官僚の質低下と「ブラック霞が関」
一昨年の東大入試で、文科一類(法学部)の合格最低点が文科二類(経済学部)より下回ったと一部メディアで話題になったが、今年は文科三類(文学部等)にも抜かれ、文系最下位、つまり法学部が東大文系で最も入りやすい学部となってしまった(「東大法学部の凋落」と揶揄される)。かつては、法学部卒業生といえば、殆どが法曹界、官界、金融界に進んだものだが、それらの職業の魅力が低下したことが主因だろう。特に官僚人気の低下が甚だしいことは、昔と今の国家公務員試験の競争率を比べれば明白だ。
大学生の官僚人気の低下―霞が関離れ―ばかりか、現役の若手官僚たちの中でも、霞が関離れ、つまり中途退職が目立ってきている。過酷な長時間勤務とそれに見合わない報酬という劣悪な労働条件や、官僚としての士気が維持できなくなるような、政治家への忖度業務、そして官僚に対するマスコミの風当たりや国民からのバッシング(昨今の総務省等接待に鑑みれば当然だろうが)などが理由であろう。若手がどんどん辞めていくような職場に大学生が魅力を感じるわけがない。
私は、まだ官僚が世間でバッシングを受けていない1980年代の約10年間、キャリア事務官として霞が関で働いた。国会対応、予算要求、法令制定作業等で深夜まで残業が当たり前(ときに休日出勤)の生活を送っていた。ひどいときは、一か月の超過勤務が200時間を超え、しかもその手当は僅か5万円であった。当時は「ブラック企業」という言葉はなかったが、最近言われている「ブラック霞が関」はこのように昔から存在し、そして現存することは、コロナ対応で過酷な残業を強いられている担当部署の状況から明らかである。
私は33歳の課長補佐のとき辞職したが、その頃は今ほど若手で辞める人は多くはなかった。退職の日、「みんな、よくこんな酷い(ブラック)仕事場でがんばれるなぁ」と思っていたら、案の定、若手官僚の辞職者が増えてきた。
官僚には独創性・創造性など要求されない。決められたことを、正確に、なるべく敏速に遂行する能力が求められる。だから、中学や高校でのお勉強=英数国理社がよくできる人間が、大学入試や国家試験に強くなり、官僚向きとなるのだ。官僚人気の低下に伴い、その官僚の質=事務処理能力が低下してきている傍証として国会提出法令案の条文ミスの増加が挙げられる。私が官僚だった頃、こんなミスがあった記憶がない。まさに官僚たる仕事であるだけにあり得ないことだと感じる。
官僚たちが政治家に忖度することは私の官僚時代からあったが、近年は首相官邸の権限があまりに強大化し、各省庁の官僚たちは官邸にひれ伏し萎縮しているように見えてならない。
政府は、首相官邸が官僚人事を牛耳ることよりも、官僚の質やマンパワーを維持しなければ早晩国力低下を招きかねないことに鑑み、中途退職者を減らすような措置を講じるべきだ。たとえば、薄給の若手官僚(係員・係長・ヒラの課長補佐等)の給与を上げること。薄給ゆえに、辞職することに未練は生じないものだ。予算的に厳しければ、多少恵まれている幹部官僚(課長・審議官・局長等)の給与を減じてその分を若手に配分すればよい。更には、超過勤務の元凶―官僚たちを深夜まで待たせるという国会対応を改善すること。「国民の公僕」たる公務員を「国会議員の下僕」と勘違いしている一部国会議員が、決められた質問通告制度を無視して役人たちを遅くまで役所に待機させるという悪習は何十年も続いている。実際「待たされる」仕事が辞職の一因の元官僚もいる。