・・・・・・・・・・・河辺啓二の映画論(1)
〈「少年時代の夢」と聞いて思うもの〉
先日、映画「RAILWAYS」を観た。東京の大企業のエリートサラリーマンだった主人公が、49歳のとき、親友の事故死や故郷島根の実母の末期癌罹患を機に、会社を辞め、少年の時からの「夢」を実現すべく、地元の鉄道会社に運転士として就職する物語だ。
私としては、おもしろかったと思う(DVDで観た「アバター」よりよかった)。私の名前「啓二」の由来、往年の人気スター「佐田啓二」の息子:中井貴一が主役を好演(同じ実年齢)していた。中井貴一といえば、昨年TVドラマ「風のガーデン」で、主役の末期癌の麻酔医を見事に演じていたことが思い出される。
映画の中で、ほとんどが20歳代と思われる若者の中で50歳目前のオジサンが奮闘している研修の様子が描かれていた。33歳で医学部入学・39歳で研修医の道を辿った私は、自分と重ね合わさずにはいられない気持ちになったものだ。
この主人公は、少年時代、電車の運転手になるのが夢だった。私はどうだっただろう。四国の山の中で、大した夢も抱かないまま成長してしまった。しいていえば、「漫画家」か。官僚や医師という職業に憧れを持ったのは、純真な少年時代を過ぎた高校・大学時代の頃からではなかっただろうか。
〈私の「少年時代の夢」は実現ならず・・・〉
「漫画家」といえば、今、朝のNHK連ドラ「ゲゲゲの女房」がおもしろい。昔はタイマー代わりに毎朝観ていたNHK朝ドラを、最近は、おもしろそうにないため観ていなかった。その習慣が、数年ぶりにこの「ゲゲゲ」で復活した。自分が少年だった昭和30年代、40年代のお話は、ほのぼのという感じが湧き起こしてくれる。
ただ、「貸本屋」という仕組み・言葉は、馴染みがない。昭和40年頃は、既に普通の本屋で漫画週刊誌「サンデー」「マガジン」、漫画月刊誌「ぼくら」「冒険王」など(月刊誌は付録が楽しみだった)を買って読んでいた記憶がある。もちろん、私の生まれ育った村に本屋などあるはずもなく、隣町まで行って買って来てもらっていた。「貸本屋」については全くの?なのだ。東京など大都会のみで行われていたものなのだろうか。
〔ここで、「貸本漫画」で検索してみると「貸本漫画のページ」というホームページがあり、次のような解説があった。
・・・・昔は今と違い、一般的な家庭では、子供が漫画本を買えるほどの余裕はそうなかったので、貸本屋というのがありました。ちょうど今でもCDやビデオが高いのでレンタルで借りる人が多いのと同じです。
1960年代で漫画単行本一冊の値段が220-240円。当時の1円=現在の10円の価値と概算してみると、漫画本一冊が2000円台。皆さんは、もしお気に入りの漫画本一冊がCDアルバム一枚と同じ定価だったら、どうしますか?
でも貸本屋だと、当時は一泊二日で10円とリーズナブル。貸本屋は大繁盛しました。
貸本屋に多く置かれていたのが、貸本向けの書き下ろし漫画(これを「貸本漫画」と呼びます)。これ専門の出版社や漫画家もたくさんありました。
しかし1960年代後半から70年代に入ると、日本も高度成長によって豊かになり、子供も漫画本を購入できる余裕ができてきました。そのため貸本業界は急速に廃れてしまいました。
・・・・う~ん、おおむねわかった。〕
「漫画家」の夢は、19歳のとき、1回めの大学入学後「漫画倶楽部」に入部して、ささやかながら漫画創作に挑戦したものの、(プロの漫画家に遠く及ばないであろう)自らの才能の乏しさに断念したものだ。
〈「少年時代の夢」を実現できる人ほど幸せ者はいない〉
私だって、やりたい職業を2つも実現できたのだから幸せ者に違いない。だが、漫画家をはじめとして、画家、作家、作曲家、プロ音楽奏者、歌手、役者、タレント・芸人、プロスポーツ選手など、「本当に好きなこと」で生計が立てられる人たちは、日本の全就業人口の中での割合はとても低いと思われるが、とてつもなく幸せな人たちだと思う。成功している彼らは、生まれもった才能と大変な努力でこれまで歩んで来たのだ。