・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の社会論(26)
先日のブログで書き忘れたことがあり、ここに追記する。
〈農林水産省の相対的地位〉
自分で言うのもナンであるが、日本国というより霞が関における農林水産省の相対的地位は、昔のほうが高かったことは明らかである。もちろん、農水省の主たる行政対象の農林漁業者の人数がどんどん減少している時代変遷の中で農水省の重要性が低下してきているのは致し方ない。しかし、もっと大きな理由は、2001年の中央省庁再編だ。私が官を辞して10年ちょっと後のこと。このとき霞が関にいなかった私は完全な外野だが、内部にいた人間の話を聞くと大変だったらしい(ただ、熊澤さんが次官辞任の主因とされるBSE問題の際、省内はもっと大混乱で、私の同期の一人が「役人人生で最も大変な時期だった」と述懐していた)。
霞が関の有力官庁ツートップの大蔵省・通商産業省は、財務省・経済産業省と改称するも、相変わらず強力であるが、総務庁・郵政省・自治省が合体した総務省、運輸省・建設省等が合体した国土交通省、そして厚生省・労働省が「復縁」(この二省はもともと一緒だった)した厚生労働省が準有力官庁に「昇格」した。
〈昔の省庁ヒエラルキー〉
私が官僚になった昭和50年代、圧倒的キャリア事務官輩出元である東大法学部では、中央官庁人気就職先として、まず「御三家」と呼ばれた大蔵省・通産省・自治省があった。大蔵・通産に比べて自治省は一般国民にはイマイチ有名でないし、自治大臣も大蔵・通産ほど大物政治家が就任していなかった。なぜ人気があったかというと、自治省から県知事が大量に輩出されていたからである。更に、自治官僚には若くして県庁の主要課長・部長に出向する慣例がある(他省庁からは一般課長・部長)ことも人気の原因だった。
この「御三家」の次に建設省、運輸省そして農水省が「三大公共事業官庁(別名トンカチ官庁)」として学生の人気を得ていた。なにしろ巨大な公共事業予算を使えるので、いわゆる「利権官庁」と呼ばれていた。天下り先も多かった。
当時、「庁」だった環境庁に対する評価は、横柄な通産官僚に言わせれば「日本を自動車に例えるなら、通産省がアクセル、大蔵省がブレーキくらい重要な役割を果たしている。環境庁なんてドアの取っ手くらいなもの」とのこと。
〈今の省庁ヒエラルキー〉
2001年省庁再編後は、巨大官庁出現によりヒエラルキーが激変した。上述のとおり、総務省、国土交通省、そして厚生労働省当たりがグンと上がって、財務省・経産省に大差ないところまで近づいた。すると、「結婚相手」がいなかった(というより「無傷」で済んだと肯定的にとらえられた)農水省の相対的地位は低下した。「結婚相手」については、似た公共土木工事ということで、建設省の河川局あたりとくっつく話があったらしいが、建設省に猛反対を食らったとか。ほかにも、自然を相手にした業務ということから環境庁も「結婚相手」候補だったらしいが、これもボツになったという(個人的には、農水省+環境庁→「食料環境省」というのも悪くないと思ったものだ)。
いずれにせよ、農水省の「地位」は低下し、科学技術庁と結婚することで上昇した文部省→文部科学省や、「庁」から「省」に昇格した環境省当たりとほぼ同列になったような印象だ。
〔新省庁〕 〔前身〕
内閣府←総理府、経済企画庁、 沖縄開発庁 、総務庁(一部)、科学技術庁(一部)、国土庁(一部)
総務省←総務庁、郵政省、自治省
法務省←法務省
外務省←外務省
財務省←大蔵省
文部科学省←文部省、科学技術庁
厚生労働省←厚生省、労働省
農林水産省←農林水産省
経済産業省←通商産業省
国土交通省←運輸省、建設省、国土庁、北海道開発庁
環境省←環境庁、厚生省(一部)
国家公安委員会←国家公安委員会
防衛庁←防衛庁
〈熊澤さんは本当にエリート官僚だった〉
というわけで、今でこそ霞が関では下位官庁にランクされていそうな農水省だが、昔は結構上位にいたため、東大法学部生の中では人気があるほうだった。私の入省した昭和50年代でそうだったと思うが、熊澤さんが入省した40年代はもっと人気があったのではないだろうか。今回の事件で「農水事務次官」と大きく報道され、農水省地盤沈下とはいえ、「次官」はやはり大きなニュースバリューだと痛感した。ただ、国民大半の人は、熊澤さんが大学出て官僚になった頃は、今よりはるかに農水省(当時は農林省。昭和53年からかの二百海里問題で漁業・水産業政策が重視され、省名に「水産」が挿入された)は重要官庁で入るのが難しかったことを知らないだろう。更に言えばそれだけ優秀な人材が多く入っていたはずで、その中で見事出世競争に勝ってトップの事務次官の椅子を得たのだから、熊澤さんの官僚としての能力は素晴らしいものだったに違いない。