・・・・・・・・・・・・・河辺啓二のスポーツ論(6)
まさかまさかであった。私が15歳~18歳の青春期を過ごした松山東高校が、春の選抜高校野球で「二十一世紀枠」で甲子園出場、しかも1回戦に東京代表チーム・二松学舎に勝ってしまった。
私の在学中は、夏の高校野球地区大会の試合の応援に全員行かされ、応援団員の指示で応援したものだ。1回戦当たりは勝っても、2回戦で負けるのがフツーだったような記憶がある。当時強かったのは、松山商業や今治西(今回も甲子園出場していた)だった。
松山商業と松山東は近隣のこともあり、戦後混乱期の昭和25年夏には、両校が統合した「松山東」で全国優勝している。したがって、この優勝は、今でも松山商業の全国優勝の回数にカウントされているとともに、現・松山東も1回全国優勝したことになっている。
同窓生から応援バスツアーのお誘いもあったが、休診するわけにもいかず、参加しなかった。1回戦は平日の昼間だったが、仕事があたったため、テレビ観戦すらせず、夕方~夜、ニュースなどで結果を知った。印象的なのは、一塁線ファールになりそうな緩いゴロがフェアとなって相手チームを狼狽させたシーン。勝利―幸運の女神が松山東に微笑んだ瞬間だろう。勝負は時の運とはこのことかもしれない。
二回戦の対北海道・東海大四は土曜の午後だったので、診療後テレビ観戦ができた。野球の試合を全部観たなんて、何年ぶり、いや何十年ぶりのことだろう。
前半2点リードを保っていたので、こりゃひょっとしてまた勝つのでは、と思ったものだ。ただ、中盤、松山東の打線の攻撃があまりに淡泊、三者凡退を繰り返し、いわゆる「中押し」がないのが痛かった。ただ、この相手チームが最終的には準優勝したことから、東海大四のエースは、やはり、簡単には打てるわけない投手なのだ。
いずれにせよ、170cmという野球選手としては小柄なエース・亀岡君、ホームランを打った、主将で捕手の大きな米田君をはじめ後輩諸君、ようやったの(伊予弁)。昨年準優勝だった、夏の愛媛大会で頂点に立つ可能性は高い。