太田市医師会通信で私見を

・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の医療論(38)

太田市医師会通信第43号(2023年10月26日付け)で私見を述べる機会があり、「官僚中退町医者の独り言」として掲載していただくこととした。

同誌から当該箇所のみをここに載せることとする。

う~ん、現物からのコピペでは読みにくい文字だとわかったので以下に原案(同じ内容)を示すこととする。

〔太田市医師会通信の原稿案〕

官僚中退町医者の独り言

私は事務系のキャリア官僚として霞が関で働いていたが、33歳のとき、農林水産省から出向していた総務庁(現総務省)人事局参事官補佐で退職し、医学部に再入学した。その後、私の同期たちは局長部長クラスまで「出世」し、関連法人等に天下りしている。課長補佐クラスで辞職した私には「官僚中退」という称号(?)がふさわしい。最近、キャリア官僚採用試験志願者の減少に加えて、30歳前後の若手官僚退職者の増加が報道されているが、当時、課長補佐で退官した私は、若手官僚退職の先駆者の一人だと自負している。

「下野」してから長い年月が経ち、末端の医療現場で20年以上町医者していると、中央の医療行政=霞が関行政のお粗末さを身にしみて感じるようになった。医師界の底辺にいる一介の町医者が偉そうなことは言えないが、「官僚中退町医者の独り言」として読んでいただければ重畳である。吠えたいことは山ほどあるが、ここでは、3つほどにとどめておく。

1.財務省が握る医療行政

〈医療行政を牛耳る財務省〉

 医療行政は極言すると、厚生労働省ではなく財務省が握っているということだ。他の多くの先進国に比べ、日本は人口当たりの医師数も医療費も少ない。なぜこんなにも医療費が抑制されるのか。かつて霞が関に10年ほど在籍した私から見れば、財務省と厚労省の力関係によるものと感じざるを得ない。国民の生活より財政支出を抑えることにしか眼中にない財務省が、予算編成権を振りかざして他省庁を抑圧する構図だ。私たちの生命・健康を担当する厚労省も、財務省にとっては「一般省庁」の一つにすぎず、財務省が今なお「官庁の中の官庁」として君臨し続けているのだ。(他省庁はフツーの山々、財務省は富士山に喩えられる)

〈財務省の霞が関支配〉

 では、なぜこんなに財務省が強いのか。財務省は、予算編成権、国税徴収権、国有財産管理(かつての大蔵省時代には金融行政も)など国家を動かす最重要権限を有し、他省庁とは全く別格である。何といっても予算編成権を握っていて、このため他省庁はひれ伏さざるを得ない。(私自身、主計局官僚の横柄さには閉口したことがある)予算編成の中枢である主計局長(稀に主税局長)から財務事務次官に昇進するのがエリート中のエリートとされている。かつての民主党政権(2009年~2012年)は、天下り禁止や事務次官会議廃止など、徹底的に官僚いじめをするも、さすがに全省庁を敵にするのはまずいと考え、財務省だけは味方に抱き込んでいたものだ。

〈政治家と財務省〉

ただ、どの政党に限らず、政治家全般に言えることは、財務省-財務官僚に一目を置いているということだ。もちろん、国家予算を握っていることもあるが、実は国税徴収権が関係しているらしい。元大蔵・財務官僚の髙橋洋一氏の著書によると、税務関係者が背中をはたけばホコリが全く出ない政治家はあまりいないらしい。(髙橋氏は、テレビで何度か共演したことがあり、同い年・同じ大学理系卒ということで勝手に私は親しいと思い上がっているが)ということで、一に国税徴収権、二に予算編成権で、国会議員のセンセイ方は財務官僚と敵対しないものなのだ。

〈薬剤不足は財務省の大失政〉

 財政均衡主義に凝り固まった財務官僚たちは、全省庁に「財政健全化」「財政再建」を連呼し、喧伝する。役人時代、「再建」といえば「財政再建」と脳に染み込まされていた私は、医学部生のときの外科学で「再建」という用語を知り、臓器も再建というんだと当初違和感を抱いたものである。

財政均衡を目指す財務官僚たちは、国会議員のセンセイ方に、いかに薬剤費等医療費が財政を悪化させているかを「教育」(洗脳)し、セイセイ方に忖度しながらも味方に引き入れ厚生労働省を締め上げていく。その顚末が、昨今の薬剤不足だ。医療費を削減しようとした後発薬剤傾倒のツケだ。ある後発品製薬会社での杜撰な製造過程の発覚を発端とし、大手後発品メーカー等、次々と不適切製造管理する会社が行政処分を受け、一部の不祥事後発品メーカー→全部の後発品メーカー→先発品メーカーとシワ寄せが拡大し、「ドミノ」式に薬剤供給不足が拡大してしまった。そもそもは、医療にかかるカネを減らしたいため、先発品をどんどん減らし、後発品薬剤のシェア拡大に驀進した政府の近視眼的施策のツケが回って来たのではないだろうか。

おかげで、我々現場医師は、常に薬局の在庫状況を確認しながら処方薬を考えなければならない余計な神経を使うことになってしまった。「処方したいクスリがない」という医療後進国に我が国をおとしめたのは、他ならぬ財務省・厚労省なのである。

 後発品問題だけではない。無節操な薬価削減で、医療に必要な折角の良薬が採算がとれず製造中止に追い込まれるケースが後を絶たない。薬剤メーカーが私企業であることを理解できない、経営無頓着な「親方日の丸」官僚たちの仕業だ。

〈経営感覚のない官僚たち〉

 そもそも、子供の頃からそこそこ裕福な家庭に育って、「お勉強」ができて、一流大学を卒業して官僚になった者が多い。「親方日の丸」にどっぷりつかり、世間一般常識が薄らぐ中、経営感覚が殆どゼロとなる。キャリア官僚たちの主流は法学部出だし、その次に経済学部卒が有力だが、彼らの学んだ「経済学」に経営や会計は含まれない。実際、私が必死で勉強した経済学は、経済理論(経済原論)や財政学などが主であった。したがって、財務官僚や経済産業官僚たちに貸借対照表を正確に読める人材がどれだけいるか甚だ疑問だ。こういう経営も会計もできない「優秀な方々」が実現したのが、赤字財政の国家運営といつも後手に回る各分野行政なのだ。

わかりやすい代表事例では、あの多額の国費(ウン百億円?)を損失させた「アベノマスク」という名高い愚策がある。更に言えば、もっと膨大な国費損失(ウン千億円?)を伴った、あの大量のコロナワクチン廃棄の報道を聞くに、あんなにもオツムのよろしい官僚たちがそろっていながら、もう少し精緻に的確に接種者数の予測ができなかったのだろうかと思われてならない。

2.医療現場と乖離した医療行政

〈厚労省官僚は医療現場がわかっているのか〉

 医療現場の実情を把握していない財務省が医療行政の悪根源だとして、当の厚生労働省はマシかと思いきや、そうではない。直接の医療行政は、ほとんど臨床経験のない、すなわち医療現場を知らない医系技官に牛耳られていると言える。(私のいた医学部では数年に1人程度、「行政に進む」=医系技官になる者がいたが、我が同期はゼロだった。私が「官僚なんてなるものじゃないよ」と喧伝したわけではないが・・・)

〈キャリア官僚とは〉

厚生労働省の中で一定の勢力を持つ医系技官グループについて述べよう。

その前に、簡単に「官僚」入門編を。一口にキャリア官僚と言っても職種は多数ある。「法律」「経済」「政治・国際」の法文系試験合格者(私は「経済」職だった)がキャリア事務官(←狭義のキャリア官僚と言えるかもしれない)で、最も優遇され、出世しやすい。前述のとおり、「会計」「経営」といった区分はない。その主流が東大法学部卒の連中だ。(ちなみに、私は1980年農林水産省入省事務官だが、同期は14人いて、その学歴内訳は、東大法7人、東大経2人、東大教養1人、東大工1人(私のこと)、京大法2人、早稲田法1人であった)

〈キャリア官僚の試験区分〉

 広義のキャリア官僚には、大学の理学部・工学部・農学部等の諸学科にほぼ対応した「工学」等の理工系・農学系試験区分の合格者が含まれる。上記の「法律」「経済」等合格者が事務官と呼ばれるのに対して、これら理系グループは技官と呼ばれる。これら技官は、国の附属研究機関(筑波学園都市に多い)で働く研究技官と、霞が関で事務官と一緒に、国会対策・予算業務・法案作成等に携わる行政技官に分けられる。(稀だが、事務官で研究職の人もいる)

 農林水産省には、私ら事務官のほかに農学部出の技官が多数(霞が関で最大の技官数を抱える)いて、「事務官は局長まで偉くなるが、私ら技官は課長までしかなれない」などと恨み節を聞かされたものである。この「技官冷遇問題」は、国会でも議論されたことがある。

〈厚生労働省のキャリアたち〉

 厚生労働省でも事務方トップの事務次官は事務官しかなれない。(国土交通省など、技官が事務次官になれる省庁はなくはないが)上記の試験区分には「薬学」があり、その合格者(薬学部卒で薬剤師資格があっても試験が課せられる)で薬学技官グループが結成され、厚生労働省の中では、薬務行政に関し一定の強い勢力を持つ。それより力を持ち、法学部等出の事務官グループと張り合うのが医師の資格を有する医系技官集団だ。彼らには、ほかのキャリア官僚のような国家公務員試験は課せられず、医師国家試験で「代用」されている。「医学」なんて区分で国家公務員試験を課したら、応募する者などいないだろうという、霞が関にしては極めて常識的な判断があったに違いない。要するに医師免許さえあれば、簡単な採用試験(面接と小論文)のみでキャリア官僚-医系技官になれるのである。よって、患者さんに対応する臨床能力は全く問われない。そのような「ペーパードライバー」ならぬ、医療現場を知らない「ペーパードクター」たちが日本の医療政策を担っているのである。医療現場の実情が反映されていないコロナワクチン価格やPCR報酬の決定に彼らが大きく関与したことは容易に推察される(もちろん、財政再建を至上課題とし、財政出費を減らしたい財務省の思惑が主因だろうが)。

〈「現場」に疎いのが霞が関行政〉

行政対象の現場をよく知らないのが霞が関なのだ。「行政の無謬性」などあり得ない。私が官僚時代、農林水産省は世間から「NO政」と揶揄されていたし、規制のうるさい厚生省は「ああせいこうせい省」と呼ばれていた。教育現場を知らない文部省も批判されていた。元教師の文部科学官僚、元介護士の厚生労働官僚、元トラック運転手の国土交通官僚、元漁師の農水官僚など増やせないものか。

3.「過剰積載」の厚生労働省

〈2001年の中央省庁再編〉

 2001年の戦後最大規模の中央省庁再編から20年以上も経った。省庁再編は旧大蔵省の過剰接待問題に端を発する。「大蔵省改革すべし」の声が高まり、金融行政の分離がこの大再編に先駆けて2000年に行われた。ところが、大蔵省改革がいつの間にか「霞が関改革」にすり替わった。大蔵省は金融部門のみが剥がされ、名称を財務省に変えただけで終わったのに、他の多くの省庁は分割統合された。医療行政を司る厚生省は、労働省と統合され、厚生労働省となった。何のことはない「復縁」である。もともと労働行政は内務省から派生(1938年)した厚生省が担っていて、労働行政の比重が増したことに鑑み、1947年に厚生省の労働行政部門が分離独立して労働省が誕生したのだ。2001年、国土交通省、総務省など、複数省庁が統合して巨大な省がいくつか出来たが、中でも厚生、労働両省の「復縁」により誕生した厚生労働省は、医療、福祉、年金、雇用等その予算規模(20兆円超。国債費を除くと霞が関ダントツ)、所管行政の広さとニーズの拡大に鑑みれば、業務の「過剰積載」ではないか。一人の大臣がカバーするにはあまりにも巨大ではないか。

20年以上経っても一体化せず〉

以前、他県に住む友人医師から聞いた話がある。彼の診療所の門前薬局にはよくミスをする薬剤師がいて、薬局長から度々注意されるも、馬耳東風。糖尿病薬が処方箋と異なるものが出て、当該患者さんの血糖値が大きく低下してしまったことがある(幸い、大事には至らなかった)。この事件が発覚しても、この薬剤師は薬局長に報告も詫びもなく、平然としていたらしい。さすがに堪忍袋の緒が切れた薬局長と社長は、取返しのつかない医療事故が起こる前にと、法に定める金額を支払ってこの薬剤師を解雇した。

ところが、後日、その薬局は、当該薬剤師から訴えを受けた労働局から不当解雇であると指摘されたという。要するに調剤ミスを何度もしでかすような薬剤師でも「労働者」だから徹底的に保護されるのが、労働局のスタンスなのだろう。

しかし、労働局・労働基準監督署は「厚生」労働省の一部であり、国民の健康・医療を所管する最たる官庁であるはず。にもかかわらず、「労働者」保護ばかりに視点が行き、「厚生」労働省の一員であるのに調剤ミス連発薬剤師を継続雇用しろというのだ。これでわかったことは、厚生省と労働省が統合して20年以上も経つのに、「労働」担当は「厚生」のことなど知ったことではないという意識が強く残存しているということである。

(「厚労省」が一体となって、真に国民のための「功労省」になってほしい)

〈2001年中央省庁再編の検証を〉

 こんなことは氷山の一角かもしれない。

2001年省庁再編に伴い、通商産業省を母体にした経済産業省の中に、既存の原発推進部局の資源エネルギー庁と新設の規制部局の原子力安全・保安院が同居するというなれ合いの組織(世界的に見ても異常な状態)ができてしまい、このことが2011年の未曾有の原発事故という原子力行政の慙死に値する失敗を起こしてしまったのだ。(振興官庁vs規制官庁として思い出されるのは、食品産業振興を所管する農水省と食品衛生を所管する厚生省との「大喧嘩」。私の現役時代は、当時脚光を浴びていたバイオテクノロジーの主導権争いで毎日深夜までバトルし辟易した記憶がある。「農水省は動植物」、「厚生省は人体」担当だから)

昔から同じビルにある建設省と運輸省はことあるごとに縄張り争いを行っていたが、「結婚」して国土交通省となってセクショナリズムにとらわれない効率的な行政をしているだろうか。通信・IT行政については、再編成前の通産省・郵政省の権限争いが、経産省と総務省にそのまま引き継がれていないだろうか。

他の統合再編省庁でも、出身省庁からの襷掛け人事など、依然として「融合」した省庁の体(てい)をなしていない。大臣の数を減らしたかどうか(無任所大臣多し)も怪しくなっているが、果たして2001年中央省庁再編は、公共の福祉の向上に資したのか、本当に国民のためになったのか、そろそろ検証すべきではないだろうか。