

私は、みんなの党以下他の政党の得票数が伸びるのではと期待していたが、それは見事にはずれた。既存政党で歴史のある社民党も共産党も伸びない。「次期総理への国民期待人気ナンバー1」だった舛添要一氏の政党も、結局は不人気だった。なぜ、日本の有権者はもっと多くの政党に分散して投票しないのだろうか。

昨年の「民主党フィーバー」も、自民党でない政党に一度政権とらせてみてはという消極的選択だった。今回のみんなの党躍進も、自民も民主もあかんから他の政党で最もまともそうだと思って票を投じた人も多いのではないか。つまり、これも消極的選択投票といえる。

こんな消極的選択投票ばかりで日本の政治が動いていていいのだろうか。もちろん、外国に目を向ければ、北朝鮮のような問題外の国家もあるし、欧米各国の政治・政治家が日本に比べずっと素晴らしいかというと疑問符がある。まだ、日本は、マシなほうな国家なのだろう。
〔最近、豪華な衆院議員会館が完成したこともあって、国会議員数削減論が出てきた。国家公務員数削減だけでなく、こちらに、国民・メディアの目がやっと向けられ始めたことは大変喜ばしい。〕

2人めの理系宰相に期待?

2010.06.09

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(4)


〈宰相はツライよ、でもなりたい?〉

たった8か月半で鳩山内閣は終わった。それにしても、首相という職業は、あらゆる職業の中で最も悪口・批判を浴びるものであろう。麻生前首相、いや元首相だって、デビュー時は「人気者」だった。鳩山首相は、政権交代の初っ端だけに期待が大きかったものだ。

それが、就任数か月後の「母親からのお小遣い」問題発覚頃からから酷評され始めた。極めつけが沖縄基地移転問題だ。政府・与党をケチつければよい野党って精神的には気楽に違いない。政府批判の先鋒だった長妻議員だって厚生労働大臣になったとたんおとなしくなって、最近は全くテレビでお目にかからない。


〈鳩山→菅は既定路線か〉

鳩山首相辞任の決定打となったのが普天間問題だが、私には若干奇妙に思えることがある。政府の施策にはそれぞれ所管省庁がある。米軍基地問題といえば、防衛問題という観点から防衛省、外交問題の観点から外務省が所管しているはずなのだが、この普天間問題で、首相だけが矢面に出て、なぜか防衛大臣と外務大臣の顔がほとんど出て来なかった印象がある。防衛省・外務省を超えた国家的大問題なので、あたかも首相専管事項となったのか。「Trust me」、「腹案」、「5月末までには解決」など空手形を切ったのが首相自身であるからなのか。いずれにせよ、防衛大臣と外務大臣は表だって首相擁護するほどでもなく、沖縄県民及び国民からのバッシングを受けることもなかった。同様に菅副総理は「鳩山総理を支えてきた」と一応評されているものの、やはり、普天間問題ではメディアに全く登場していない。というか、この8か月間、ほとんどメディアに現れず「なりを潜めて」いた感がある。支持率急落の際、表に出るのは(鳩山総理同様にバッシングを受ける公算大だから)次期総理になるためにはマイナスだと判断したためであろう。このことは野党となった自民党の石破氏が菅新首相を非難しつつ述べていた。

まぁ、一国の宰相というのは、政治の道に進んだ者にとっては最高のゴールであり、このような「手練手管」(?)くらいしかたないかなとも思う。それくらい強(したた)かな「策士」でないと首相の重積は果たせないのかもしれない。


〈菅新総理に期待する理由〉

 私個人的には同じ東大工学部の先輩だけに期待はしていた。これまでの文系宰相とは違うぞというところを見せてほしかった。横柄尊大でなく真面目な人柄なのに、そんなことは首相の資質には無関係とばかりにバッシングを受け続けたものだ。今度の菅直人首相は、東工大理学部の物理出身だ。鳩山前首相と異なるのは、政治家名門一家の超お坊ちゃま育ちの学者上がりでなく(その前の安部・福田・麻生各元首相も世襲議員だったが)、サラリーマン家庭に育った市民運動家出身という逞しさだろうか。

高学歴ではあるが、鳩山氏のような超サラブレッドでなく、落選3回のいわば「たたき上げ」の政治家というところが、国民の好感を得て内閣支持率急上昇の一因にもなっている(「小沢外し」が主因だろうが)。かつて厚生大臣時の薬害エイズ問題で見せた猪突猛進さを首相でも発現できるだろうか。興味津々だ。


〈昨夏の総選挙はナンだったのか?〉

そもそも、昨夏の民主党に圧勝させたのは誰だ?われわれ国民が悪いのではないか。「比例」で全く期せずして(棚ぼた)当選した新人議員たちは、この8か月半の間、お給料に見合うお仕事をしてくれたのであろうか。このあたりは全くメディアに出てこない。
自民党政治に「ウンザリ」極限になった国民は、とにかく他党に頼りたかった。それに加えて「子ども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」など財源のアテもない甘い甘い公約で(その頃は普天間問題はあまり注目されていなかった)一般国民を引っ張り込んだ。その果てが猫も杓子も民主党に投票してしまった。

ときあたかも不景気風がビュービュー吹き荒れ、「貧困」という言葉が人口に膾炙し、小林多喜二の「蟹工船」が売れているというのに、共産党の当選議員数は全く増えなかった。日本国民の「民度」は低いのだろうか。民主以外の(当時の)野党にもっと票が入るべきだった。

今回の民主党支持率急上昇(20%弱→60%台)も、ちょと異様な気がする。日本国民は「心変わり」しやすい民族なのか。それとも柔軟性に富んだ国民なのか。


〈政治は「政治主導」が当たり前でないのか〉

だいたい「政治主導」って何だ?国会議員の先生方が政治やるのは、もともと「政治主導」が当たり前だろう。官僚バッシングは国民のウケ狙いにしか見えない。

「脱官僚」「脱官僚」とまるで官僚が悪者かのような印象を与えながらも、財務省とは結託して政権運営してきたのが、これまでの民主党政権だ。最近、やっと、官僚をたたくより官僚と協調して仕事すべきだと考えるようになったが、当然だろう。

〔菅首相は、財務大臣時に国会答弁で「消費性向」とか「乗数効果」とか経済学用語を問われて狼狽えたそうだが、財務相のポストにありながらちょっと情けない。これらの用語は経済学部専門課程1年めで学ぶ極めて基礎的な専門用語なのだ。国会答弁時官僚を外しておいたために大恥かいたことで「学習」した? かつては「霞が関の官僚は勉強はできても大バカだ」と話していたものだが・・・。〕

7月は参院選、9月は民主党代表選と、菅内閣が短命となる可能性は十分ある。「どうせ内閣支持率が逓減していくだろう」という冷めた予測もあるが、1年くらいは続けてもらいたいものだ。

あわれ、中年官僚たちの末路

2009.12.20

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(3)


〈事務次官がなくなる?〉

公務員制度改革を担当する仙谷由人行政刷新相が、とうとう事務次官廃止論をぶちまけた。「社長のほかに事務方のトップがいるような組織形態は見たことがない」というのが理由らしい。

一般的な会社組織を基準に考えれば、妥当な発想かもしれない。大臣を「社長」に例えると、副大臣、政務官は「重役」。だが、実情はその下に位置するはずの事務次官が、官僚たちにとっては「我らが社長」となっている。官僚にとってみれば、大臣という社長はコロコロ変わる「お客様」の社長に過ぎないのが現状であった。

しかし、「政治主導」新政権の仙谷大臣は、省庁という三角形の頂点に、大臣等政治家がいて、残りの「台形」部分の「上底」部に官僚のトップとして各局長を置くという考えのようだ。

かつて、東大を卒業し、中央官庁に就職し、目指すは事務次官というのが、立身出世の典型だった。「官僚たちの夏」でも登場した、いわゆる「次官レース」というのは、どこの民間会社でもある「社長レース」同様、当該組織で働くモチベーションになっていることは否定できない。「エラくなるために働く・努力する」というのは、果たして卑しいことなのだろうか。官僚たちの目指す頂点のポストが廃止されれば、どうなるだろう。省庁全体として継続的に政治家と事務方を繋ぐ事務方トップがいなくてよいのだろうか。事務次官を目指して粉骨砕身中の中堅官僚たちのモチベーションが下がりはしないだろうか。


〈最も悲惨なのは中年官僚たち〉

それにしても、明治以後綿々と続いてきた事務次官会議の廃止を実行したと思いきや、今度は事務次官そのものの廃止とは・・・。霞が関で働く40歳代以上の官僚たちのためいきが聞こえてきそうだ。
今、40歳代、50歳代の官僚たちは、まだ、官僚という職業がある程度憧れられた時期に、入省してきた者たちだ(もっと若い世代は、「官僚の前途は厳しい」ことを踏まえて官僚になっているので、今更そんなには落胆していないだろう)。営利追求の民間企業で働くより、天下国家のために働こうという美しい志を持っていた(かくいう私もだ)。ただ、旧態依然とした巨大「官僚組織」の中でいるうちに、だんだん「保身」の傾向が強くなり「変化」を嫌う人種に劣化していく。そして、妻や子の扶養や老後の生活が大事となり、「天下り」でもして現役時代の安月給の補填をしてもらおうと考えるようになる。

官僚バッシングが当たり前の世の中になってしまい、妻子が世帯主の職業を隠すほどに「官僚」のイメージは下落した(例:幼稚園に通う子供をもつ母親が、夫が官僚であることを母親仲間に隠しとおす)。もう、「天下り」はできないだろう。そのぶん、定年の60歳まで役所は雇ってくれるだろうか。仮に減給の上で60歳まで雇ってくれたとして、その後は年金支給時期につながるのだろうか。結婚が遅い者だと、60歳くらいでは、まだ、大学生の息子や娘がいるかもしれない(いや、高校生かも)。カネが最もかかる年頃だ。「天下り」先の高給や退職金で娘の嫁入り支度をと思っていたのに、なんてこともあるかもしれない。


〈官僚が民間で使いものにならない理由〉

 それでは、「天下り」なんか、あてにせず、自分で道を拓けよ・・・世の中の論調として、「官僚は、天下りなんかしないで自力で再就職せよ」というのがある。一見ごもっともだが、役所という職場で20年以上働いてきた人間が民間で使いものになるだろうか。
①経営感覚なし、コスト感覚もありません
②経理とか会計とか、全くわかりません
③接客業なんかしたことありません(そもそも人にアタマを下げる習慣がない)
④したがって、お客に対する正しい敬語の使い方を全く知りません
⑤東大等一流大学を出ているのでプライドが高いです
⑥法律の文とか国会答弁書とかなら書くのが得意です
⑦役所でそこそこの給料(官僚は若いときは薄給だが、エラくなると結構高給になる)をもらっていたので、まぁ年収1000万円は頂きたいです。

ざっと言うと、こういうのが霞が関のキャリア官僚たちの求職条件だろう。こんな人間を雇ってくれる民間企業ってあるだろうか。
要するに、20年以上も「官僚の世界」にどっぷりと浸かっていると、上記のような求職条件の人間になってしまう。いわば、世間的に見れば、handicappedの人間なのだ。だから、役所に準じた○○法人の中で仕事させるしか、活用方法がないのである。そう考えると「天下り」はこのようなhandicappedの人間の救済措置であると言うことができる。


〈こんな「隠れ天下り」もある〉

国税庁・税務署OBは無試験で税理士になれるというのは、全く厚かましい「天下り」にほかならない。仕事しながら、又はそれ専門で、一生懸命に受験勉強してきた人たちから見れば腹立たしいに違いない。この不景気の中、税理士試験は、資格の中でも(司法試験、公認会計士試験ほどでないにしろ)難関となっている。ある税理士の方が、国税庁・税務署OBも、せめて税法1科目と会計1科目くらいは受験させ合格することを資格取得の条件とすべきだと主張されていたが、至極まともなご意見だと思う。

やはり、この仕組みも、国税庁・税務署が財務省の組織であることに鑑みれば、「霞が関の財務省支配」の一つといっても過言ではない。


〈「大蔵支配」は続くよ、どこまでも〉

「大蔵支配」「財務省支配」が続く。「脱官僚」を御旗に政権を奪取した民主党だが、この3か月やっていることをみれば、???だ。そもそも財務大臣が大蔵OBだし、大騒ぎした日本郵政の社長も大蔵OB、そして、話題の「事業仕分け」も財務省主導。こうやって見ると、もともと、民主党は、「脱官僚」といいながら、政権運営のためには、100%官僚と縁を切るわけにいかず、官僚機構の中核・中枢の財務省と結託することとしたと考えるのが妥当だろう。
そこで、思い出すのが、あの故中川昭一財務大臣の「酩酊会見」。
官僚は、大臣に恥をかかせないのが当たり前の大前提。あの麻生首相が漢字を読めないことを暴露させたのは首相側近の官僚たちの無能さゆえ(麻生さんが外務大臣や総務大臣のときは、そんなことはバレなかった。外務官僚や総務官僚がうまく隠していたのだ。)と思われる。まさか、自民党政権末期を確信して、首相官邸官僚が民主党と連携して「首相無学」を世間に知らしめようとしたわけではないだろう。

中川さんの場合は、どう考えてもおかしい。ローマに同行した多くの財務官僚たちは何をしていたのか。彼の記者会見前の状態を見て、「体調不良につき会見中止」あるいは大臣代理が会見するなど措置を講じることができなくはなかったはずだ。つまりは、水面下で民主党と連携していた財務官僚たちが自民党下野への決定打の一つとして、「よいどれ会見」を行わせたに違いない。

ということで、大蔵省から金融部門がはがされ、財務省に省名変更され、霞が関でのダントツ地位が若干ながら地盤低下していたところで、民主党への政権交代をテコに、再び霞が関ダントツ省庁に復権したのだ。


〈やはり心配な日本の将来〉

 たかが群馬の田舎の「一介の町医者」ながら、日本の将来を心配している。「河辺啓二の主張」でも述べているように、官僚のなり手が昔より減っている。今の状態を見れば、多くの若者が、一般の省庁の官僚なんてなりたいとは思わないだろう。まぁ、財務省ならいいかな、ってところか。その財務省でさえ、「質の低下」が顕著になっているという。

マスメディアが「官僚」をあまりに「悪者扱い」しすぎた。このまま、官僚の質低下が続くことは、我が国の行政の劣化が起こることにつながる。だが、最近になって、わずかながらこのことを見直す発言をする人が出てきている。今年7月に私がVTR出演した、日本テレビ(読売テレビ)「情報ライブ ミヤネ屋」の中で、司会の宮根誠司が次のようなことを言っていた。

「(関西大学しか出てない)私ら、遊び回っている頃、一生懸命勉強して東大入って官僚になった人だから、高い給料もらってええんじゃないか。」

このことに、コメンテーターの春川正明も同調していた。私も、テレビを見ながら、笑い、頷いたものだ。

無知蒙昧な政治家たちによる事業仕分け

2009.11.29

・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(2)


〈「事業仕分け」ってなんだ?〉

新政権の行政刷新会議の事業仕分けで医師が処方する医療漢方薬を「公的医療保険の適用外」とする方向で結論が出た。当然、これに対し日本東洋医学会などから猛反発が噴出している。

新政府は、行政刷新会議、国家戦略室などと、一見カッコいいネーミングを呈しているが、「刷新」はともかく「戦略」とは恐れ入った。もちろん、warの意味でなく、strategy、tacticsの和訳から来ているのだろうが、「戦」の字が入っていることに違和感を抱く人が多いのではないか。日本の軍事情勢に過剰反応しがちな、漢字本国の中国あたりから、何のリアクションがないのが不思議に思える。今のところ、依然として、国家戦略室トップの菅直人大臣らは、なりを潜めているが・・・。

一方の「刷新」のほうは、この事業仕分けで、連日のように、テレビ、新聞等で報道されている。報道されている内容を見聞きするに、民主党国会議員をはじめとする「仕分け人」たちの無知と横暴さにはあきれてしまう。


〈教育や科学に費用効果原理を持ち込む愚かさ〉

科学の「か」も知らないような、例えばフラスコや試験管も触ったこともないようなド素人が科学技術予算を容赦なく削減していく。ノーベル化学賞の野依先生の「歴史という法廷に立つ覚悟はあるのか」という言葉は、見事だ。「歴史という法廷」という(われわれ凡人が思いつかないような)言葉が出るとは、さすがはノーベル賞科学者だ。我が国が、曲がりなりにも世界の先進国の一員であるのは、広くはない国土、乏しい天然資源の中で、優れた科学技術を駆使し、国民が勤勉に働いてきたからではないか。自然科学の研究に収益性なんか求めるバカ国会議員を選出したわれわれ国民も悪いのだが。

〔野依先生がかような名言を吐いたが、オールドロックンローラー内田裕也もいいこと言った。彼は、行政刷新会議の事業仕分け最終日となった27日、当会場を見学に訪れた。“ロック界代表”として傍聴し「自分らの給料下げろっていうんだよ」など“裕也節”を全開した。たしかに、国会議員には、一人当たりなんと年間3400万円以上もの歳費が税金で支払われている。内田氏の言うように一人百万円でも削れば、全体で何億円もの「人件費」が浮くことになる。この発言に拍手喝采した国民は多いのではないか。〕

教育も同様に費用効果が見えにくい。「高校授業料無償化」よりやらなきゃいけないことが山ほどあるのではないか。私が農林水産省OBなので農業予算を庇う気持ちがあるわけではないが、農業も、収益性にはなじみにくい面があることを理解してもらいたいものだ。更に言うと、医療・介護・福祉も収益性うんぬんの議論になじまないことは当然なのだが・・・。


〈外務省の在外公館予算見直しは評価できる〉

 事業仕分けの会場が、印刷局の体育館というのが、いかにも国民ウケを狙ったような気がする。まるで、村民か町民の集会場のようだ。ホテルといったおカネのかかる場所ではないですよ、という新政権の精一杯のアピールなのだろう。ただ、テレビ放映の際、注意して見てみると、事業仕分け人のおエラ方だけ立派なソファーチアーに座り、叩かれ役の官僚たちは折りたたみ式の簡易椅子に座っていることがわかる。まぁ、ロコツなものですなぁ。

あほらしい結論の多い事業仕分けだが、一つ賛同するものがあった。外務省関連予算だ。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも糾弾した在外公館の贅沢な予算にチェックが入ったのだ。自民党政権下では、手をつけられなかったものだ。外国のことはよくわからないというのがオモテ向きの理由だが、なんのことはない、在外公館とは、自民党のセンセイ方が「海外視察」の名目で外国を訪れた際の「国立交通公社」、しかも、全額税金でまかなう、無料の旅行サービス社なのだ。政治家たちへの接待は、泊まりたいホテルの部屋、行きたいレストラン、乗りたい特急車のお世話に加えて、更には高級売春婦の斡旋までさせられていたようだ。さて、民主党政権下、このような多くの国民が知らない破廉恥な「事業」は消失したのだろうか。


〈財務官僚たちの高笑いが聞こえてくる〉

 「負け組3省」という言葉がある。新政権で叩かれる3省庁のことで、私の古巣・農林水産省と公共事業の総本山・国土交通省、そして最大予算を抱える厚生労働省だ。そのとおり、これら3省は大負けしているが、ひとり勝ち組で我が世の春を謳歌している省庁がある。財務省だ。政権を初めて奪取し、与党経験のない、民主党にとって、すべての省庁を「敵」にするのは、得策ではない。そこで、「省庁の中の省庁」財務省を取り込み、タッグを組むこととした(財務省大物OBの「天下り」を特別扱いで容認しているしね)。
財務省は、なにしろ、国税徴収権と国家予算編成権を持つため、他の省庁とは全く別格だ。そのことで、一般省庁(その他大勢の一つ)・農水省にいた私は、官僚時代、当時の大蔵省に強い劣等感と憎悪を抱いたものだ。(財務省別格論は、私と同様、東大理系出身で、私と同じ年に同じ「経済職」で大蔵省に入省した高橋洋一氏も、著書の中でよく述べている。最近においては、彼は「『国家戦略室』や『行政刷新会議』も財務官僚に占拠された」と表現している。)

 霞が関の全省庁の予算査定をする財務省であるから、主計局の各担当者は各省庁の事業内容にもかなり精通している。主計局の中に、「農林係」「公共事業係」などと省庁別に主計官、主査が分かれており、いつでも他省庁の担当者を呼びつけて情報を得ることができる。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも述べたが、主計局の係長クラスが他省庁の課長補佐・課長クラスを平気で呼びつける。私は見たことがないが、机の上に脚をのせたまま、対面する他省庁の官僚にお説教をする尊大な大蔵官僚もいたらしい。


〈「現場」を知らない政治家・官僚に、政治・行政をすべて任せていいのか〉

 今回の漢方薬保険除外論も、財務省のシナリオどおりであることは明白だ。昔から、漢方薬、湿布薬、うがい薬、ビタミン剤は、「保険から除外せよ」と一部から言われ続けてきた。しかし、保険適用が継続してきたのは、業界の反論だけでなく、それなりの理屈があったからであろう。バイアグラやプロペシアに保険が適用されないのは納得するが、これらの薬剤は、保険診療の埒(らち)内にして整合性がとれるものだ。

要するに、医療現場を全く知らない財務官僚と民主党議員の戯れ言だ、と言いたい。まぁ、厚生労働官僚も医療現場を知らなさ過ぎて困るのだが。

医療だけではない。教育も、農業も、とにかく「現場」に疎い官僚・政治家が、世の中を動かしている・・・。

そこで、私は提言する。政治家は選挙の洗礼を受けるのでしかたないとして、行政官は、ある一定割合以上の人が「現場」経験者でなければならないとする制度はできないものか。厚生労働省なら、臨床医や介護福祉士、農林水産省なら、農業者や漁師、国土交通省なら、トラック運転手や建設現場担当者とか・・・。

初の理工系宰相に期待?

2009.10.14

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(1)


〈われわれ外野の人間はお手並み拝見中です〉

8月末の総選挙圧勝、9月の組閣から約1か月経った。ついに日本の政治・行政が変わりそうな気配が出てきてはいる。
私の好きな漫画家弘兼憲史氏が「やってみなはれ内閣」とネーミングしていたが、同感だ。「こども手当」「高速道路無料化」「高校授業料無償化」など、財源の怪しい、甘いフレーズで選挙民のハートをがっちり捕らえ、総選挙で歴史的な大勝利を収めた民主党政権のお手並み拝見といったところであろうか。
(個人的には、莫大な財源を「こども手当」に振り分けるより、医療・介護にもっと回してくれないものかと感じている。)


〈我が国の「文系支配」はCHANGEできるのか?〉

私は、常々、拙著等で、日本の政治腐敗の一因として、「自民党文系支配」を挙げてきた。私のように理系と文系を渡り歩いて来た人間にとって、両者の実情を体験しているだけに我が国の「文系支配」には腹立たしささえも覚えるものである。
難解な数学や物理学が理解できないような人間が我が国を牛耳っていると断じることができる。政界、(私のいた)官界、産業界のどこでも、上位には法経出身者が多い。そこで、端的な例として、政界のトップ、最近の歴代総理大臣の学歴を遡って見てみよう。

麻生太郎:学習院大学政治経済学部政治学科
福田康夫:早稲田大学政治経済学部経済学科
安部晋三:成蹊大学法学部政治学科
小泉純一郎:慶應義塾大学経済学部
森喜朗:早稲田大学第二商学部
小渕恵三:早稲田大学大学院政治学研究科
橋本龍太郎:慶應義塾大学法学部政治学科
村山富市:明治大学専門部政治経済科
羽田孜:成城大学経済学部経営学科
細川護煕:上智大学法学部
宮澤喜一:東京帝国大学法学部政治学科
海部俊樹:早稲田大学第二法学部
宇野宗佑:神戸商業大学中退

きりがないので、平成以後とした。ALL文科系、しかもいわゆる政・法・経・商の社会科学卒業生ばかりである(ややウンザリ)。昭和戦後に遡っても、出身学部の傾向は同様で、東大卒の割合が高まる程度だ。異色なのは、中央工学校卒(専門学校)の田中角栄氏と水産講習所(現東京海洋大学)卒の鈴木善幸氏の2人だ。この2人も、広い意味では理系に属するが、○○大学理学部あるいは工学部卒業生でないので、あまり理系出身者とは言い難い。このような歴代首相の卒業学部を見るだけでも、いかに我が国が「文系支配」であるかがわかる。


〈「文系支配」は世界の非常識〉

今度の鳩山由紀夫首相は、東京大学工学部計数工学科の卒業生であり(昔は、中曽根康弘氏とか福田赳夫氏とか東大卒が多かったが、彼らは正確にはすべて旧制の「東京帝国大学」卒であるため、実は、鳩山氏が初の新制「東京大学」卒の首相となる)、同じ学部卒業生の私にとって待望のリーダーである。

英国のサッチャー元首相はオックスフォード大学で化学を専攻していたし、ロシアのエリツィン元大統領はウラル工科大学建築科出身だ。現職では、ドイツのメルケル首相がライプチヒ大学で物理学を専攻していた。経済台頭著しい中国の政府首脳部はほとんど理系卒、技術者出身である(たとえば、胡錦濤国家主席が清華大学の水利工学、温家宝首相が北京地質学院の出身のエンジニア)。我が国の「理系冷遇」が、世界的に見ていかに奇異であるかがよくわかる。

今回政権を奪取した民主党には理系が多い。現内閣だけでも、総理を筆頭に、菅直人副総理は東京工業大学理学部応用物理学科卒、川端達夫文部科学大臣は京都大学工学部化学工学科卒、平野博文内閣官房長官は中央大学理工学部電気工学科卒と理系出身者が4人もいる。これらの方々は、大学時代、遊び回る文系友人を尻目に、夕方遅くまで実験に追われ、難しい数学や物理学の勉強の日々を送ったことであろう。大学時代に遊び回り、就職は一流どころへ進む要領のよい文系人間が世間では地位が高くなっている日本の現状に鑑みれば、理系の苦労を体験したこれらの大臣が、これまでの文系中心の政治や社会を変えてくれるかもしれないと感じざるを得ない。


〈私が「理→文」とした理由〉

私は、工学部3年生のとき、城山三郎の「官僚たちの夏」を読んで官僚に憧れ、国家公務員上級職試験受験を決意した。行政・法律・経済の事務系(文科系)で入省したほうがエラくなることを知り、更に、専門の難解な化学よりおもしろそうな経済学で受験をすることにしたものだ。

独学だが、初めて学ぶ経済学は楽しかった。特に、ミクロ経済学では数学を駆使するのがおもしろい。しかも理系の数学よりはるかに易しい数学だ。こんな易しい勉強で受かって事務官になると、難しい理系の科目で受かった技官よりエラくなれるのが「霞が関ムラ」、我が国の行政組織なのである。


〈威張るほど勉強していないのが文系〉

文系学部卒業生は、おおむね大学受験までしか理系のことを勉強していない。私立文系にいたっては、それさえもない。各界で大きな顔をしている早慶等一流私大文系出身者の多くは、英語と国語と社会1科目のたった3科目(!)しか勉強していない。

また、良くも悪しくも、我が国に最大数の人材を供給している学部―東大法学部といえども、大学入試の数学に高校3年生レベル(現行では、数学Ⅲ・数学C)は含まれない。しかるに、東大理系の二次試験の国語は、(文系の数学の範囲が狭いのに呼応して)形式上は文系より範囲が狭いことになっているとはいえ、実質の学習範囲は全く同じである。数学という学問と国語という学問の性質の相違によるものだろう。つまり、東大入試二次試験において、理系と文系で英語が120点満点で共通問題であるほかは、以下のような配点になっており、国語の勉強範囲が同一ゆえ、総勉強量として、理系は文系より高校3年の数学の分を余計に勉強しなければならないのだ(つまり数学に関していえば、理系は文系の1.5倍、学習しなければならない)。国立大学入試における数学は極めて重要だ。勝負の分かれ目の科目であることは、経験者なら誰でもわかるだろう。この最も時間をかけて学習する科目で、文系は理系よりはるかに楽(らく)していると言える。

理系:理科120点、国語80点、数学120点
文系:社会120点、国語120点、数学80点

大学に入った後、理系も文系も教養科目を履修するが、ここでも文系の連中は更に楽(ラク)をする。上述のとおり、実験・実習の類はなく、自然科学からは「科学史」とか「生物学」とか、なんとか詰め込みで単位がとれそうな科目を履修する。彼らは数学や物理学のような難解なもの、時間のかかりそうなものは選ばない。大学レベルの数学、物理学、化学等の難しさは、高校のレベルの比ではない。その点、法学や経済学は、容易に「入門」できる。

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