・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(4)
〈大震災直前の楽しみごと〉
あの「3.11」以後、「それどころではない」生活、心理状態が続く。実は、大震災直前の、2月26日(土曜)にダリル・ホール&ジョン・オーツのコンサート(日本武道館)、3月6日(日曜)にイーグルスのコンサート(東京ドーム)を楽しんだ。その5日後にあのとてつもないことが起こるとは・・・。
〈ダリル・ホール&ジョン・オーツ〉
ホールは1948年生まれ、オーツは1949年生まれというから60歳代になっている。もともと、オーツのほうは、リードボーカル曲が少なく、存在感が小さく容姿的にも目立たなかったためか、昔とあまり変わってないように見えた。ホールのほうは、あの甲(かん)高い声はおおむね健在だったが、外見は、若い頃のリーゼント頭で細面のヤンチャなニイちゃんのイメージが激変し、ふくよかな顔したオジサンになっていた。
何もヒット曲=名曲とは限らないが、全米第1位の曲がいくつあるかが、大物アーチストかどうか見極めるいちおう客観的な指標だと考えてよいだろう。
彼らは、アルバムでこそ第1位がないが、シングルでは、なんと6曲もある。
以下に、それら有名曲を列記する。
1977年 Rich Girl
1981年 Kiss On My List
Private Eyes
I Can't Go For That (No Can Do)
1982年 Maneater
1984年 Out Of Touch
他にも第2位や第3位の曲もあるし、1985年にポール・ヤングがカバーして全米1位になった Everytime You Go Away は、彼らがオリジナルだ。
まぁ、彼らの全盛期は、1980年代前半だろう。当時役人時代前期だった私にとって、馴染みがあったのは、Kiss On My List、Private Eyes、Maneater の3曲で、その中でも最も好きなのはManeater であった。日本人全般的に言うと Private Eyes が最も親しまれている曲だろう(以前テレビCMで使われたことがあるからか)。
1980年以来これまで何度も来日してコンサートを行っているようだが、私が観たのは今回が初めてである。今回の武道館でのコンサートでは、往年のヒット曲のほとんどを披露してくれたが、トータル約100分(午後5時過ぎ~6時40分頃)とやや短い気がした。でも、聞きたい曲はすべて聴けたし、まぁ満足。
〈イーグルス〉
オリジナルメンバーのドン・ヘンリーは1947年生まれ、同じくグレン・フライは1948年生まれというから、こちらも60歳代になっている。解散期も含めると40年もやっているためか、シカゴのようにメンバーチェンジが頻回にある。しかし、メンバーの年齢幅の大きいシカゴと異なり、過去メンバーも現在のメンバーも、皆1946年~48年生まれと同年代に固めている。
こちらも、全米1位を見てみる。アルバムで5枚も、ベスト盤も含めると6枚もあるのには驚く。
1975年 『呪われた夜』
One Of These Nights
1976年 『ホテル・カリフォルニア』
Hotel California
1979年 『ロング・ラン』
The Long Run
1994年 『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』
Hell Freezes Over
--- 再結成アルバム
2007年 『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』
Long Road Out Of Eden
1976年 『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』
Their Greatest Hits 1971-1975
シングルでの第1位は、以下の5曲で、その数ではホール&オーツと拮抗している。
1974年 The Best Of My Love
1975年 One Of These Nights
1976年 New Kid In Town
1977年 Hotel California
1979年 Heartache Tonight
日本人に馴染みの強いTake It Easy(あるテレビ番組で使用されていたようだ)は、最初のシングルヒット(1972年)だが、全米12位止まりであった。もっと意外なことは、Hotel Californiaに次ぐくらい親しまれる名曲Desperado「ならず者」(1973年の曲で、カーペンターズから平井堅に至るまで幅広いミュージシャンによってカバーされている)が、同タイトルアルバムが全米41位止まりで、更にはシングルカットされていないということである。ビートルズでいえば、リンゴがリードボーカルの凡庸なシングル盤 Act NaturallyのB面だったYesterdayを思い出す。
さて、震災5日前の3月6日のコンサートであるが、午後5時過ぎから始まり、6時過ぎにいったんブレイク。15分ほど経って再開し、終了したのは、8時過ぎであった。なんと3時間以上にも及ぶ長時間コンサートであった。日本人アーチストでは小椋佳やアリスで長時間コンサートを経験したことがあるが、外国人アーチストでこんな長いコンサートは初めてであった。サービス精神旺盛なポール・マッカートニーやローリング・ストーンズでも2時間強だったと思う。
彼らは60歳代とはいえ、歌声、演奏ともに、1970年代の全盛期とあまり変わらないものがあった。こんな大物グループの素晴らしいコンサートなのに、東京ドームの観客席が一杯になっていないことが残念だった。ポールやストーンズのときほど観客が多くなかった。私は行っていないが、ボン・ジョヴィでも東京ドームの席はお客で満杯だったとか。
〈震災後の大物アーチスト来日は?〉
イメージ的には、ホール&オーツより古いイーグルスだが、実は両グループとも同年代であった。前者が1980年代にヒットを連発したのに対し、後者は1970年代が全盛期だったからそういうイメージになってしまったようだ。というか、イーグルスもビートルズもストーンズもサイモン&ガーファンクルも、みな、名曲・ヒット曲を連発したのは20歳代であった。ところが、ホール&オーツは、結成こそ20歳くらいだったが、Kiss On My List以後の大ヒット曲量産態勢になったのは30歳を過ぎてからであった。
私は幸運であった。なぜなら、もし、あの震災がもう少し早く起きていたら、これらのコンサートは中止となっていたに違いないから。震災当日の3月11日に来日したシンディ・ローパーは、予定どおりコンサートを行い、会場で被災者支援の義援金を募った。彼女は日本での評価を上げた。
しかし、それ以後、有名外国ミュージシャンが来日したという話が聞かれない。「フクシマ」(東電福島第一原発からの放射線漏れのこと)が原因だろう。やっと9月にTOTOが来日するという話を聞いたところだ。