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バンド「Chicago」の特異性

2010.04.19

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・・・・・・・・・・・河辺啓二の音楽論(3)

〈私たちのCBS〉

私が高校生だった1970年代前半、CBSソニーのCBSといえば、当時「ニューロック」と言われたChicagoとBlood,Sweat&TearsとSantanaの三大ロックバンドだった。ちょうど1960年代を席巻したBeatlesが解散し、「明日に架ける橋」で70年に頂点に立ったSimon&Garfunkelも解散した直後くらいの時期である。(ちなみに当時の私個人の趣味でのCBSは、CarpentersとBeatles(BeeGeesも含めて)とSimon&Garfunkelであった。)

高校の友達とBlood,Sweat&Tearsの「スピニングホイール Spinning Wheel」、Santanaの「ブラックマジックウーマン Black Magic Woman」などのヒット曲を聴いていた。

それらと並んで聞いたのがChicagoの「長い夜 25 or 6 to 4」だった。当時聞いた曲で記憶があるChicagoといえば、ほかに「クエスチョンズ67/68」くらいだろうか。特にアルバムを買うほどでなく、古レコード屋で「長い夜」と「流血の日」(←後者は記憶が定かでない)のシングル盤を買ったと思う。


〈Chicagoとの「再会」〉

以後40年近く、Chicagoを聴くことはほとんどなかった。1982年頃大ヒットした「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry」でさえもぼんやりとした記憶しかない(当時超多忙な官僚だったため音楽を聴く余裕がなかったためかもしれない)。

途中唯一買ったシングルCDがある。1997年当時観ていたTVドラマ「シングルス」の主題歌「ムーンライト・セレナーデ」である。Chicagoのオリジナルではないが、見事に歌い、演奏している。あとは、ごくマレにカラオケで「長い夜」を歌ったくらいかなぁ。
それが今Chicagoにハマッている。きっかけは、2月に東京国際フォーラムで行われた「Chicago Japan Tour 2009」コンサートを観てからである。2009年9月来日の予定だったものが、主要メンバーのロバート・ラムの怪我のため延期されて今回実現したものである。

上記「ムーンライト・セレナーデ」で述べたとおり、彼らは実に歌も演奏もうまい。バンド結成当時のオリジナルメンバーは、ロバート・ラム(ピアノ、ボーカル)と金管楽器の3人の計4人しかいない。彼ら4人は60歳代半ばという高齢だが、衰えを感じさせないのだ。


〈Chicagoのユニークさ;他グループとの比較〉

Beatlesは、1962年~70年の活動の後、分解してしまった。ごく初期にピート・ベストの解雇など、メンバーチェンジがあったが、世にBeatlesとして出てからは、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの「固定メンツ」でとおし、最後は仲違いし、別れてしまった。

Rolling Stones は、Chicagoよりやや早い1960年代前半に誕生(Chicagoの結成は1967年)以来、やはり現在進行形のいわば「怪物」バンドだ。デビューして間もない頃、人気メンバーのブライアン・ジョーンズが急死(変死)している。以後、名実ともにトップのロックバンドとして(ミック・ジャガーのほぼ「ワンマンバンド」として)ヒット曲を連発した。40年以上解散もしないでいるが、「軽量」のメンバー脱退・加入は行われている。現行のオリジナルメンバーは、ボーカルのミックとギターのキース・リチャード、そしてドラムのチャーリー・ワッツの3人だ。なぜBeatlesは(グループとして)短命で Rolling Stones は長寿なのか。答えは簡単だ。ジョンとポールという両雄を抱えるBeatlesと違い、Stonesは、既述のとおりミック・ジャガーの「ワンマンバンド」だからだ。曲作りは、ミックとキースの共同作業と言われているが、ほぼ全部の曲のリードボーカルがミックなのだ。つまり、Stonesの人気の9割は、ミックの歌声・ステージパフォーマンスによるものと言っても過言ではないだろう。

Simon&Garfunkelも1960年代から70年まで活動し、やはり70年に二人の仲違いにより解散した。名曲作りの天才・サイモンと美声のガーファンクルがそれぞれの道を歩むことになったが、以後、ときおり再結成して来日も果たしている。

きょうだいグループその1・Carpentersは、ボーカルのカレンの死(拒食症)によって終了した。きょうだいグループその2・BeeGeesは、途中、ロビンの脱退・復帰を経て「Saturday Night Fever」の大ブレイクがあったが、2003年にモーリスの死亡(腸閉塞だったらしい)により、実質的に解散終了した形となった。


〈Chicagoのユニークさとは?;あたかも「新陳代謝」〉

以上、私の好きなグループについてばかり述べた。主要メンバーの仲違いか死亡が原因で解散しているもの以外、グループとして生き残っているのは、ミック・ワンマンバンドのStonesのみだ。

Chicagoがユニークなのは、主要メンバーの死亡(リードギターとボーカル担当のテリー・キャス。なんと拳銃の暴発で弱冠31歳で亡くなった!)もあったが、メンバーの入れ替わりが多く、何度も「部分的若返り」が行われていることだ。ここまではStonesにも当てはまりそうだが、Stonesと決定的に違うことはワンマンバンドでないことだ。曲によってリードボーカルを取るメンバーが3人~4人もいるし、バックコーラスとなると、ドラム以外全員が歌える(しかもうまい)。死亡又は脱退したメンバーには「後釜」がオーディション等で選ばれる。「後釜」は「前任者の業務」を原則としてそのまま引き継ぐ。担当する楽器はもちろんだが、「前任者」がリードボーカルの曲は、自分がリードボーカルで歌う。

その最たる例が、ベースのジェイソン・シェフだ。キーボード担当のロバート・ラムが曲作り・歌唱ともにリードしていた初期(ただし、「長い夜」「クエスチョンズ67/68」のようにロバート作曲でもキーが高い曲は、ベースのピーター・セテラがリードボーカルを担当していた)を経て、「愛ある別れ If You Leave Me Now(1976年)」「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry(1982年)」といった全米ナンバーワンヒットを作曲し歌った、ベースのピーター・セテラが「Voice of Chicago」と称される頃、ピーターは脱退する(1985年)。その「後釜」がジェイソン・シェフだ。ピーター脱退後、コンサートで看板曲「長い夜」「素直になれなくて」といえば、ジェイソンが歌っている。甲高い声はピーターを彷彿させる。このように「後任者」はどうも声質の似たミュージシャンが選ばれるようだ。更におもしろいのは、Chicago脱退後ソロ活動を続けるピーターは、自らのコンサートで、これらChicago時代の持ち歌を披露するという。来日することもあるらしいので、今度機会があったら、ピーターのコンサートに行ってみたいと思っている。

〔ところで、ベース演奏者が曲を作り甲高い声で歌うというと、Beatlesのポール・マッカートニーが連想される。ポール、ピーター、ジェイソンに共通して言えるのは、低い音のベース演奏者が、キーの高い声でリードボーカルを務めるということだ。〕


〈Chicagoの音楽の継続性〉

このように、Chicagoは、いなくなったメンバーの担当した曲を「引き継いで」見事に歌い上げてくれるのだ。オリジナルメンバーの4人が、

●ロバート・ラム(ボーカルとピアノ担当。現在65歳。彼がリードボーカルで有名な曲といえば「サタデイ・イン・ザ・パーク Saturday in the Park」)

●ジェイムス・パンコウ(トロンボーン担当。現在62歳。口を使う楽器担当ゆえか、リードボーカルの曲はないが、実は最も多くの曲を書いている。2月の日本でのコンサートでは、日本語で挨拶するというサービスを披露してくれた。)

●リー・ロックネイン(トランペット担当。現在63歳。コンサートで、トランペットという楽器ゆえか、真顔で演奏する様子が印象的。今回の来日コンサートではすっかり白髪姿だった。)

●ウォルター・パラゼイダー(サックスとフルート担当。現在65歳。バンド創設の中心人物だったらしい。残念ながら、どういう理由か、今回の来日コンサートには代理が来ていたようだ。)
と、グループの平均年齢を上げているのに対し、ベースとボーカルのジェイソン・シェフは47歳、リードギターのキース・ハラウンドは45歳と比較的若手である。40歳代から60歳代の20歳もの年の差バンドというのも、おもしろい。

もう1人、主要メンバーの、いや主要メンバーだったビル・チャンプリン(チャップリンでない)のことも触れておきたい。彼は、1981年、途中加入したメンバーだが、作曲はしないものの、キーボードやギターを担当しながらも、その独特のshoutするガラガラ声が非常に印象的なシンガーである。彼のボーカル曲「ルック アウェイ Look Away」は、1988年の全米年間シングル・チャートのナンバーワンヒットになったほどだ。しかし、ちょうど、2009年9月の来日コンサート直前に、28年間も在籍したChicagoを脱退し、もとのソロ活動に戻ってしまった。理由は不明だ。来日の延期はロバートの怪我とされるが、こちらのほうが主因ではないかと、私は勘ぐっている(「後任」選びで時間がかかった?)。果たして、本年2月の来日コンサートでは、彼の「後任」がやはりダミ声で歌っていたようだ。


〈Chicagoの音楽といえばブラス〉

確かにChicagoの特徴は、BeatlesやStonesのような、ボーカル・ギター・ベース・ドラムというバンド基本形に加え、トランペット・トロンボーン・サックスという金管楽器(ブラスセクション)がおおむね常に演奏に加わっていることだ。

Beatlesにも「Got to Get into my Life」のようにブラスを前面に出した曲もいくつかはある(特に中期)が、外部ミュージシャンに参加してもらったものだ。ちなみに「Got to Get into my Life 」は、Beatles回顧のアルバム作成企画の際に、Chicagoはこの曲を演奏しないかと打診されるも断ったらしい。そして代わりに演奏したのが、Earth,Wind&Fireというわけだ。当然の如く、Earthの「Got to Get into my Life 」はヒットし、いまや彼らの代表曲の1つになっている。

Stonesも、Beatlesにインスパイアされたのか、一時ブラスを多用した時期(1960年代後期。アルバム「Their Satanic Majesties Request」など)があった。それとは別に、印象的なStonesのブラスサウンドといえば、ローリングスートン・レーベルで初めてリリースしたアルバム「Sticky Fingers」からのシングルヒット曲「ブラウンシュガー Brown Sugar」の間奏で登場するサックスの荒々しいサウンドだ。もちろん外部からの「非常勤メンバー」によるものだが、来日コンサートの際にも必ず披露してくれる。

そういう意味(ブラス奏者が「常勤メンバー」)で、Chicagoに似るのが、Blood,Sweat.&Tearsであり、Earth,Wind&Fireである。EarthとChicagoは「仲良し」で、アメリカでは、たびたび一緒にコンサートを行っている。どちらも好きな私は、是非観たいコンサートなのだが、日本では実現困難なようだ。DVDで両者が一緒にしているものがあり、それを観て、自分を満足させている。


〈飽きさせないChicagoの音楽〉

Chicagoファンなら誰しも知っていることだが、初期のブラス色満載の「長い夜 25 or 6 to 4」等のヒット曲から、「愛ある別れ If You Leave Me Now」「素直になれなくて Hard to Say I‘m Sorry」といった大ヒット・バラードへの転換により、ピアノやギターのサウンドが前面に出てブラスは後退した印象だ。

Beatlesは、たった7年間で、シンプルなエレキ・ロックバンド・サウンドから始まり、古典楽器サウンド(「Yesterday」など)、ブラスサウンド(前述)、インド楽器サウンド(「Norwegian Wood」など)、ピアノサウンド(「Let it be」など)と変化・進化してファンの耳を楽しませてくれた。やはり、何年も同じようなサウンドでは、ファンは飽きるものだ。

Chicagoも、数十年かけてサウンドを変化させ、われわれファンを飽きさせないでいてくれる。