「地政学」がおもしろいー私の「地歴」学習歴ー
・・・・・・・・・・・・・河辺啓二の勉強論(22)
〈「地政学」とは〉
最近やたら「地政学」に関する本を書店で見かけるようになった。その最大の理由は、ロシアのウクライナ侵攻であろう。
「地政学」とは何か。広辞苑によれば、「政治現象と地理的条件との関係を研究する学問。スウェーデンのチェレン(1864~1922)が首唱。主にドイツにおいて第一次大戦後の政治的関心と結びつき、ハウスホーファー(1869~1946)によって発展、民族の生存圏の主張がナチスに利用された。地政治学。」とされている。決して新しい概念ではなく、20世紀初めからある国家学の一形態なのだが、ナチスドイツの侵略政策を正当化するための御用学問として利用されたことから、第二次大戦後は、多くの学者により、科学的用語としては不適当とされたらしい。したがって、戦後、敗戦国のドイツ・日本では地政学の研究が止まってしまったということだ。
〈「地政学部」も「地政学科」もない〉
現に今の日本で数多(あまた)ある大学・学部・学科の中に、地政学部はもちろん地政学科は皆無である。地政学に近い学問、お勉強でなじみのある、中学高校の教科といえば、「地理」と「歴史」(と「政治・経済」か)であろう。ここで、私の「地歴」学習歴を思い出してみたい。
〈少年期に好きだったのは地理〉
昭和中期、「四国の森の中」といえば、つい最近逝去された大江健三郎氏に使われる枕詞のようで私ごときでは高尚すぎるので「四国のド田舎」がふさわしい、そんな環境(過疎村)に生まれ育った私に学問的刺激、知的刺激を与えるものは乏しかった。(ちなみに、大江健三郎先生は、愛媛県南予出身→松山東高校→東京大学ということでは私と同じなのである(自慢))
一学年が数十人でなんとか一クラス成立できる小学校(私の学年は多くて37人いたが、下の学年は20人台、10人台だった)の中で「秀才」といってもたかがしれていた。学校のお勉強以外で興味があったのは地図帳を眺めることだった。自宅で宿題以外にこれといった勉強をすることはなく、地図帳めくりが勉強といえば勉強だったかなぁ。だから、小学校高学年になる前(低学年?)に、日本の全都道府県の県庁所在地と世界の多くの国の首都の名前は覚えた。(←こんなこと、いまどきの子供では大したことないだろうが)
だから、中学1年の社会は地理だったので、毎回満点を取って、担当の先生にずいぶん依怙贔屓してもらったものだ。
〈地理・歴史から離れて行った高校時代〉
ところが、高校1年で当時必修の地理は、ほとんど勉強しなかった。英数重要思想に凝り固まっていたため、将来の大学受験で不必要になるに違いない地理は限りなく手抜き(同様に生物もさぼったものだ)し、英数に傾倒してしまった。このため、高1のときは英数以外の成績はかんばしいものではなかった。
さて、大学受験が気になる高2になると、社会の世界史・日本史は多少勉強するようになるものの、理科系クラスだったため、大学受験科目として意識するようになった理科の物理・化学に比べればやはり手を抜かざるを得なかった。しかし、世界史の先生のお話がたいそうおもしろく、毎回のこの先生の授業を楽しみにしていた。1年のときは英数以外の教科はあまりというかほとんど勉強せず、総合成績は振るわなかったが、2年からは心を入れ替えて他の教科も勉強したので、表彰状を頂く成績優秀者の一人となったのである。
理系受験となったため、物理や化学より興味のあった社会(歴史・地理など)の勉強は最小限にせざるを得なかった。
〈楽しかった経済学の勉強〉
その後、東大理Ⅰ・工学部で、理系学問にどっぷり浸かった(というほど勉強しなかったことに忸怩たる思い)が、工学部後期でキャリア官僚になることを思い立ち、国家公務員上級職試験目指して専門外の経済学(と法学を少々)を独学した。経済史など少し歴史のような科目もあったが、基本は(歴史のような人文科学ではなく)社会科学で、それはそれでおもしろかった。一時は、当時の経済企画庁に入って「官庁エコノミスト」を目指すのもエエなぁと思ったほどである。
〈久々の「地歴」学習はセカケン〉
さて、霞が関の官僚→医学部生→医師 と「馬齢を重ね」て、各種検定も多数受けてきたが、歴史検定で多少歴史を復習することはあるものの、地理に関するお勉強は皆無だった。一昨年・去年と勉強した世界遺産検定は、歴史と地理両方の知識が必要で、まさしく「地歴」の教科と言えそうだ。1級及びマイスター試験の受験勉強は久々に「楽しい」と感じるものであった。青春時代、理系を選択したため勉強する時間のなかった「地歴」を学ぶという幸せを取り戻したような気がした。
〈第二次大戦後も戦争・紛争が次々と・・・〉
折しも、ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、中国の覇権主義など、昨年・本年と世界情勢から眼を離せない状況になってきた。思い返せば、我々日本人は、第二次世界大戦後の昭和後期~平成と、「平和ボケ」と揶揄されるくらい平和を享受し続けてきた。しかし、世界情勢は、平和な日本とは逆に、第二次世界大戦後も米ソ冷戦を背景としたものをはじめ、数々の戦争、紛争が起きている。インドシナ戦争、インド・パキスタン紛争(第1次~第3次)、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争(第1次~第4次)、キューバ危機、フォークランド紛争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争などなど枚挙にいとまがない。(特に、ベトナム戦争は15年間も続き、私の幼少期~青年期にあったものだけに深く印象に残っている。)世界は、次々と平和どころではない状況が続いているのだ。
〈地政学は「地歴」学習の集大成か〉
髙橋洋一氏が著書「新・地政学入門」でも指摘するように、地政学とは「ひと言でいえば世界の戦争の歴史を学ぶ」学問と言えるかもしれない。同著をはじめ、今年になって4冊の「地政学」本を読んだ。どれも興味深く、楽しく読んだものだ。今のところ、「地政学でよくわかる!世界の戦争・紛争・経済史」が特に「勉強になった」気がする。同書は予備校の先生が著したもので、さすがにうまくよく書かれているなぁと思う。なかなか1回読んだだけでは記銘できなくなくなっている私は、何度か読み返して内容を覚えていかなければならないと感じている次第である。