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・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の旅行記(7)
最近の私の旅行・観光といえば、主に海外にしている。理由は、行かれた方は経験されていると思うが、海外観光先ではとにかく歩く、それも坂道や階段だ。国内観光でもある程度はそうだろう。しかし、昔訪れた、フランスのモンサンミッシェルの階段の多さには結構参ったし、今年の夏のイタリアのポンペイ遺跡もかなり歩き続けたものだ。これから老いていく一方の私は、まだ足腰が元気なうちはできるだけ海外旅行に行きたい、国内の温泉旅行などは、もっと身体が弱ってからでいいやという方針なのである。
とはいえ、地元・群馬県(都道府県別魅力度ランキング最下位争いで逆に有名かな)の観光地にあまり行ってないので、9月の終わり頃、天気のよい週末に「上信越高原国立公園・鬼押出し園」、「嬬恋郷土資料館、鎌原観音堂」、そして「白糸の滝」を家族で半日かけて観光してきた。
「鬼押出し園」は、1783年(天明3年)の浅間山の大噴火の際の溶岩流で形成されたものだ。実は「鬼押出し園」を訪れたのは初めてではない。今からはるか40年以上前の高校2年生のときに修学旅行で来たことをおぼろげながら覚えている。松山→信州(善光寺など)→「鬼押出し園」→東京(このとき生まれて初めて「東京」を見た) というルートだったと思う。訪れた観光地はほとんど忘れたが、善光寺と「鬼押出し園」はなぜか覚えている。全国的にはあまり知名度は高くない「鬼押出し園」を覚えていたのは、このごつごつした大きな溶岩の大きさ、多さが十代の心に強く印象に残っていたからだろう。
「嬬恋郷土資料館」には、この浅間山大噴火に起因する「土石なだれ」によって埋没した鎌原(かんばら)村から発掘された品々が展示されていた。その中に、この夏にポンペイ遺跡で見たものとそっくりの噴火犠牲者の人型があったので驚いたが、レプリカと知って(当たり前か)納得した。
「鎌原観音堂」は、大噴火で埋まった鎌原村でわずかに生き残った人の多くがこの観音堂の逃れて助かったことから、現在は、厄除け観音として崇められているという。
最後に訪れたのは「白糸の滝」。全国的には、花の都静岡のほうがはるかに有名らしい。しかし、群馬の「白糸の滝」も侮れない。広大な「鬼押出し園」に比べかなり狭いエリアなためだろう、(もう夕刻になる時間帯なのに)観光客が「鬼押出し園」より込んでいる印象だった。私らのような親子の家族連れは少なく、若者集団や若いカップルが圧倒的に多かった。もっと驚いたのは、中国人と思われる外国人観光客グループがバスに乗って大挙訪れていたことだ。へぇ~、外国人観光スポットになっているんだとびっくりしてしまった。まぁ、確かに、ここの滝や川は小さいけど美しい。