・・・・・・・・河辺啓二の政治・行政論(2)
〈「事業仕分け」ってなんだ?〉
新政権の行政刷新会議の事業仕分けで医師が処方する医療漢方薬を「公的医療保険の適用外」とする方向で結論が出た。当然、これに対し日本東洋医学会などから猛反発が噴出している。
新政府は、行政刷新会議、国家戦略室などと、一見カッコいいネーミングを呈しているが、「刷新」はともかく「戦略」とは恐れ入った。もちろん、warの意味でなく、strategy、tacticsの和訳から来ているのだろうが、「戦」の字が入っていることに違和感を抱く人が多いのではないか。日本の軍事情勢に過剰反応しがちな、漢字本国の中国あたりから、何のリアクションがないのが不思議に思える。今のところ、依然として、国家戦略室トップの菅直人大臣らは、なりを潜めているが・・・。
一方の「刷新」のほうは、この事業仕分けで、連日のように、テレビ、新聞等で報道されている。報道されている内容を見聞きするに、民主党国会議員をはじめとする「仕分け人」たちの無知と横暴さにはあきれてしまう。
〈教育や科学に費用効果原理を持ち込む愚かさ〉
科学の「か」も知らないような、例えばフラスコや試験管も触ったこともないようなド素人が科学技術予算を容赦なく削減していく。ノーベル化学賞の野依先生の「歴史という法廷に立つ覚悟はあるのか」という言葉は、見事だ。「歴史という法廷」という(われわれ凡人が思いつかないような)言葉が出るとは、さすがはノーベル賞科学者だ。我が国が、曲がりなりにも世界の先進国の一員であるのは、広くはない国土、乏しい天然資源の中で、優れた科学技術を駆使し、国民が勤勉に働いてきたからではないか。自然科学の研究に収益性なんか求めるバカ国会議員を選出したわれわれ国民も悪いのだが。
〔野依先生がかような名言を吐いたが、オールドロックンローラー内田裕也もいいこと言った。彼は、行政刷新会議の事業仕分け最終日となった27日、当会場を見学に訪れた。“ロック界代表”として傍聴し「自分らの給料下げろっていうんだよ」など“裕也節”を全開した。たしかに、国会議員には、一人当たりなんと年間3400万円以上もの歳費が税金で支払われている。内田氏の言うように一人百万円でも削れば、全体で何億円もの「人件費」が浮くことになる。この発言に拍手喝采した国民は多いのではないか。〕
教育も同様に費用効果が見えにくい。「高校授業料無償化」よりやらなきゃいけないことが山ほどあるのではないか。私が農林水産省OBなので農業予算を庇う気持ちがあるわけではないが、農業も、収益性にはなじみにくい面があることを理解してもらいたいものだ。更に言うと、医療・介護・福祉も収益性うんぬんの議論になじまないことは当然なのだが・・・。
〈外務省の在外公館予算見直しは評価できる〉
事業仕分けの会場が、印刷局の体育館というのが、いかにも国民ウケを狙ったような気がする。まるで、村民か町民の集会場のようだ。ホテルといったおカネのかかる場所ではないですよ、という新政権の精一杯のアピールなのだろう。ただ、テレビ放映の際、注意して見てみると、事業仕分け人のおエラ方だけ立派なソファーチアーに座り、叩かれ役の官僚たちは折りたたみ式の簡易椅子に座っていることがわかる。まぁ、ロコツなものですなぁ。
あほらしい結論の多い事業仕分けだが、一つ賛同するものがあった。外務省関連予算だ。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも糾弾した在外公館の贅沢な予算にチェックが入ったのだ。自民党政権下では、手をつけられなかったものだ。外国のことはよくわからないというのがオモテ向きの理由だが、なんのことはない、在外公館とは、自民党のセンセイ方が「海外視察」の名目で外国を訪れた際の「国立交通公社」、しかも、全額税金でまかなう、無料の旅行サービス社なのだ。政治家たちへの接待は、泊まりたいホテルの部屋、行きたいレストラン、乗りたい特急車のお世話に加えて、更には高級売春婦の斡旋までさせられていたようだ。さて、民主党政権下、このような多くの国民が知らない破廉恥な「事業」は消失したのだろうか。
〈財務官僚たちの高笑いが聞こえてくる〉
「負け組3省」という言葉がある。新政権で叩かれる3省庁のことで、私の古巣・農林水産省と公共事業の総本山・国土交通省、そして最大予算を抱える厚生労働省だ。そのとおり、これら3省は大負けしているが、ひとり勝ち組で我が世の春を謳歌している省庁がある。財務省だ。政権を初めて奪取し、与党経験のない、民主党にとって、すべての省庁を「敵」にするのは、得策ではない。そこで、「省庁の中の省庁」財務省を取り込み、タッグを組むこととした(財務省大物OBの「天下り」を特別扱いで容認しているしね)。
財務省は、なにしろ、国税徴収権と国家予算編成権を持つため、他の省庁とは全く別格だ。そのことで、一般省庁(その他大勢の一つ)・農水省にいた私は、官僚時代、当時の大蔵省に強い劣等感と憎悪を抱いたものだ。(財務省別格論は、私と同様、東大理系出身で、私と同じ年に同じ「経済職」で大蔵省に入省した高橋洋一氏も、著書の中でよく述べている。最近においては、彼は「『国家戦略室』や『行政刷新会議』も財務官僚に占拠された」と表現している。)
霞が関の全省庁の予算査定をする財務省であるから、主計局の各担当者は各省庁の事業内容にもかなり精通している。主計局の中に、「農林係」「公共事業係」などと省庁別に主計官、主査が分かれており、いつでも他省庁の担当者を呼びつけて情報を得ることができる。拙著『政治家がアホやから役人やめた』でも述べたが、主計局の係長クラスが他省庁の課長補佐・課長クラスを平気で呼びつける。私は見たことがないが、机の上に脚をのせたまま、対面する他省庁の官僚にお説教をする尊大な大蔵官僚もいたらしい。
〈「現場」を知らない政治家・官僚に、政治・行政をすべて任せていいのか〉
今回の漢方薬保険除外論も、財務省のシナリオどおりであることは明白だ。昔から、漢方薬、湿布薬、うがい薬、ビタミン剤は、「保険から除外せよ」と一部から言われ続けてきた。しかし、保険適用が継続してきたのは、業界の反論だけでなく、それなりの理屈があったからであろう。バイアグラやプロペシアに保険が適用されないのは納得するが、これらの薬剤は、保険診療の埒(らち)内にして整合性がとれるものだ。
要するに、医療現場を全く知らない財務官僚と民主党議員の戯れ言だ、と言いたい。まぁ、厚生労働官僚も医療現場を知らなさ過ぎて困るのだが。
医療だけではない。教育も、農業も、とにかく「現場」に疎い官僚・政治家が、世の中を動かしている・・・。
そこで、私は提言する。政治家は選挙の洗礼を受けるのでしかたないとして、行政官は、ある一定割合以上の人が「現場」経験者でなければならないとする制度はできないものか。厚生労働省なら、臨床医や介護福祉士、農林水産省なら、農業者や漁師、国土交通省なら、トラック運転手や建設現場担当者とか・・・。