・・・・・・・・・・・・・東日本大震災(8)
〈東日本大震災の衝撃〉
私たち日本人は、約70年に1回、従来の価値観、人生観を変えてしまうような「大事件」「大変革」を経験するものなのだろう。1868年前後の明治維新、1940年代前半の太平洋戦争、そして今回の大地震・大津波・原発事故だ。戦後、オイルショック、バブル景気、阪神淡路大震災、リーマンショックなど、何度となく大きな局面に対峙してきた日本であるが、今回のことは、明治維新や太平洋戦争に匹敵するほど社稷を揺るがすものだ。被災者以外の多くの日本人にとっても、身内の死亡など個人的なことは別として、人生上最大のショックではないだろうか。
「世界一清潔で好かれる国」から、わずか一か月で「放射能汚染大国の嫌われ者国家」へ転落した感が否めない。国際的信頼を失墜した日本は、震災からの復旧・復興とともに、その回復に向け、戦後の焦土から奇跡的復興を遂げた時代のように、真摯な国民性、勤勉性を取り戻し、国民が一丸となって努力していかなければならない。
〈「脱官僚」で政権を得た民主党〉
「霞が関の官僚は、勉強はできてもバカばっかり」
菅直人首相が首相になる前、言い放っていた言葉だ。確かに「学校の勉強」と「頭のよさ」は似て非なるものであることは理解できる。
その首相が、「脱官僚」ばかりでは二進も三進も行かなくなり、「皆さんに協力していただきたい」などと徐々に官僚に擦り寄るようになってきた。そうこうしているうちに「3.11」が起きた。
民主党は「脱官僚」を旗印に、一昨年、国民の圧倒的な支持を得て政権の座についた。自民党政権時代の政治は官僚主導だと断じ、政治家中心の政治主導を実現するための改革を進めた。明治時代から続く事務次官会議を官僚支配の象徴だとして廃止し、政務三役と称して一府省当たり三人以上(大臣、副大臣、政務官)の国会議員を各府省に送り出し、「政治主導」をアピールしてきた。
〈過度の官僚排除が招いた悲劇〉
しかし、事務次官会議の廃止で首相官邸と各省庁との連携が悪くなったことは否めない事実だ。この事務次官会議に代わる新しい仕組みができないまま、大震災に直面してしまった。政権についてまだ二年も経たないうちに、戦後最大の国家的危機を迎えるとは不運であるかもしれないが、そのあまりに稚拙な対応ぶりに多くの国民が憤慨し失望している。 (「歴史」にifはつきものだが、もし、自民党政権のときに「3.11」が起こっていたらどうだっただろう。
毎年首相が代わった自民党政権末期の際ならば、現首相と同様、強力なリーダーシップは望めなかったに違いない。しかし、当時は、事務次官会議が機能しており、今よりは各省庁の連携がとれていたため、少なくとも、もっとマシな対策ができていただろう。)
官僚の排除に拘り過ぎて対応が後手に回ってしまった結果の一つが、原発事故の放射能汚染拡大という大惨事であると言っても過言ではない。
民主党内閣が官僚を過度に排除してきたために、どの組織にどんな装備・人材があるかといった情報を把握できていなかった。政府内に入って来る政治家は同じ省庁に長くはいない。しかし、官僚はその省庁で何年もいて、その業務に精通しているし、他の省庁とも縄張り争いはするものの、それなりの連携ができている(例えば、現地で獅子奮迅の活躍をしてくれている自衛隊・警察・消防も、広義の官僚組織に含まれるものである)。今回の被災対策や原発事故対策で、この優れた官僚組織が有効に活用されていたとは思われない。
〈各府省連絡会議で官僚活用を〉
民主党は、過度の官僚排除が招いた惨劇を反省すべきである。今後は、震災後開催されるようになった、事務次官会議の復活とも言われる各府省連絡会議を、政治と行政の隙間を埋めるとともに府省間の連携の緊密化を図る恒常的な場とする必要がある。そして、「政治主導」で萎縮したといわれる官僚たちの士気を高め、その能力を有効に活用することが肝要である。例えば、今回の国家的危機には、災害対策基本法、激甚災害法、原子力災害対策特別措置法など既存の法律だけで対処することは困難であるため、復興基本法など複数の特別立法の早期公布施行が望まれるが、そのために、立法技術に長けた官僚たちを存分に活用することが期待される。
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以上の内容を修正して、2011年5月15日付け愛媛新聞「道標」に掲載しました。
実際の記事は、別コーナー「愛媛新聞「道標」」に載せております。